事情
都留さんは、以前から卜部さんに好意を持っていた。だが、どんなにアプローチをかけても、自分に振り返ることがない卜部さんに、苛立ちを募らせ、卜部さんのアレルギーや阪爪さんを利用した。乳製品を意図的に口にさせる他、同じように卜部さんを狙っていた阪爪さんに鍵を渡して住所を教え、ストーカー行為をさせ、それを心配して自分に振り向いてもらう……何とも身勝手な計画だった。
事件当日、卜部さんが出勤後、毛髪が落ちないように、施設にあった感染防止用のキャップを被って部屋に入り、冷蔵庫にミルクセーキが入った豆乳のパックを置いた。牛乳ではなくミルクセーキにしたのは、匂いや色で牛乳だと気付かれないため、だそうだ。その後、乳製品アレルギーのことを知らない阪爪さんに、卜部さんはクリームシチューが好きだと嘘を教えてそれを作らせようとした。その途中、阪爪さんは都留さんが用意したミルクセーキを、そうと知らずに口にしてしまい、アナフィラキシーで亡くなった……そう結論付けられた。
「……そういうことだったんですね」
ホテルに行き、取り調べで守内さんが聞いた内容を卜部さんにかいつまんで説明した。
「都留さんの好意は、正直、気付きませんでした。何度か食事に誘われたことはありましたけど、同僚としてだと思ってましたし、普通のことかなって……まさか、下心があったなんて」
所謂、脈無しの状態だったらしい。
「最低ですね、アレルギー利用するなんて。しかも、阪爪さんに鍵と住所まで……絶対許せないです。でも……」
持ってきていた水筒を手に取った。
「防犯カメラに、都留さんが私の水筒に牛乳を入れるところが映ってたんですよね? でも、何も起きなかったですけど」
「それは、助けてくれた方がいたんです」
俺達は防犯カメラで、都留さんが卜部さんの水筒に牛乳を入れるシーンをはっきり見ていた。
だが、それを行って都留さんが立ち去った数秒後、ある人物が、その水筒に近付くところも映っていた。
車椅子に乗った老婆。必死に車椅子を漕ぎ、水筒に近付くと、迷わず口にして飲み干した。
そして、懐から水の入ったペットボトルを取り出すと、その中身を少し水筒に注ぎ、軽く振り、それをまた飲み干した。
それを数回繰り返し、最後にもう一度ペットボトルの中身を入れて蓋をし、元の位置に戻して去っていった。
「一緒に映像を確認した、事務の方が言ってましたが、その方、阪爪さんのお母様だそうです」
「まさか、本当ですか?」
驚いた様子で、水筒に視線を落とした。
「向日葵柄のブランケットに、白い長髪を後ろに束ねていました」
「阪爪さんの特徴と、同じです。何で、どうして……」
動揺している。迷惑行為を繰り返していた利用者の、意外な一面……いや、違う。
「あくまでもこれは、素人の意見ですが、防犯カメラには、阪爪さんのお母様が、他の利用者さんや職員を想って行動しているように見えました」
とある日、他の利用者の部屋に置いてあったカバンから財布が見えていたのを、奥に押し込めようとしていた。
またある日は、食事を早めに食べ終えて足りなそうにしている利用者に自分の食事を分けようとしていた。
また別の日、職員が置いていたペットボトルの蓋が閉まりきっていなかったため、しっかり閉めてあげていた……どれも、俺にはそう見えた。
「……お仕事、大変なのはわかります。ですが、一度、その行動の意味を、考えてみても良かったのではないでしょうか?」
「……」
目を泳がせ、震えている卜部さんに失礼します、と声をかけ、ホテルを後にした。
「卜部さん、やっぱり引っ越すのかな」
タクシーを捕まえるために通りへ向かっている最中、りまが言った。
「そこは、本人の問題だろう。正直、もう関わりたくないな」
「誰が悪くないのか、わからない事件だったね……」
確かに、何とも後味の悪い事件だった。
「……ところで、そろそろ教えてくれる? さっき、照井刑事にした電話で言ってたこと」
都留さんを連行し、守内さんと別れた直後、ホテルに行く前に、照井に電話で報告した。
その時、ずっと気になっていた「次の部首」について訊いた。りまはそれが気になっているらしい。
「実は……昨日、君が解いていたクロスワード、あれのうちの何問かが気になって、ずっと引っかかっていたんだ」
「もしかして、省吾が集中できてなかった理由って、それ?」
「そうだ。情けない話なんだが、俺はクイズの類が苦手なんだ。解ける解けないもあるんだが、答えがあっているかわからないと、集中できなくなってしまう」
「……そうなんだ」
幻滅されただろうか。言うべきじゃなかったか? これなら、他の理由を言って……いや、りまに嘘が通じるとは思えない。それに、嘘をつくのは不誠実だ。はっきり言った方が、傷は浅かったか……。
「ちなみに、照井刑事は何て?」
「照井と仲西に訊いたが、『にすい』と言っていた」
「ふーん……」
思っていたのと違う反応だった。
「ねえ、省吾は何だと思ったの?」
「俺も、『にすい』だと思ったが……」
「なるほどね、それ、守内刑事にも訊いてみてよ」
「……わかった」
違うのか? もしかして、他に答えが? 確かに、『にすい』だと、他のワードが当てはまらなかったが……気になってしまう……。
とりあえず、署に戻った。
「お疲れ様です。それと、申し訳ありませんでした」
戻るなり、照井と仲西が頭を下げた。
「ああ、反省しているなら、それでいいんだ。以降は気をつけてくれ」
「はい」
少し待つと、守内さんが戻ってきた。
「守内さん、取り調べ、ありがとうございました。あの、一つ訊きたいことがあって」
「どうした、改まって」
「どうしてもわからないことがあって、守内さんの力を借りたいんです」
「何だよ、言ってみな?」
何故かやけに嬉しそうにする守内さんに、頭に浮かんでいた疑問をぶつけた。
「次という漢字の部首ってわかりますか?」
「へ? ……『あくび』だろ?」
それを聞いた瞬間、俺の中で、全てのワードが一つに繋がった。
「……今日ほど、あなたを尊敬したいと思ったことはありません。本当にありがとうございます」
「お、おう。え、訊きたいことって、それか?」
「はい」
そう返すと、呆然としていたが、小さくため息をついた。
「……まあいいや。赤石、今日この後、予定あるか?」
「ありませんが……」
「なるほど、じゃ、うちに来い」
「え」
守内さんの家に?
「お前の退院祝いも兼ねて、久々に飲もうぜ。仲西君も誘ったけど、今日は予定あるってさ」
「俺は、構いませんが……」
胸ポケットを覗いた。
「せっかくだし、行こうよ」
りまが嬉しそうに言った。
「じゃ、決まりだな、帰りに連れて行ってやるから、駐車場で待ってろよ」
約束を取り付けられた。守内さんと飲むの、何年振りだ……?




