第四章 34
伝わってくる振動に気づいて、わたしはうっすらと目を開けた。
まだぼんやりとした意識で辺りを見回そうとしたとき、耳元で「きゃっ」とナオの短い悲鳴が聞こえた。そのまま体ごと強風にあおられて、わたしは簡単に吹き飛ばされる。
「うぐっ」
訳も分からず落下したわたしは、地面に背中を強く打ち付けて呻いた。寝起きの頭にダイレクトな衝撃をぶつけられ、否が応でも目が覚める。わたしは地面に手をついて体を起こすと、辺りを見回した。
「なに、この状況……」
簡単に言えば、あの怪物が暴れていた。半分溶けかかった体をずるずると引き摺って、辺りを這いずり回っている。時折体から光線を発するけど、何の基準で出しているのかもわからないから動きが読めない。
わたしが半ば呆然とその様子を見つめていると、「彩!」とナオが駆け寄ってきた。
「良かった、無事?」
「無事というかなんというか……。イマイチ状況を理解できてないんだけど、今って何をしてるの?」
「こんな開けたところで話してる余裕はないわ。ちょっとついてきて」
わたしの無事を確認したナオは、すぐに背を向けて走り去っていってしまう。わたしも慌てて追いかけた。
その間も背後で嫌な音がして、怪物が動き回っているのだとわかる。わたしはナオに続いて、珍しく原型をとどめている建物の裏に身を隠した。
「ここもそのうち見つかるだろうけど、状況を説明するには十分でしょ」
ナオは汗を拭って呟いた。それからわたしを見る。
「気づいてるかわからないけど、あの恐魔獣の一撃であんた気絶したのよ」
「やっぱり? 記憶がそこで途切れてたから、そんなことだろうとは思ってた」
「そう。で、リンが治癒をかけたんだけど、そこで恐魔獣が動き出した。逃げてるうちに他の人たちとはぐれちゃって、今は逃げながら合流しようとしてるわけ。早めに彩が起きてくれて助かったわ」
わたしが起きるまでナオはわたしを背負ったまま逃げていたってことだろう。負担も大きかっただろうに、ありがたい。
わたしが感謝を伝えようとしたとき、背後から轟音が聞こえてきた。
「えっ」
わたしとナオはほぼ同時に振り返る。見れば、恐魔獣がわたし達の方へ突進してきているところだった。脇目もふらずにまっしぐらだ。
「ヤッバい!」
「とにかく逃げるわよ!!」
どうして急にこっちに狙いを定めてきたのかは知らないけど、このままボケっとしていたらぐちゃぐちゃに踏みつぶされることは確かだ。わたし達はばね仕掛けの人形みたいに立ち上がって、そのまま全力ダッシュする。
「彩、遅い! そんなんじゃ間に合わなくても知らないわよ!!」
「んな無茶な! これでも全力疾走だよ!!」
そもそものスペックが人間とは違っていることに気が付いてほしい。
どうせ居所もバレているので騒ぎながら走っていると、すぐ隣――さっきまでわたし達が隠れていた建物が、勢いよく吹っ飛んだ。飛んできた瓦礫が腕に当たり、鋭い痛みが走る。その痛みと恐魔獣の突進による衝撃でわたしはすっころぶ。
「いたた……っ」
ヤバい追いつかれる、とすぐに立ち上がろうとしたけど、すぐにそこまで急ぐほどでもないかと思いとどまる。何故なら恐魔獣はわたし達には目もくれず、そのまま真っすぐに突進して離れていくところだったからだ。別にわたし達を狙っていたわけではないらしい。
「どこか行った……?」
戻ってきたナオが、わたしの隣で呆然としながら恐魔獣を見ている。見たところ、どこかへ行ってしばらくこの辺りには戻ってこないだろう。ほっと息をつきながら腕を見ると、瓦礫が当たった腕は切れて血が滲んでいた。いつものことだけど、見ると余計に痛さが増してくる。
「うへぇ、見なきゃ良かった。『治癒』」
「瓦礫が当たるなんて彩も運が悪いわよね。にしても……」
ナオはわたしを一瞥した後、また正面に視線を戻した。わたしも立ち上がってナオの後を引き継ぐ。
「これはヤバいね」
さっきまでわたし達が隠れていた建物は、見る影もなく吹き飛ばされていた。土台も恐魔獣が通過した場所はぐちゃぐちゃになっている。踏みつぶされたのか何か他にも原因があるのかは知らないけど、とりあえず奴に凄まじいパワーがあるのは確かだ。
「これ、他の班の人たちも危ないんじゃ? アイツが向かってった先って何班がいる場所だっけ」
「そもそも街が壊滅状態で、現在地もイマイチ掴めないわね。とりあえずリンたちとは合流したいから……」
「じゃあ一番目印になる城の方へ行こうか。アイツが戻ってこないうちに」
わたしとナオは互いに頷くと、数少ない目印である城に向かって走り出した。
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「あ、お姉ちゃんたち! 無事だったんですね!」
城の少し手前の辺りで、セイがぶんぶんと大きく手を振っているのが見えた。そこにはセイ、リン、ユーリ、それに1班の人たちが勢ぞろいしていて、いなかったのはわたしとナオだけだったらしい。セイが涙目で駆け寄ってくる。
「二人ともはぐれちゃったので、本当に心配で心配でたまらなかったんですよ! 彩先輩なんて気絶したままだったし」
「ごめん。でもほら、すっかり元気」
「腕に血ついてんじゃん」
こんな緊迫した状況でも、見知った仲間の顔を見るとほっとするってものだ。少しの間おしゃべりをしていると、1班の人たちの治癒をしていたリンが飛んできた。
「お帰り、アヤ君ナオ君。無事合流出来て何よりだよ」
「ただいま。それで、これからどうするかは決まってるの?」
ナオが眉間に皺を寄せて尋ねる。問いを受けたリンは肩をすくめて首を振った。
「まったく決まっていないよ。魔法も使うには極めて不安定な状態だし、そもそも近づくことすら困難だ。まったく別の攻撃手段を考えなくてはいけないね」
「魔法を使わないかつ遠距離攻撃と言えば、もう石を投げるくらいしか思いつかないな。幸い瓦礫なら大量にあるし、みんなで投げてみるとか」
「アイツに効くと思うか?」
「思いません。でも正直それくらいしかなくない? この状況で使える能力、わたしとユーリくらいしか持ってないでしょ」
それこそ、『念動力』で何かをぶつけることなんて、いしつぶて作戦とほぼ変わらない。わたし達が悩んでいると、セイが控えめに「お姉ちゃん」と呼んだ。
「出来るかどうかわからないけど、今こそアレをやってみるときじゃない?」
「……そうね。私もそう考えてた」
ナオも渋い顔をして頷く。"アレ"なんてもったいぶった言い方をされたら、余計に気になるに決まっている。わたしは「それ何?」とすぐに聞いた。
「アレって、この状況を打開できる策でもあるの?」
「打開できるかはわからない。そもそも魔法を使わないと出来ないし……」
「それなら問題ないわ」
突然聞こえてきた涼やかな声に、わたし達はわっと声を上げた。わたし達の輪の中に顔を出したマリーは、悪戯っ子のように口角を上げる。
「あら、みんなして驚くのね」
「いきなりだったし……って、マリーも無事だったんだ。よかった」
「ええ、私は大丈夫。ごめんなさい。恵みの魔法を途切れさせてしまって」
一転、マリーは悲しそうな顔をして頭を下げる。お姫様に頭を下げさせてしまったわたし達は、慌てて無理やり顔を上げさせた。
「そんなことは誰も気にしていないよ。でも、姫は無事なのにどうして魔法は途切れてしまったんだろう?」
「私が制御できる量を超えてしまったの。今の私の力では、王都全域すら十分に魔力の流れを操れない。でも、それよりももう少し狭い範囲だったら制御できると思うの」
マリーはきゅっと自分の手を握る。それからナオとセイを見た。
「だから、あなたたちが魔法を使いたいのなら、それに協力するわ。きっとあなたたちなら、何かすごい作戦を思いついているのでしょう?」
「すごいって……。そんなに期待しないでほしいんだけど、本当に成功するかわからないのよ。マリーに魔法を使えるようにしてもらっても、私たちの力が足りないかもしれない。でも、そうね」
ナオは意を決したように頷くと、わたし達を順に見回した。
「こんな状況だし、勝率は考えずに協力してほしい。今から実行しようとしているのは、準備期間にセイと二人で練習していたある技のことよ」
そう話すナオの目は、いつも以上に真剣な光を宿していた。




