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志真と悪夢の欠片たち 3

「おい、志真!」

 咎めるウィガーの硬い声と、周りのざわめきに志真ははっと我に返った。ベランダの男の話はまだ続いている。周囲の冷めた視線をちくちくと感じ、志真は慌てて椅子に座った。

「全く、何をやっているんだ」

 ウィガーの小言には構っていられない。今、一番気にするべき事は、ラスカゥルのことだ。逃げろってどういう事だろう。

(ラス?いるんでしょ?)

 程なくして、『シマ』と答える声があった。やけに声が小さく聞こえるが、間違いなくラスカゥルの声だ。

(良かった!ラス、心配したんだよ!どうしてたの)

 聞きたい事はいっぱいある。だが、ラスカゥルは問いには答えず、『すぐに逃げて』と真剣な声で繰り返す。

(逃げるって……)

 男の話は続いており、周囲は静かにそれを聞き入っている。隣では、ウィガーが渋い顔で志真を見張っている。こっそり外へ出て行くにしても、ここは中段の列の真ん中付近。沢山の人の間を通っていかなければならない。

(無理だよ、今は)

 この厳粛な雰囲気を壊すのには気が引けた。ついさっき、壊したばかりだけど。

(ラス、ちゃんと説明して。逃げろって何で?何があるの?)

 長い沈黙の後に、ぽつりと言葉が返ってきた。

『………敵対者、駄目、もう……』

「え?」

 聞きなれない言葉を最後に、ふっとラスカゥルの気配が消える。

(ラス?)

 呼びかけにも返事が無い。

「シマ、お前さっきから何をぶつぶつ言っているんだ」

 眉間に深く皺を寄せ、ウィガーが小声で文句を言う。長い話に嫌気が差したのか、聖堂の中はざわつき始めていた。今なら、喋っても大丈夫そうだ。

「あのさ、ウィガー。『敵対者』って何?」

 ウィガーなら知っているかも、そんな軽い気持ちで聞いた。はっと、見開かれた空色の瞳。何か信じられないものを見たという表情に、志真は焦りを覚えた。また何か、まずいことを言っちゃったかも。

「お前、それをどこから」

「え、いや、どこからっていうか……」

 最後まで誤魔化す必要はなかった。


 あー……、と不思議な声が響く。

 自然と声のする方へ目が向いた。

 その声の主は、舞台の上で踊っていた女性だ。膝を付き、大きく状態を反らして、声を出す。後ろへ反らされた白い首が、がくがくと揺れる。その異様な姿に、あたりは再び静まり返っていた。低音から高音へ。聞いているだけで、妙に不安になってくるような声だった。

 声が途切れるのとほぼ同時に、何かが砕けるような大きな音が響き、床が揺れた。拍子に椅子から落ちそうになったが、何とか肘掛にしがみ付き踏み止まる。


 な、何!?


 あちこちで混乱の声が聞こえる。一体何が起こったのか確かめる前に、もう一度衝撃が来た。さっきよりも近くで、耳がじんと痺れるような爆音と共に地面が揺れる。誰かの悲鳴と、叫ぶ声。もうもうと舞う砂煙のせいで、視界が塞がれる。

 げほげほと咳き込みながら、志真は身をかがめた。一体どうなっているんだろう。凄く怖い。逃げろと言ったラスカゥルの声が今更蘇ってきた。

 3度目の爆音が響いた時、誰かの腕が庇うように志真の肩に回された。ウィガーだ。志真はその腕にしがみ付いた。これで終わり……?そう思いかけたところに、もう一度凄い音が響いて、泣きたくなる。

 テロ、という言葉が頭を過ぎった。

 こんなの絶対普通じゃない。お祭りの一環では勿論無いだろう。そうでなかったら、こんなに悲鳴や泣き声が聞こえてくるはずが無い。


「新たな神々は既にこの地に下りています。正しい秩序と道を我らの前に作るために!我らはここで正しく生まれ変わるのです!」


 上にいた男がなにやら叫んでいた。多分、逃げるように指示しているのだろう。神に助けを求めているのかもしれない。

「シマ、立てるか」

「う、うん」

 情け無く震える足で立ち上がる。何が起こっているのかは分からない。多分、良くない事だ。人々は一斉にここから出ようとドアへと詰め掛けていた。そんな逃げようとする人々に押されて、うまく身動きが取れない。何とか倒れないようにするだけで精一杯だ。

 慌てない、押さない、しゃべらない……、そんな避難で大切な項目を守っている人など誰もいない。

 入り口の方には、フィオーネや伊吹がいた筈だ。アルジャラーもこの聖堂のどこかにいる。だが、大勢の人々の中から彼らの姿を探す事はできそうにない。


 無事だよね?


 祈るような気持ちで思う。

 フィオーネはしっかりしているし、伊吹は相当ちゃっかりしている。アルジャラーは。小さな頼りない姿を思い出して、志真は後悔した。やっぱり手を繋いでおけば良かった。無理してでも探しておけば。

「あれが落ちたのか」

 ウィガーの声に顔を上げると、志真の目にもそれが映った。ボックス席だ。箱型の形を保ったまま、床にのめり込んでいる。中にいた人はどうなったのだろう。黒っぽい石を組み合わせて作られたそれは、何だか黒い棺桶のようにも見えた。

 人の波に容赦なくぎゅうぎゅうと押されるが、一向にドアに近づかない。まるで、満員電車にのっているかのようだ。一向に流れが解消されない原因は、ドアが開かない為だった。

「これ以上押すな!」「開かないんだ!」「そんな馬鹿なことがあるか!」そんな怒鳴り声が聞こえてくる。

「押さないで、ドアが熱いの!」

「やめろ!」

 怒鳴り声はやがて悲鳴へと変わった。何が起こったのか分からないが、尋常ではない叫び声に、志真は震えた。

「火事だ!」

 と誰かが叫ぶ。

 何処からか入り込んだ煙で、聖堂の中は白くくすんでいた。落ちたボックス席から、火の手が上がっている。1つではない。4つ全部だ。赤い炎はじわじわと客席の方にまで広がっていく。炎によって人々は、一層逃げ場を塞がれ、分断された。


 更に一際大きな悲鳴が舞台の方から響いた。

 他の人達と同じようにそちらを振り返った志真は、息を飲んだ。


 なに、あれ。


 驚きすぎて声にならない。ただ息だけが開いた口から漏れた。

 白い舞台に広がる赤い色。あれは、血だ。その中心に、手足を投げ出し横たわった黒服の男がいた。ぴくりとも動かない体の上で、白いものが蠢いている。


 な、何なの、あれ。


 それは異様な形をしていた。異様に長く伸びた白い手足を蜘蛛のように折り曲げて、4つ足で立つ女。血に染まった白い髪、それは先程舞台で踊っていた女性と同じものだが、形が違う。

 舞台の上で歌っていた数十人の男女が、悲鳴を上げて逃げ惑っている。

 女の手がにゅっと伸び、逃げ出そうと這っていた女性の足を捕まえた。まるで玩具の人形を拾うように軽々と、持ち上げて。引きずられる女性の、言葉にならない悲鳴に体が竦む。

(やだ!)

 志真は思わず目を瞑った。絶叫と共に、恐ろしい音が響く。

「……っ」

 がくがくと手足が震える。ウィガーの腕が無かったら、もう立っていられなかったかもしれない。

 幽霊は…ラスカゥルは怖くなかった。怖いけど、大丈夫。でも、あれは無理だ。だって、あれ、あんな化物がこの世界にいるなんて聞いていない。

「なに、何なの、これ」

 夢?そうとしか思えない。

「……落ち着け、シマ」

 視界が滲む。煙で……、涙で。ドアは相変わらず開かない。火の手は確実に勢いを増して広がっている。逃げ場が無い。どうしてこんな事になっているのか分からない。でも。

「ご、ごめん、ウィガー。わ、私が来たいって言った、言っちゃったから」

「……シマ。良いから落ち着け」

「な、何で、どうしよう、私…っ」

「シマ、落ち着くですー」

 のんびりとした少女の声が聞こえた。ひんやりとした冷たいものが、志真の手を握る。目の端に映った緑色のものに焦点を合わせると、アルジャラーがにっこりと眠たげな笑顔を見せた。

「ようやく見つけましたー。心配したのですー」

「あ、アル、アルジャラー!」

 ぶわ、と涙が毀れた。

「よ、良かった、良かったよ、無事で!」

「今のところは、無事ですのー」

「え?」

 アルジャラーは、こてんと頭を志真の胸に凭れさせた。

「火はやっぱり嫌いですー」

 くったりと少女の体から力が抜ける。

「ちょ、ちょっと、アルジャラー!?」

 ウィガーが深く溜息を吐き、アルジャラーの体を抱え上げた。肩に頭を凭れさせ、立ち上がる。

「行くぞ」

 ウィガーの言葉に、志真はしっかりと頷いた。今も怖い。それでも震えは大分治まっていた。怖がっている場合ではない。反省も謝罪も後だ。火の手がすぐ傍まで来ていた。


 大丈夫、ウィガーもアルジャラーもいる。

 1人じゃない。

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