電話
それから、省吾と守内刑事は、一言も会話をすることはなかった。
署に戻って、課長さんに報告して、小一時間説教されて……照井刑事にもお小言を言われていた。
「まさか、私抜きで捜査するとは思いませんでした」
「……すまない、成り行きで」
申し訳なさそうに省吾が言った。違う、あれは、私が朝早くに川に行きたいと言ったからであって……ああもう、課長さんが近くにいたから言えなかった……。
そもそも、こんな風に隠れている理由は、私が省吾に口止めをしたからだ。
事件や守内刑事のことで、後回しになってたけど、私は、まだ省吾に、単独捜査のことについて話せていない。
その単独捜査だって、周りに私のことがバレそうになったから、やったことで……私が内緒にして、と言わなければ、こんなことにはならなかった。やっぱり、省吾に迷惑をかけている。
このままじゃいけない。腹を括るべきだ。
その日の夜、省吾が寝るのを待って、行動に出た。
ベッドに移って、枕元の携帯を拝借した。
音が聞こえないように、遠い場所……浴室へ向かった。
パスワードは確か……05061528……何の数字なんだろう。
電話帳から、例の番号を探す。さすがに消してはいないとは思う。
「あった」
思わず声に出た。非通知にして電話をかける。時間は午後十時三十分を過ぎたところ……まだ寝てないといいけど。
「もしもし」
出た。声を聞いた瞬間、一気に緊張してきた。
あ、あれ、何て言うんだっけ。
「えっと……夜分遅くに失礼します。守内刑事、でしょうか?」
言葉を絞り出したが、相手は無言。どうしよう、いたずらだと思われたかな……。
「もしかして、赤石のとこの?」
返ってきた。当てられてる……多分、私が「刑事」と言ったからだ。
「はい、そうです」
「……ちょっと待ってて」
そう言うと、数秒の物音の後、からからと音が聞こえ、次に風の音が聞こえてきた。わざわざ外に出てくれたらしい。
「で、俺に何の用事? まあ、ある程度、予想はつくけど」
わかってるなら、話が早い。
「実は、私のこと、課長さんに報告してほしいんです」
そう言うと、数秒、間があった。
「ごめん、予想外だった。てっきり、口止めしに連絡したのかと」
「あ、そうだったんですね……」
「でも、どうして急に? あなたが、赤石に口止めしてたんでしょ?」
「え、どうして、それを?」
「赤石の性格上、そういったことはすぐに周知する奴だから。そうじゃないってことは、あなたが赤石に口止めしてたんだろうな、と」
当たっている。省吾は初め、私のことを、周りの人間に話したいと言っていた。
「私は、特殊なので……怖かったんです。周りに、知られるのが。だから、省吾……赤石刑事には、黙ってもらってました。でも、もう限界かなと思って。仲西刑事にも気付かれてましたし、照井刑事には明かしました」
「そういうことね。かくれんぼで耐えられなくなった感じか」
「……そうですね」
言い得て妙だな、と思った。
「それで、お願いがあって、報告する時に、赤石刑事をフォローしてほしいんです。元々は私が黙っててほしいとお願いして、彼はそれに従っただけなので」
「フォローか……あいつ、それ許してくれるかな」
そう言われると、厳しいかもしれない。少なくとも、それで今日みたいに、素直に頭を下げるとは思えない。
「っていうか、それ、自分で課長に言ったら? 番号、わからないわけじゃないでしょ」
確かにそうだ。省吾の携帯には、課長さんの番号も載っていた。
「元相方のあなたなら、知ってた上で、彼をフォローしてくれる、と思って……」
「……それは、照井ちゃんから聞いたのかな」
「はい、そうです」
また、数秒の沈黙。電話の奥から、外を走る車の走行音が聞こえてきた。
「俺がフォローしても、変わらない気がするよ。君の頼みとはいえ、あいつがそれに従って、部外者を現場に入れて、捜査情報を漏らしたことは事実だから。無傷でいることは不可能だよ」
「そう、ですか……」
元相方でも厳しい。……言わなきゃよかった。
「でも、刑事としての赤石省吾を失うのは、惜しいと思ってる。あいつはあんなでも真面目だし、いいやつだからな。そういう意味では、フォローできると思うよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
電話だが、頭を下げた。
「ただ、何度も言うけど、無傷は不可能だよ? 何らかの処分は覚悟した方がいい……これ、ちゃんと赤石に伝えておいてよ?」
「はい、勿論です」
朝になったら伝えよう。携帯借りたことも、謝らないと。
「にしても……あの赤石が、人の意見を聞くなんて、ちょっと意外だな」
「赤石刑事は、守内刑事と組んでた時、どんな刑事だったんですか?」
私の質問に、守内刑事はふうっと息を吐いた。
「あいつと組んでた時のことは、今でもはっきり思い出せる。見た目厳つくてちょっと怖くもあってさ、最初は、大丈夫かな、なんて思ってたけど、実際真面目で、誰にでも分け隔てなく接するというか……ただ一つ、視野が狭いことだけ、残念だったな」
視野が狭い。その言葉に、省吾は過剰に反応していた気がする。
「それって、どういう意味なんですか?」
「あいつは……犯罪者への配慮が、足りてないんだ」
「犯罪者への、配慮?」
いまいち、ピンと来ない。
「これはあくまで、俺の考えだけど……俺達警察って、悪い奴を捕まえて、市民の安全を守るのが仕事だけどさ、その悪い奴も、結局は市民なんだよ。俺達が逮捕してきた市民には、家族がいて、本人にもその家族にも、その後の人生がある」
「その後の人生……」
思わず復唱した。犯罪者のその後なんて、考えたこともなかった。
「そりゃあ、相手は犯罪者だからね、その後の人生なんて知ったことか、とか、そもそも被害者は人生終わらせられてる、とか考える人もいる。それはわかる。でもさ、非情かもしれないけど、そういうものなんだよ。あの宮田さんにだって、家族がいるんだ」
そういえば、さっき、宮田さんと、家族のことや裁判のことを話していた……。
「別に、情状酌量とかって話じゃないよ? 犯罪者として、罪は償うべきだと思う。でもさ、ちゃんと罪を償って、外に出た時に、希望が無かったら再犯の恐れもあるでしょ? 残された家族も、ずっと後ろ指刺されたら辛いでしょ? だから、刑事として、少しでも希望を持って、償ってほしいと考えてる」
「だから、宮田さんの最後の一服も、許したんですね」
「そうそう、話がわかって助かるよ。……でも、赤石には、その気持ちが足りてない。犯罪者は犯罪者、手錠をかければそれで終わりだと思ってる」
犯罪者は、犯罪者――その言葉が、引っかかった。
「赤石刑事は、あなたとの仲違いの理由を、スタンスの違いと言ってました」
「なるほどねえ、あいつはそう考えてるのか……まあ、そう思ってるような気はしていたよ。あいつのことは、署内じゃ俺が一番よく知ってるから」
随分自信があるようだった。
「君には話してしまうけど、赤石は過去に、目指してた刑事がいて、その人を殺されてる」
「へっ?」
急な話に、変な声が出た。
「事件自体は、赤石本人に聞いた方がいいかもしれない。そこから、あいつはああなっちゃったんだ。人の気持ちに、極端に鈍くなってしまった」
「……」
「何か、気になることがあるみたいだね」
私の沈黙を、そう捉えたらしい。
「実は、私自身も、省吾に会うまでは、犯罪者だったんです。窃盗と、不法侵入で……でも、省吾は、許してくれました」
「犯罪者である君を、逮捕しなかったことが、不思議?」
「は、はい」
守内刑事の話が正しければ、省吾は、私の気持ち――罪悪感が理解できていない。私のことを、許すとは思えない。
「そりゃあ、君が普通の人とは違うから、じゃないかな」
「……やっぱり、そうですよね」
省吾は、私に、「俺の中では君は人間だ」と言ってくれた。私を人間だと認めてくれた。
でも、私は逮捕されない。小人だから……。
「でも、もし俺が赤石の立場だったとしても、君のことを逮捕はしないかな」
「それも、私が普通の人とは違うから、ですよね」
「いや、普通の人だったとしても、だよ」
「え?」
「だって君、随分と賢いみたいだから。俺もそこそこ頭良い自覚あるけど、君も相当でしょ? そういう意味じゃ、俺は君も、失うのは惜しいと思ってる」
それと、と言って続けた。
「俺が言う普通じゃないは、頭の良さのことだよ。君の見た目は、あいつは勘定に入れないんじゃないかな」
私は、普通とは、文字通り普通の人間のことだと思っていたが、守内刑事は違ったらしい。
「赤石ね、結構、利己的だよ。プライド高いし……自覚してるかは、わからないけど。だからこそ、君の意見を聞くのは、意外だなって思ったんだ」
利己的、プライドが高い……。
「あ、あの、思い出したことがあって。省吾に、自分の罪を告白した後、私のことを許す時、罪の意識を持ってるなら十分、って言ったんです。これって、少しは気持ちがわかってきた、ってことになりませんか?」
「罪の意識? 本当にそう言ったの?」
「はい」
またしても、相手の沈黙。何か考えているのかもしれない。
「あいつも、少しは成長した、ってことなのかな……それ、俺があいつに言ったことだよ」
「え、そうなんですか!?」
まさか、嫌ってる相手の言葉を、私にかけたなんて……。
「別れるきっかけになった事件が、少し特殊でね、その時に言ったんだ。あいつ、覚えてたのか……いや、頭に残ってたのが、無意識に出たのかな」
「持論、みたいに話してましたけど」
「じゃあ、俺の言葉に、思うところがあったって感じかな。あいつも少しは変わってたんだな。このまま、他の人の気持ちも、わかるようになってほしいけど」
それはもう少し、時間がかかるかな。と呟いた。
「でも、君がそばにいることで、あいつは確実に変わっていってる。そんな気がするよ。だから、せめて君だけは、あいつのこと見捨てないでやってほしいな」
「そんな、むしろ私が、捨てられないか心配で」
「それは無いんじゃないかな。君、随分あいつに気に入られているみたいだし」
「え、ど、どうしてそう思うんですか?」
「さっきも言ったけど、あいつ、プライド高いんだよ。名前呼びとか絶対させない奴なんだ。君、さっきからあいつのこと下の名前で呼んでるの気付いてた?」
「あ……」
無意識のうちに、いつもの呼び方をしていた。
「ありがとう、赤石のそばにいてくれて。元相方として、礼を言わせてもらうよ。これからもよろしくね」
「……はい、よろしくお願いします」
それじゃ、と、通話を終えた。
「終わったか?」
聞こえた声に身体が跳ねた。
振り返ると、浴室の入り口に省吾が立っていた。




