事件
「おはようございます」
照井が出勤してきた。
「おはよう、照井」
「……」
俺は返したが、仲西は外方を向いた。
「赤石さん、お元気そうで何よりです」
「左肩だけだからな。そうだ、君に訊きたいことがあったんだが……守内さんは、君が倉光刑事の娘だというのは知っているのか?」
「知ってますよ、初めに挨拶した時、訊かれました」
「そうだったか……」
「先輩、そろそろ事件の捜査に行きませんか?」
仲西の言葉に、照井が不機嫌そうに言った。
「仲西さん、赤石さんは今、私と話してるんですが」
「後にしてください、事件の捜査に行かないと」
「赤石さんから話しかけたのがわかりませんか? 先輩の言うことを無視しろと?」
「ちょっと待ってくれ」
思わず割って入った。
「二人共どうしたんだ、電話じゃ普通に話をしていただろう」
「電話は電話、今は今です。僕はこの方と組むのは反対です」
「私こそ反対です。そもそも、今の赤石さんには私がいますし、仲西さんは、別の方と組んだ方がいいのでは?」
「そう言う照井さんこそ、僕の代わりで来たんじゃないですか。僕が戻ってきたんですから、もうお役御免では?」
収めようとしても収まらない。思わずため息をついた。
「……とりあえず、現場に行こう。照井、車の運転、任せてもいいか?」
「はい、わかりました」
「……」
仲西がヘソを曲げている。
「君も怪我をしてるんだ、わかってくれ」
そう言うと、「……はい」と小さく返した。
現場は、市内の駅近くにある小さな木造のアパート。
朝九時に、101号室より大きな物音がし、音に驚いた隣人が大家に連絡。駆けつけた大家がインターホンを鳴らすが応答がなく、合鍵を使って中に入ると、キッチンに男性が倒れていた。
外傷は無く、火のついていないコンロには鍋が置いてあり、料理の途中だったと思われる。
鍋の中身はクリームシチューらしく、具材は既に入っていて、後はルーを入れて煮込むだけという状態で、コンロの横には、市販のルーの箱が置いてあった。
部屋は綺麗に片付いていて、間取りは1LDK、恐らく一人暮らしで、カレンダーには予定がびっしりと書かれていた。
身元は、所持していた免許証から、阪爪学さん、五十一歳だと判明しているが……。
「――ですが、阪爪さんはこの部屋の住人ではないと思われます。免許証の住所と違うので」
仲西の説明を聞きながら、免許証を確認すると、確かに、現場の住所と一致しなかった。
「死因は窒息死で、見たところ、病死の可能性がありますね」
「病死、か……」
まず、阪爪さんが何故、この部屋で亡くなっていたのか調べる。そのため、隣人に話を聞いてみることにした。
102号室には、増山さんという人物が住んでいる。インターホンを鳴らすと、出てきたのは、タンクトップを着た、汗だくの男性。筋骨隆々という言葉が相応しい程、立派な腕が露出していた。
「な、何ですか」
肩で息をしている。
「警察の者ですが、101号室の件で」
「ああ……ちょっと待っててもらえますか、今、良いところなので」
そう言うと、返事も聞かずに扉を閉めてしまった。
「……先に、大家から話を聞いてみるか」
場所を変え、大家の兵藤さんという女性に話を聞くことにした。
「あの方には見覚えないですね……あの部屋は、卜部さんという女性が住んでいるはずなのですが……」
「その卜部さんは、今どちらに?亅
「仕事でしたけど、連絡したので、もうすぐ返ってくるんじゃないかと」
その時、規制線で監視をしていた警察官が駆けてきた。
「赤石刑事、卜部さんという方がいらっしゃってます。現場の住人だそうで」
タイミングよく帰ってきたらしい。
「あの……101号室の、卜部ですが」
現れたのは、眼鏡をかけた女性。アパートを出入りしている警察官を見て、目を白黒させている。
「ちょうどよかった、今、警察の方に事情を話してて」
「何があったんですか? 私の部屋で、人が亡くなってるって聞いたんですけど」
兵藤さんと親しげに話をしている。
「卜部さん、ですね。実はあなたの部屋で、男性が亡くなっていまして……この方なのですが」
写真を見せると、あっ、と声を上げた。
「阪爪さん! まさか、私の部屋で? どうして……」
「お知り合いですか?」
「知り合いというか、私の職場の利用者さんの家族というか」
「利用者?」
聞き慣れない言葉だった。
「あ、私、介護士なんです。お年寄りの介護をしてて……その利用者さんの、ご家族です」
「ご家族、ですか……」
介護施設の利用者、その家族が、介護士の家で亡くなっていた?
「あの、どうして亡くなってたんですか? 状況が、全くわからなくて」
「実は――」
わかっている状況を、卜部さんに説明した。
「……ということは、阪爪さん、私の部屋のキッチンに入っていたってことですよね」
震えた声で言った。
「そう、ですね……ちなみに、阪爪さんがお部屋にいたことについて、何か心当たりはありますか?」
「いえ、何も……住所を教えていないし、鍵を渡してすらいないです。というか、さっき、利用者さんのご家族と説明したんですが、その利用者さん、もう亡くなってるんです。一ヶ月前
に」
「亡くなってる?」
聞き返すと、表情が暗くなった。
「その方、阪爪さんのお母様なんですけど……利用者さんのこと、あまり悪く言うのは良くないんですけど、正直、あまり好かれるような方ではなくて……病気のせいもあるんですが、他の利用者さんの部屋に入って物を触ったり、ご自分の食事を混ぜようとしたり、施設職員の私物に触ったりといった、迷惑をかけるような方だったんです。だから、施設を転々としていて……最後に、うちの施設に来たんです。そこで私、阪爪さんを労うような言葉をかけたんです。本当に、お疲れの様子だったので。それから、阪爪さんは頻繁に面会に来られて、最初は、お母様のためだと思ったんですけど、他の職員から、私目当てじゃないかと言われて……確かに、私が勤務している時に面会に来られることが多かったですし、施設内での様子も、どんなに他の職員の手が空いていても、私に訊いてきたんです。一ヶ月前に、お母様が亡くなって、それからも何度か、お母様のことを私に訊いてきて、そうしてるうちに今度は、私の電話番号を訊いてきたそうで……そこでようやく、施設を出入り禁止になったんです。それが、つい一週間前のことでした」
「なるほど……施設側にも確認したいので、後程伺ってもいいですか?」
「構いません、けど……」
ちらっと、俺と仲西を見た。
「何か?」
「あ、いえ……ニュースで見たんです、刺された警察官がいるって。それと、少し前に、頭を撃たれた警察官の話も」
「ああ、自分達のことですね」
さすがに、包帯を巻いたり腕を吊ったりしている刑事は、不安だろうか。
「ですが、ご心配なく。捜査に差し障りないようにしますので」
「その心配というか……怪我して間もないのに、もう仕事に戻るなんて、警察って大変なんだなと」
「それは、自分達が戻りたいと我儘を言っただけですので……それでは、後程施設に伺いますね」
「はい、施設側にも連絡しておきます――」
卜部さんと話を終え、再度、増山さんの部屋に向かった。
「先程はどうもすみませんでした、トレーニング中だったもので」
現れた増山さんは、シャワーでも浴びたのか、Tシャツに着替えていた。
「それで、隣の部屋の話ですよね、詳しくお話します」
部屋に通された。間取りは101号室と同じ1LDKで、家庭用のトレーニング器具が何種類か置いてあった。
「僕、在宅の仕事をしてまして、あまり家から出ないんです。そうなると運動不足になるんで、こうやって身体を鍛えてるんです。で、九時の話ですよね。あの時、ちょうど洗濯物を干してまして、そしたら、ドスンという音がして、初めは物が倒れたのかと思ったんですけど、もしかしたら人かなと思って……お隣さんとは軽く話をするくらいの間柄でしたけど、いざって時は、ほら、助け合いって大事じゃないですか。だから、念の為確認してくださいって、大家さんに連絡したんです」
「で、遺体を見つけたと……その際、他におかしなところはありませんでしたか?」
「うーん……特にはなかったですねえ。まあ、何か思い出したら連絡します」
友好的な方らしく、笑顔で対応してくれた。




