第四章 21 少女「ノーラン」
お姫様の口から飛び出した一言に、わたしは思わず自分の耳を疑った。
今……今、この子なんて言った?
「あ、あの。ごめんなさい、もう一回名乗ってもらえますか?」
「そんなにかしこまらなくていいのよ。ノーラン。覚えてくれた?」
お姫様はくすりと笑って、ゆっくりと答えてくれる。間違いないみたいだ。目の前の女の子は、自分のことを「マリー」ではなく「ノーラン」と名乗っている。
ノーラン。ノーランって、わたしの頭の中には一人しか浮かばない。城でマリー姫の帰りを待っている、幼馴染の若い兵士だ。
わたしは困り果ててみんなの顔を見回した。みんな同じように眉を下げて、自らをノーランと名乗る少女を見つめている。
やがて、ナオが完璧なまでの笑顔を浮かべて声をかけた。
「あの、到着が遅れてしまって申し訳ありませんでした。魔女に攫われて、とても怖い思いをされたでしょう。王様がお帰りを待っていらっしゃいます。さあ、お城に戻りましょう」
「お城……?」
しかし、少女は眉をひそめた。それから首を振り、困ったように笑う。
「ごめんなさい、何を言っているのかわからないわ。どうして私を王様が待っているの? 私の居場所はここで、お城は戻る場所ではないでしょう?」
…………わけがわからない。
何やら面倒なことになっているらしい。認めたくないけど、ここまで来たら流石にごまかせはしないだろう。
「あー……すいません。この子変なこと口走っちゃうんですよ。お気になさらずー」
「素敵な花畑ですねっ。あたしたちまだ探検できていないんです。ぐるっと回ってみてきてもいいですか?」
わたしがナオの前に進み出て、さらにセイが話を変える。
ノーランと名乗る少女は、急に出てきたわたしとセイに少し驚いたようだったけど、すぐに微笑んで頷いた。
「もちろん。探検が終わったら、また戻ってきてくれると嬉しいわ。もし良ければの話なんだけど」
「わかりました。すぐに戻ってきます」
ぺこっと軽く頭を下げてから、わたし達は少女に背を向けて歩き出した。十分距離を取ったところで、顔を突き合わせて話し始める。
「何!? どうなってるの!?」
「そんなこと聞かれてもわからないわよ。あの様子だと、自分のことだけじゃなくて、魔法界が今どうなっているのかも忘れているみたいね」
「あの子が本当にノーランちゃんだったりはしませんかね?」
「流石にない」
「ないでしょ」
「ないね」
「うわあ、全否定。わかってましたけど」
否定の嵐に、セイは苦笑いする。ユーリが少女の方を見ながら言う。
「髪飾りから感じ取れる魔力と同じだ。間違いなくお姫様だろう。ただ、どうしてあんなことになっているのか……」
「一つだけ思い当たることがあるよ」
手を上げたのはリンだった。リンはじっと考え込みながら話す。
「空間魔法は、妖精が主に使っている魔法だから、妖精以外の種族には影響が大きすぎることがあるんだ。いきなり異空間に飛ばされると、その反動で記憶が飛んでしまったり、最悪意識を失う可能性もある」
なるほど。今のお姫様は、その反動を受けて記憶が定まっていないってことか。
「ねえ、クロスの洗脳って可能性は?」
「うーん、可能性としてはないことはないけれど、ほぼゼロに等しいんじゃないかな。現時点で魔獣・魔女・妖精が絡んでいるのに、そこにクロスまで加わったら何もわからなくなってくる」
「そうよね。希望的観測でも、今回クロスが関わっていないことを願うわ」
ナオは疲れたように息を吐き出した。
わたしの意見としても、獣人界全域を洗脳したクロスが今更お姫様一人だけに干渉する理由が思いつかないから、クロスは関わっていないと考えたい。別に、手っ取り早く魔法界を洗脳すればいいだけの話だもんね。いや、それをされたら困るんだけども。
「マリー様、ここが気に入っているんでしょうね」
セイが辺りを見回して呟いた。わたしもセイにつられて、視線を上げる。視界いっぱいに広がる色鮮やかな花畑は、確かに幸せを象徴している。
「あたしの気のせいかもしれませんけど、ここはマリー様の心みたいな場所だと思います。そんな気がするんです。何となく」
「うん。わかるよ」
わたしは頷いた。
ここがお姫様の心を表しているんだとしたら、とても優しい人なんだろう。優しくて、綺麗な心を持った人だ。そんな人だからこそ、きっと現実に耐えられなくなった。
「でも、お姫様にはここを出てもらわないといけない。わたしのために」
じゃないと、話が進まないんだ。まずは魔法界の王様の信頼を勝ち取ることが、わたしの目的なんだから。
わたしが言い切ったところで、リンが手を叩いた。
「話もまとまったところで、もうそろそろマリー様のところへ戻ろうか。といっても、ボクはこの空間を調査したいから、少し辺りを探索してきたいんだ。ナオ君かセイ君、協力してもらってもいいかい?」
「ああ、それなら私がついていくわよ。多分、さっきのことで良い印象はないだろうから」
ナオがリンの隣に立つ。
この異空間を調査するのがリン・ナオ、マリー姫を連れ戻すのが彩・セイ・ユーリ。決まった。
「じゃあ行きましょう! 二人とも、頑張りましょうねっ」
歩き出したわたしとユーリに、セイが両手を顔の前で握って笑いかける。わたしも頷いて、「そうだね」と笑った。
お姫様のところまで来て、「戻りました」と声をかける。するとお姫様はパッとこちらを振り返って、「おかえりなさい」と花咲くような笑顔を浮かべた。
「どうだった? ここは気に入ってもらえたかしら?」
「はい。すごく綺麗なところですね」
「良かった」
と、お姫様は微笑んだ。その顔からは、何かを迷っているような様子が感じ取れる。
「……あ。彩先輩、あたしたち自己紹介してませんよ」
何を迷っているんだろう、と考えていたわたしを、セイがつついてきた。指摘されたわたしは、セイと同じように「あ」と声を上げる。
確かに、わたし達はこの子に対してある程度情報を持って接しているけど、この子はわたし達のことを知らない。それどころか、貸し切り状態だった楽園に侵入してきた不審者だろう。接し方を迷うのも無理はない。
わたしは慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい、自己紹介遅れちゃって! わたしは彩。こっちのツインテがセイで、ポニテがユーリです。ちょっとした目的があってここに来ました」
隣の二人も紹介すると、お姫様は「素敵なお名前ね」と微笑んだ。
それから少しだけ視線を彷徨わせた後、意を決したように手を握る。上目遣いでわたし達を見上げた。
「……ねえ、突然で申し訳ないんだけれど、私の友達になってくれないかしら」
「え?」
予想外の言葉だった。てっきり警戒されているものだとばかり思っていたから、まさか友達になろうとは。視界の端っこに映るユーリも、驚いたような顔をしている。
「あ、あの、あのね? ここって、あなたたちが来てくれるまで、誰も来なくって……。花は綺麗だし、こうして呼んだら鳥さんも来てくれるから、さみしくないと思ってたんだけど」
お姫様は焦ったように手を広げた。その手の甲に、どこからか飛んできた青い小鳥が静かに止まる。
「あなたたちを見たら、やっぱりお話しできる相手も欲しくなってしまって」
照れくさそうにはにかむお姫様は――いや、ノーランと名乗る少女は、何の力も持たない普通の女の子に見える。
急な話に驚いたけど、すぐに笑い返した。
「はい。友達、なりましょう」
「わあっ、嬉しいわ。友達になったんだもの、そんな堅苦しくなくていいからね。私なんて初めて会った時から、少し馴れ馴れしくしてしまってるような気がするし」
「わかった。それじゃ、敬語はやめさせてもらうとして」
少し抵抗はあるけど、この子がそれを望んでいるのなら。敬語で話すのも中々に面倒だし、ちょうどいい。
わたしはにっこりと笑って、言った。
「じゃあ、あなたの本当の名前を教えてほしいな」
少女が、ゆっくりとその青色の瞳を見開いた。




