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第五章 8 星の綺麗な夜に

 夜の森を、ランプを手に進んでいく。定期的に聞こえてくる魔女の声に従って歩くだけの単調な道のりだ。時折差し込んでくる月の光がやけに眩しい。


 何もわからない。


 ぼんやりと地面を見つめながら考える。


 子供やマツさん、セイを攫ったのは魔女なのか。いや、魔女の手口とは少し違う気がする。そもそも、あの腕は魔女のものではなかったはずだ。もっと違う禍々しいものを感じた。あのどす黒く染まった腕を思い出すだけで、足が動かなくなるほどの恐怖に駆られる。


 魔女が当たり前のように獣人界に顔を出しているのも謎だけど、相手の目的も謎だ。どうしてあの時、わたし一人を残していったのか。


 わたしが狙いじゃなかったのなら辻褄が合うけど、そうするとすぐに魔女が接触してきたのが不自然になる。わたしが狙いじゃないなら放っておけばいい。今のわたしは敵の本拠地に丸腰で挑みに行くようなものだから、戦闘になったりしたら間違いなく負けるだろう。でも、わたしを殺すなら腕を伸ばしていた時点で殺せるはず。わざわざこんな回りくどい手口を使う理由がわからない。


 わからないことだらけで、もう自分の置かれている状況すらも理解できなかった。だからわたしは、こうしてわかりやすい罠に向かって歩みを進めている。


『あ、そこの木の間を潜り抜けて右に抜けなさい』


 魔女の声に従って、狭い木の間に体を滑り込ませる。すると、目の間に小さな穴が見えた。


『その穴は奥の空洞に繋がってるの。中に入ればアンタの求めている人に会える』

「…………」


 空洞。もし何かあっても、逃げるのは難しいだろう。でも行くしかない。


 わたしは「この中です。ここで待っていてもらっても構いません」と後ろの人たちに声をかけると、一番に穴の中に入っていった。


 穴の幅は狭く、四つん這いになって進む。穴を抜けた先にはそれなりの広さの空洞が広がっていて、普通に立ち上がることが出来た。当然のように誰もいない。


「おい、いないじゃないか」

「やっぱり嘘だったの?」


 同じように穴をくぐってきた親たちも、がらんとした空洞を前にして、非難の目を向けてくる。今はとりあえず自分の身を心配してほしい。


「下がっていてください。何が起こるかわかりません」


 そう注意しながら一歩進み出ると、魔女の声が聞こえてきた。


『到着ね。じゃあ、アンタには探し求めている人たちを呼んでもらおうかしら』

「呼ぶ? 名前ってこと?」

『名前とは少し違うわね』


 嫌な予感が頭をよぎった。魔女は歌うように続ける。


『「一人の大人と子供たち」か「セイ」。どちらか、本当に求めている方を選んで声に出しなさい。アンタが選んだ方だけを返してあげる』

「っ!!」


 ガシャン、と握っていたランプを地面に叩きつけた。手が震えていた。震える声で叫んだ。


「ねえ、そっちの狙いは何なの? わたしじゃないの?」


 魔女の返事はない。突然虚空に向かって話し始めたわたしを気味悪がるように、親の一人がわたしから後ずさる。


「早くわたしを殺せばいいじゃん。他の人を巻き込む必要なんてないじゃん。ねえ」


 こんな選択肢、わたしが殺すのと同じだ。


 最悪だ。本当に。魔女がわたしをここに呼ぶのは、わたしを殺すためだと思っていた。わたしは殺されるんだと思ってた。まさかわたしが殺す側だなんて、思いもしなかった。


 魔女の返事はない。どれだけわたしが叫ぼうと、暴れようと、もう魔女に返事をする気はないのだろう。わたしに与えられたのは選択肢だけだ。


「おい、どうしたんだ? 急に何を言っているんだよ」


 背後から声がかかる。子供たちの親だ。わたしのせいで大切な子供を奪われた人たち。その人たちが大勢、わたしの後ろにいる。


 わたしにどっちかを選べって? どっちかを捨てろって? 冗談じゃない。どうしてそんな。そんなこと、出来るはずがない。


 周りの音が遠のいていく。どうしようもなくて頭を抱える。恐怖と混乱でぐちゃぐちゃの頭で、まともに働きもしない頭で、必死に考える。


 何の罪もない子供たちとマツさんと、今まで一緒に過ごしてきたセイ。天秤にかけること自体が間違っている。歪んでいる。でも、天秤が傾いてしまうとしたら。


 わたしの頭に浮かんだのは、セイの笑顔だった。


 彩先輩、とわたしを呼ぶ明るい声が、今も聞こえてくるようだった。大袈裟なリアクションも、コロコロ変わる表情も、いざとなったら頼りになるカッコいいところも。全部全部鮮明に、記憶の中で輝いていて。


 セイ、と名前を呼ぼうと口を開いた。またあの眩しい笑顔に会いたい。たったそれだけの、縋るような気持ちで。でも、その名前を呼ぼうとしたとき、


 ――ごめんなさい、彩先輩。


 黒い光に飲み込まれる直前、セイが振り返って見せた切なげな笑顔を思い出した。どうして、と思ってしまう。どうしてセイは、わたしなんかを庇ったんだろう。自分の命をなげうってまで。わたしに守られるほどの価値なんて……。


 そこまで考えて、一つだけ、思い当たったことがあった。


 そして、その考えに至ってしまったら、もう選択の余地なんて残されていなかった。わたしは口を動かす。


「………ち」


 喉から絞りだした声は、笑えてしまうほど頼りなくて情けなかった。


「マツさんと、子供たちを、返して……」


 わたしの声に応えるように辺りが一瞬白く眩む。その光が収まった時には、呆気ないほど約束通りに、子供たちとマツさんが目の前で倒れていた。後ろにいた親たちが声を上げ、一斉に子供たちの方へ駆け寄っていく。その安堵の様子とは対照的に、わたしはその場に膝をついた。


「………………」


 声を発した自分の喉に、まだ信じられない思いで触れる。手は冷え切っていて冷たい。


 ほんの数秒前まで、セイを選ぶつもりだった。その選択をしたら今まで獣人界で積み上げてきたものは全部失ってしまうだろうけど、それでもかまわないと思っていた。だってわたしは正義のヒーローでもなんでもない、ただの人間だから。今まで一緒に戦ってきた仲間を殺すことなんて、出来るはずがないから。


 でも、どうしてセイがわたしを守ったのかを考えてしまったから、わたしはその選択肢を選べなくなった。


 セイが守りたかったのは、ただの人間じゃない。きっとセイは、()()()であるわたしを守りたかったんだ。クロスからこの世界を救うなんて目標を掲げたわたしを守って、自分の願いごとわたしに託してきた。

 それなら。わたしは、きっと、獣人界での信用を失ってはいけなくて。わたしがセイを選んだとしても、セイは喜んでは、許してはくれない気がして。だから、わたしはセイを見捨てた。


 でもそんなの、全部わたしの想像だ。もしかしたらセイは、選んでくださいと泣いていたかもしれない。選ばなかったわたしを責めているかもしれない。


 再会を喜ぶ親の声が、狭い洞窟の中に響いている。


 この選択に正解なんてない。どちらを選んでも正解には辿り着けなくて、わたしがこうして生き残っていることだけが明確な不正解だ。


「彩さん?」


 ふいに、わたしを呼ぶ声が聞こえた。重い頭をゆっくりと持ち上げる。目を覚ましたマツさんは、不安そうな顔をわたしに向けている。


「どうしたんですか? 何が起きたんでしょう? 状況がさっぱり理解できなくて……」


 答えられない。口を動かすことすらもできなかった。マツさんは、わたしの奥へと視線をめぐらせて、さらに首を傾げる。


「セイさんは?」


 子供の無事を喜んでいた家族の目が、わたしに向けられていた。わたしを見つめる十数個の丸い目。感情の読めないそのすべてが、まるでわたしを糾弾しているかのように感じられて。


「ごめ…………っ……」


 それ以上の言葉を継げなくて、わたしはその場から逃げ出した。無我夢中で穴の中を進んで外に出る。体勢を崩して地面に転がり落ちる。そんなわたしの視界いっぱいに広がったのは、美しい星空だった。


 星。セイ。セイの好きな星。


 震えが止まらなかった。手も足も、歯も震えて。フラッシュバックするあの目が、声が、お前のせいだとわたしを責める。


 お前のせいだ。お前がいなければ。いなくなったのがお前だったなら。


「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ」


 わたしのせいだ。何もかも、すべて。全部、全部、全部。


 ――わたしが、セイを殺した。

 


 

 

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