窃盗事件
俺は高校生の頃、親の言いつけで、アルバイトをしていた。
と言っても、生活が困窮していたとか、そういうわけでは無い。
当時の俺は、高校二年生の秋だというのに、進路も決まらず、部活にも入らず、ただ学校から帰宅した後はパソコンとにらめっこする、そんな生活を送っていた。
見かねた父親が、知り合いの山浦さんという女性が営む小さな商店に俺を押し付け、週三日程度のアルバイト、という名の社会経験をさせていた。
だが、通い始めて三ヶ月目、店を締めようとした午後七時、事件が起きた。
店にあったお金が、ごっそり消えたのだ。
当時、店に防犯カメラの類は無く、その日は俺が昼から店番を任されていたため、店長の山浦さんや従業員達は、俺を疑った。
「俺は、そんなことしてません! するメリットが無いです!」
当然、否定した。だが、信じては貰えなかった。
「赤石さんの紹介で、仕方なく働かせてたけど、まさか恩を仇で返されるなんてねえ……警察に突き出そう」
山浦さんが警察に連絡し始めた。高校生で前科がつくなんて、進路どころじゃない……諦めかけた、その時だった。
「こんちわ、ちょっといいすか?」
商店に男が現れた。客かと思ったが、見たことのない顔だった。
「自分、警察のものです。この辺りで事件がありまして、ちょっとお話を」
警察、との言葉に、山浦さんが反応した。
「ちょうどよかった、うちでも事件です。この子を逮捕してください」
そう言って、男に俺を突き出した。
見上げたその男は、痩せていて、着崩したスーツに、少し伸びた髭、髪には白髪が混じっていた。
「え、何、こっちでも事件?」
「そうなんです。この子が、お金を盗ったんです」
「へえ、本当かい、少年」
優しい言い方だが、その眼光は鋭かった。
「ち、違う」
竦み上がってしまい、上擦った声で、そう答えるのが精一杯だった。
「彼は違うと言ってますが?」
「そりゃ犯人は否定しますよ。でもね、その子が店番してる間に、お金が消えたんです。おかしいですよね?」
「彼が店番をしてる間に、ね……窃盗は三課の管轄だけど、しゃーないか」
そう言うと、店内を見渡した。
「この店、今いる従業員の数は? 店長は誰です?」
「今日出勤してるのは、私と、従業員の畑井さんと配島さん、赤石君です」
紹介された従業員の女性二人――畑井さんと配島さんが会釈をした。
「店番をしていると言ってましたが、一人でですか? 何時から何時まで? あなた方はその間、何を?」
「店番は昼の二時から一時間程度、一人でさせました。その間私は配達があって、そっちを。畑井さんと配島さんは休憩に入ってました。うちは昼前が一番混むので、ピークが過ぎてから休憩に入るんですが、今日は思った以上にお客様が多くて、畑井さんの休憩がずれ込んだんです。普段は二人で、お店にいるようにするんですが、今日は、たまたま……」
「盗ったのに気付いたのは、いつです? 第一発見者は?」
「気付いたのはついさっきで、私が見つけました。いつも私がお金を確認するんですが、さっき見たら、明らかに足りないんですよ。店で一人の時間があったのは、赤石君だけです」
「で、彼が盗った、と……他に根拠は?」
「え? 他って」
「まさか、それだけで犯人だと? それはおかしいなあ、考えてもみてくださいよ、今日出勤している従業員は彼だけじゃない、あなた方もいる。盗るチャンスはあなた方にもあったのでは? 彼が店番をしていた、一人だった、だからって彼を疑うのは早計ですよ。そっちの二人はどう思います?」
畑井さんと配島さんに訊いた。まずは畑井さんが答えた。
「現に、レジと金庫からお金が無くなってるんです。怪しいと思うのは当然でしょ?」
次に配島さんが答えた。
「私も、まさか赤石君が……嘘であってほしいですけど……」
話を聞いた男は、うんうんと頷いた。
「なるほど……この店、金庫ってありますか?」
「それなら、奥のロッカールームに」
ロッカールームに行った。従業員の荷物を置くロッカーがあり、そのすぐ横に、上着を掛けるハンガーラック。更にその横に、大きな棚。棚の一番上に、中型の金庫が置いてある。簡単に取られないように、山浦さんがそこに置いたと、聞いたことがある。
「このロッカールーム、裏口がありますね」
外に繋がる入り口を指した。
「従業員用の入り口ですよ」
「入り口から入ってすぐに金庫がある部屋、ですか……随分不用心では?」
「大丈夫ですよ、金庫は簡単に持ち出せないように棚に固定してるし、鍵はダイヤル式で、番号は私しか知らないです」
「そうですか……この金庫、営業中は、お金は入ってますか?」
「はい、レジに半分入れて、もう半分はこっちに……少し前、全国ニュースで、強盗がレジのお金をみんな持って行っちゃった事件を見て、レジに全額入れるの、怖くなっちゃって」
「そうでしたか。ちなみに、お金が盗られたのは、レジから? 金庫から? 金額は、どのくらい取られてたんですか?」
「レジから、半分くらい盗られているのは、さっき確認したんですが、金庫の方は、まだ開けていないので、確認してなくて」
「なるほど……せっかくですから、金庫の中身は無事かどうか、確認してください。その間、私はレジを調べさせてもらいます」
「わかりました」
その後、男がレジを周辺を調べていると、山浦さんが駆けてきた。
「た、足りないです、金庫のお金……半分くらい」
それを聞いて、男が俺達を見渡した。
「これでわかりました。簡潔に言います、まず、彼は白……無実です。犯人は、あなたです」
そう言って、畑井さんを指した。
「え、私ですか?」
面食らった様子で、男を見た。
「彼が店番の間にお金を盗った、という話ですが、お金はレジから盗られたのか、金庫から盗られたのか、それともその両方なのか、今の今まで、はっきりしない状態でした。でも、あなたは先程、『レジと金庫からお金が無くなってる』と、両方から盗られたことをはっきりと口にしている。この店に防犯カメラは無いので、犯行の瞬間を見たか、自分がやったか、どちらかじゃ無い限り、その言葉が出ることはありえないんですよ。彼の犯行の瞬間を見たとすぐに言わなかったところを見るに、あなたが犯人じゃないかと思ったんです」
「そ、それは、言い間違いというか……そんなことで、犯人だと決めつけられたらたまったものじゃない!」
「彼だって、いきなり決めつけられて、たまったものじゃないでしょうよ……しょうがない、決定的な証拠をお見せします」
再度、ロッカールームに移動した。
「店長さん、いつもやっているように、金庫の中を確認してもらえますか?」
「あ、はい」
山浦さんが部屋の隅から脚立を持ち出し、棚の前に置いた。
「これ、これです!」
男が興奮した様子で脚立を指した。
「棚の上にある金庫を、持ち出さずに開けるには、台が無いと不可能です。この脚立を使うと思ってました。で、さっき確認したんですがね? ガラス片がついてるんです。ほら、ここに細かいのが」
蛍光灯の光に反射して、脚立の表面についている僅かなガラス片がキラキラと光っている。
「おかしいなと思ったんです。店内の床はコンクリートで、畑井さんだけ、足音が他の人と違う。靴の裏、見せてもらえますか? あ、他の皆さんも」
そう言われ、全員で靴の裏を確認した。畑井さんの靴の裏にだけ、細かなガラス片がついていた。
「あなたは、ガラス片がついた靴で、脚立に上った。だから、脚立にもガラス片がついたんです」
「こ、これは……私、昨日も出勤してて、別の棚の上の物を取る時に脚立を使いました。その時についたんじゃないですか? 私、徒歩で出勤するので、昨日近所で、ガラスか何かを踏んだような……」
「なるほど、そう来ましたか」
徐に、ポケットからハンカチを取り出した。白い無地のものだ。
「ちょっと失礼」
慎重に、靴底のガラス片をハンカチに落とした。
次に、脚立に付着していたガラス片も、丁寧に拭き取った。
「待っててくださいね」
そう言うと、店の外に飛び出し、何かを拾って戻ってきた。
「これ、何だと思います?」
手にしていたのは、五センチ四方のガラス片だった。茶褐色で、何処かで見たことがあるような……。
「……ビール瓶だ」
口をついて出た。
「そう、これはビール瓶の一部。さっき靴底から払った破片と、脚立から取った破片、それぞれ比べると……ほら、同じ色してる」
確かに、三つは同じ色をしていた。
「これ、いつ割れたものか、ご存知です? つい、さっきなんですよ」
あ、と、配島さんが声を上げた。
「そういえば、さっき救急車が来て……隣の居酒屋のお客さんが一人運ばれてました」
「それね、私がここに来た理由なんです。傷害事件が起きましてね? 隣の居酒屋で、客同士のトラブル。片一方がもう片方をビール瓶でガツンと。何か見聞きしてないかなと思って、聞き込みに来たんですよ。まさか窃盗事件に遭遇するとは、思わなかったですけど」
確かに、外が騒がしいとは思っていた。でも、そんなことが起きてたなんて……。
「で、話を戻しますがね、畑井さん。このガラスは、さっき割れたものです。これがあなたの靴底についていて、同じ物が脚立にもついている。おかしいですね? あなた、昨日踏んだ、なんて言ってますが、あり得ないのでは?」
「う……」
「あなたは、店を締める直前、周りの目を盗んで、レジからお金を半分盗った。その後、何か理由をつけて……この場合、外の騒ぎを見てくる、とでも言ったんですね、堂々と外に出て、割れたビール瓶を意図せず踏み、従業員用の入り口からロッカールームへ行き、金庫の鍵を開けて中のお金を半分盗んだんだ。両方から盗ったのは、より多くお金を得るため、全額持っていかなかったのは、発見を遅らせるため、といったところですかね? ダイヤルの鍵は、ロッカーかコートに隠しカメラでもつければ、いずれわかります」
「……」
畑井さんは黙ってしまった。山浦さんも配島さんも、不安そうに見ている。
ふと、畑井さんの視線がある方へ向いた。男はそれを見逃さなかった。
「少年、彼女の上着を調べろ」
「は、はいっ!」
いきなり言われ、返事をしてハンガーラックに飛びついた。
「嫌っ、止めて!」
畑井さんが無理矢理、俺から上着をひったくった。その拍子に、フードに入っていた札束や小銭、小さなカメラが、床に散らばった。
「まさか、どうして……」
山浦さんも配島さんも、動揺が隠せない様子だった。
「夫が作った借金があって……生活が苦しくて」
泣きながら、震えた声で、そう言った。
「そうだったんですね……わかりました。お金は、返してくれればいいです。警察には言いません。そうだ、給料の前借りとか、しますか?」
山浦さんが手を差し伸べた。
「……いいんですか?」
「私も、夫が残したこの店、借金だらけだったのを、頑張って返したことがあったので……気持ち、わかります」
「ありがとうございます……!」
畑井さんは、嬉しそうに山浦さんの手を取った。配島さんも頷いている。
「いや、これで終わりのつもりですか?」
男が言った。彼女らには、まだやることがあった。
「言うべきこと、あるんじゃないですか?」
とん、と俺の肩を叩いた。
「彼まだ学生でしょ? ラックにかかってるの、学生用のコートだし。これでもし本当に逮捕されたら、彼の人生どうなってたと思う? 進路どころか、就職も、下手すりゃ結婚だってどうなってたか。それを、借金苦でお金盗んじゃいましたー、でも許しますー、で終わり? ……ふざけてんじゃねえよ! あんたら、いい歳した大人が、子供の人生潰すような真似してんじゃねえ!!」
ドスの効いた声だった。
「ごっ、ごめんなさい、赤石君……」
山浦さんが頭を下げた。次いで畑井さんも、配島さんも、謝罪してくれた――。
「私は、窃盗事件は管轄外だ。それに、被害届は出さないみたいだし……後は何もできないな」
店の外で、見送りに行った俺に、男はそう言った。
「何はともあれ、無罪が証明できて何よりだ」
伸びをする男に、訊いた。
「どうして、見ず知らずの俺を助けてくれたんですか?」
「ああ、実はね、君と同じくらいの子供が私にもいて、それと重ね合わせてしまった……いやあ、熱くなってしまって、恥ずかしい。推理、穴だらけだったしな……」
穴なんて、あったか? 完璧に見えたが……。
「ほら、ビール瓶の件、昨日ビール瓶に似たガラスを踏んだとでも言われたら、どうしようもなかったよ。そんな事言わないでくれてよかった――」
「倉光さーん!」
ふと、若い男が駆け寄ってきた。
「いつまで聞き込みに時間かかってるんです!? もう撤収しますよ!」
倉光、と呼ばれた男は、手刀を切る動作をしながら答えた。
「ごめんごめん、ちょっと色々あって」
「色々ですか……って、その少年は?」
俺を見た。
「あ……危ないところを助けて貰いました」
「危ないところ? 倉光さん、また何かやったんですね」
「ちょっと、成り行きで……上には内緒に」
「恥ずかしくって言えないですよ」
呆れる若い男。俺は、訊いた。
「あの、あなた達は、警察なんですか」
「そう、おじさん達は、捜査一課の刑事さん。そういや名前言ってなかったな、私は倉光だ」
「……金指です」
二人とも警察手帳を見せてくれた。本物の警察、いや、刑事だ……。
俺もすぐ自己紹介した。
「赤石省吾です、高校生です……助けてくれて、ありがとうございました。アルバイト、もう辞めようと思います」
「そうか、赤石君、まだ高校生か。確かに、あそこでアルバイトは続けにくいよなあ」
「いや、そういうことではなくて……社会経験のためのアルバイトだったんです。それ辞めて、警察官目指します。俺も、刑事になります」
「そうかそうか、それなら、まず身体を鍛えないとな。柔道か剣道……だったかな? 初段は取らないとな」
倉光刑事が笑いながら言った。当時の俺は、正直言うと、あまり運動に向いた体型はしていなかった。身体を絞るところから始めないといけない……。
「勉強も大事だよ、まず公務員にならないと。それから警察官の採用試験を受けたりして……茨の道だよ」
金指刑事が心配そうに言った。そうか、勉強。塾とかに通えば、今からでも間に合うだろうか……。
「にしても、また刑事を目指す奴が現れちゃったなあ、うちの子も、この前刑事になりたいって言い出して」
「はいはい、もう行きますよ。それじゃあね、赤石君。刑事になったら、一緒に仕事ができるように、祈ってるよ」
優しく敬礼した金指刑事に、引きずられるように、倉光刑事も去っていった。その後ろ姿に、見様見真似で敬礼した。




