第五章 6 伸ばされた魔手
「マツさーん、みんなー!」
「いるなら返事をしてくださーい!!」
森の中を走りながら、わたしとセイは声を張り上げる。何度も飛び出した木の根に躓いて転びそうになるけど、そんなこと構っていられなかった。
「これ、かくれんぼしてるって可能性はありませんか?」
セイが不安を無理やり笑顔に歪めたような顔でわたしを見る。
「ないね。森の中でそんなことさせたら、本当に見つからなくなるかもしれない。マツさんが許すはずないよ」
「そうですか……」
最初の場所を離れてから、もう随分と遠いところまで来ていた。子供の足でこんなに遠くまで来られるとは考え難いし、全員で移動しているにしてはいつまで経っても声や足音が聞こえてこない。何よりマツさんが反応してくれないのがおかしい。
「進む方向を間違えたかな」
「でも、他に進めるようなところなんてありませんでしたよ? 木や草を掻き分けていくんだったら、そういう音が聞こえてくるはずですもん」
「そっか。あー、じゃあどこに消えたんだろう?」
わたしはガシガシと頭を掻いた。焦るばかりで頭がまったく働かない。
「手分けして探しましょう! もしかしたらやっぱり隠れてるのかも……!」
「わかった。わたしは向こうの方探してくる」
わたしはセイと頷き合うと、反対方向に駆け出した。背の高い草を掻き分けたりして探してみるけど、子供たちがいそうな気配はない。
……あの一瞬で姿を消すことなんて、可能だろうか?
普通に考えたら不可能だ。そもそもマツさんだって、わたし達に一声くらいかけてくれても良いはず。一瞬の間に十人弱の子供たちが足音もなく、わたし達の目の届かないところまで移動するなんて、そんなこと。
そう考えていたとき、背後からぞくっと嫌な気配を感じた。咄嗟に振り返って、辺りを見回す。誰もいない。何も見えない。でも何かいる、確実に。
「セイ!」
わたしは叫んだ。
「セイ、どこにいる!? 別行動はまずいかもしれない! 合流しよう!」
わたしの声は、静かな森に滑稽に吸い込まれていく。セイの返事は聞こえてこない。たまらなくなって駆け出した。
「セイ!? マツさん! みんな、どこにいる!?」
こうして誰かの名前を呼びながら走っていると、全身の力が抜けてしまいそうな恐怖を思い出す。フラッシュバックするのはあの日の人間界。どれだけ時間が経とうと、あの恐怖は一生消えないんだろう。頭に残る忌まわしい記憶を吹き飛ばすように叫ぶ。
「セイ! お願い、返事して!!」
「――彩先輩?」
声が聞こえたのは、すぐ隣からだった。わたしはゆっくりと声のした方を向く。
髪や服のあちこちに葉っぱをつけたセイは、目を丸くしてわたしを見ていた。わたしがあまりにも必死に叫んでたから、驚かせちゃったのかな。なーんだ、と呟くと、少し気が抜けてしまった。
「ちゃんといるじゃん。返事し……」
「彩先輩!!」
突然、セイが飛びついてきた。腰辺りに飛びつかれてバランスを崩したわたしは、セイと一緒に地面に転がる。
「いたた……。ちょっとセイ、何を……っ!?」
呻きながら仰いだ視界には、この世のものとは思えないほど禍々しい黒い腕があった。空間を切り裂くようにして突然現れた一本の腕は、さっきまでわたしが立っていたところを掴んでいる。セイが飛びついてくれなかったら、今頃わたしは……。生きた心地がしないまま確信する。
さっき、セイが目を丸くして見ていたのはわたしじゃない。きっとわたしの背後から伸びてきていた腕を見つめていたんだ。
わたしは咄嗟に手元の石を掴み、腕に向かって投げつけた。至近距離なのもあり、狙いは外れずに真っすぐに飛んでいく。しかし石が当たる直前、腕はどこかへ引っ込んでしまった。対象を見失った石だけがカツンと地面に落ちる。
「彩先輩、今の……!」
「うん、間違いない。子供たちを攫ったのはあの腕だ」
わたしはすぐに立ち上がって周囲に視線を巡らせる。今のところ何も見えない。でもすぐに姿を見せるだろう。とりあえず何か投げられるものを、と石をいくつか拾い上げる。
その次の瞬間、背中に強い衝撃を感じた。一瞬息が詰まって出来なくなる。状況が理解できない。衝撃の余波で吹き飛ばされたわたしは、そのまま地面を転がった。口の中に土の味が広がった。
何? 何が起こってる?
頭を打ったからなのか、視界がぐらぐらしていて体が上手く動かせない。おまけに手足も痺れていた。唯一頼りになる地面に手をついて体を起こすと、あの黒ずんだ腕が何もない空間から生えてくるところだった。
腕がゆっくりと手の平を広げると、みるみるうちにそこに黒い球体が浮かび上がってきた。腕と同じ禍々しい色をしたそれに当たれば、自分がどうなるか。そう考える時間もないほどあっという間に、球体はわたしを飲み込めるほどの大きさに膨れ上がった。
痺れる手足はあまり言うことを聞いてくれない。混乱と焦りで呆然としかけたとき、足音が駆け寄ってくるのが聞こえた。
「彩先輩!!」
セイだった。走ってきたセイは、わたしと黒い球体の間で両腕を広げて立つ。わたしを庇うように。
その小さな背中を見て、全身に電流が走ったような気がした。
「セイ!」
現実に引き戻されたわたしは、そう叫んで手を伸ばした。ダメだダメだダメだ、間に合わない。球体は今にもセイを飲み込まんと、まるで口を大きく開けるかのように膨らんでいた。
セイがわたしを振り返る。ツインテールを揺らして、セイはくしゃりと笑った。
「ごめんなさい、彩先輩」
それから前を向く。その背中に迷いや躊躇いは感じられなかった。黒い球体がセイを飲み込む直前、
「これがあたしの意味なんだよね、お母さん」
そんなセイの、泣き出しそうな呟きが聞こえたような気がした。
咄嗟に、目を瞑ってしまっていたようだった。目を開けると、そこにセイはいなかった。いる場所は同じ森の中。でも目の前にはセイも黒い腕もなく、わたしが一人座り込んでいるだけだ。
「セイ?」
立ち上がって、名前を呼んだ。返事はない。伸ばしたままの手が妙な位置で留まっていた。下ろす気にもならなくて、さらに前へと手を伸ばす。
「セイ」
手は虚しく空を切った。ふらつきながら立ち上がり、さっきまでセイが立っていた場所に歩み寄る。手足の痺れもぐらつく頭も、今はどうでもよかった。それがなくてもどうせまともに動けやしないはずだから。
「どこ?」
セイがいない。どこにもいない。静まり返った森に、わたし一人だけが取り残されてしまった。大切な……大切な仲間を、犠牲にして。
「どこにいるんだよ!!」
喉から悲鳴のような声が出た。近くの枝を折って、がむしゃらに投げつける。
「またそこら辺に隠れてるんでしょ!? ほら、チャンスだよ! 今なら抵抗しない。簡単にわたしを捕まえられるよ!? だから早く姿を見せろよそんなコソコソしてないでさあ!!」
あの腕に向かって叫び続ける。
今は姿を消しているだけだ。わたしを捕まえるためにまた現れるに違いない。その隙に叩きのめしてやる。いっそわざと飲み込まれてもいいかもしれない。飲み込まれたら、セイや子供たちと同じところに行けるかもしれない。
そう考えながら叫ぶ。走る。またあの腕がこちらへ伸びてくるのを待つ。
それなのに。
日が暮れても、あの腕がわたしの前に現れることはなかった。




