志真と空の上の住人 1
志真の中で、各務伊吹という男の印象はかなり悪い。
口が悪いし性格も悪いし、意地悪だし、捻くれている上に、頭の良さを鼻にかけている節がある。こう、いつもいつも人を小ばかにしたような目線で見ているのだ。それが、この世界で唯一の日本人仲間なのだから、本気で参る。彼のせいで、日本人のイメージが悪くなるかもしれない。
全く、由々しき事態だ。
それでも、そんな相手でも同じ立場の日本人。傍にいるのは心強かった。何だかんだ言いつつ、頼りに思っていたのだ。
それが。
(いきなり出て行くとか、何それ)
今、思い出しても腹立たしい。むかむかする。フィオーネが何か言って引き止めて、その後ウィガーまで間に入って、取りあえず保留という形に治まったみたいだが、志真の怒りは治まらなかった。
普通、相談くらいすると思う。
そりゃあ伊吹と志真は友達とは言えないし、家族でも無いが、同じ境遇の仲間みたいなものだと志真は思っていた。何かあったら助け合える相手だと、勝手に認定していた。
裏切られた、と思うのは間違っている。
志真が勝手に期待していただけだから、希望通りにいかなかったからと言って恨むのは筋違いだって、分かっているのだ。
でも、むかつく!
志真は怒りのまま、窓を拭く手に力を込めた。
ルーミケラウスが休暇を取っている為、彼女の分の仕事もしている。とは言っても、食堂を閉めている今それほどする事は無い。人が来なくても埃は溜まる。だから、掃除だけは毎日しているが、それでも時間が余るほどだった。
伊吹はいつも通りの時間に仕事に出て、日が暮れた今も戻らない。学校で顔を合わせたが、言葉は一切交わさなかった。志真が怒って話しかけなかったからだ。
(……そういうのも、むかつく)
伊吹から、話しかけてはこなかった。あからさまに怒っている志真を見事にスルーして、普通に授業を受けていた。終わるとそのまま学校を出て、その後は知らない。
こんな時に、どこで何をやっているのか。
志真は溜息を吐いて、手を休め薄暗い食堂を見渡した。椅子の上から見る食堂は、がらんと静まり返っていていかにも寂しい。いつもあんなに賑やかだったのに。美味しい匂い、人々の笑い声が幸せだった。
一番哀しいのは、自分に何もできない事だ。
この宿屋の事も、それからモクの事も。
大切な人達が苦しんでいるというのに、何もできていない。何も出来ないまま、時だけが着実に進んでいく。
つん、と目の奥が熱くなった。
駄目だ!またうじうじしてしまう。泣いて落ち込んだって解決する事は何も無い。志真は首を横に何度も振って、汚れた雑巾を握り締めた。
「ゴミ捨て行って、次の仕事聞きにいこ」
椅子と雑巾を片付けて、隅に纏めておいたゴミの入った籠を手に、志真は外へ出た。ゴミは処理をする日にちが決まっていて、その時までは裏庭の箱の中に溜めておく。裏口から外に出た志真は、裏戸のところに怪しい人影を見つけた。
何か前にもこんな事があったような。
デジャヴを感じつつ、人影を観察する。以前に見た人とは違うようだ。大分背が低い。子どもかもしれない、そう見て警戒心が少し薄れる。柵の向こうを行ったり来たり、うろうろと。どこか困った様子で移動している。
もしかして、迷子とか?
少し考えて、志真は声をかけてみることにした。近づけば、人の姿もはっきりしてくる。今日は夜でも星が明るい。白いフードで頭部をすっぽり覆い隠した子どもの姿を目にした志真は、ぴたりと足を止めた。
何か怪しい。
唯一見えているのは口元だけだ。子どもみたいだし、強盗という事は無いだろうが。
どうしよう。
迷っているうちに、子どもの方も志真の存在に気が付いた。足を止め、はっとしたようにこちらに注目している。緊張感が、志真のほうにも伝わってきた。
互いに見詰め合うこと数十秒。
こうしていても始まらないと、志真は口を開いた。
「なに?迷子?」
「…………」
「ここ、宿屋。わかる?」
「………………」
一向に答えない子どもに、志真は困惑する。もしかして、発音が酷すぎて聞き取れないのか。
「あー、えっと、どうしよう。……名前、は?保護者、近く、いる?……うわー、駄目だ。やっぱりフィオーネ呼んで来よう!……ちょっと、待つ」
ゴミを地面に置き、志真は宿屋に戻ろうとした。その時。
「ま、待て!」
と、声が掛かった。まだ高さの残る、少年の声。『待て』と言った?思わず振り返ると、フードの少年がこちらに身を乗り出していた。
「そなた、異世界人だな?12世界から来たシマ・ハイタニに間違いないか?」
妙に聞きなれない言葉な気がした。いや、全部聞きなれない言葉なのだが。ただ、異世界人という単語や、自分の名前が入っている事は流石に分かる。
「え、何。何で私の名前?」
「……?」
思わず素に返って日本語を話していたこと。
「えーっと、私、シマ・ハイタニ。知ってる?」
「間違いないのだな。私はそなたに助けられた。助けられた恩は、返さなければならぬ。何か願いがあれば申してみよ」
志真の胸ほどまでの高さまでしかない身長の子どもは、胸を張り、実にどうどうとした態度でそう言った。星の光で少年の被る白いフードが、きらきらと神秘的な光の波を作っていた。
何か、凄いことを言っているような気がする。
雰囲気だけは、言葉が無くとも伝わるものだ。しかし生憎、彼の言葉の内容までは志真翻訳してくれる事はなかった。
「ごめん。言葉、まだ弱い」
「!」
「人、呼ぶ、待ってて」
「だ、駄目だ!誰も呼ぶな!」
必死な様子の少年に、志真は首を傾けた。人を呼んで欲しくないのだろうか。
(もしかして、家出少年?)
親とでも喧嘩して逃げてきたのだろうか。志真も2度ほど経験がある。家出先は友達の家と祖母の家だった。
日も暮れているし、親も心配しているだろう。だが、志真にはこの子どもの気持ちの方が分かる。だから、少しだけ時間を上げることにした。
「分かった。待つ。気持ち…嫌なこと、あった?話して?聞くよ」
「あ……ああ、いや」
「うん?」
「いや、そうではなくて。私の方がそなたに聞きたい。異世界人としてこの国で暮らすのは、大変だと聞く。何か、辛いこと、困っている事は無いのか」
どうもこの子どもの言葉は解読しにくいな、と思いつつ。志真は分かる言葉を繋げて何とか理解しようと試みる。辛いことや困っていることが無いかと、逆に聞かれているようだ。
「えーっとね」
ネタには困らないが、会ったばかりの子どもに対して話すことだろうか。
「たくさん、ある。でも」
「言ってみよ」
柵に手をかけて、身を乗り出してくる。
何か妙に食いつきが良い。人の苦労話を聞きたいなんて、変な子どもだ。でもまぁ、それで気が済むなら良いか、と志真は思った。
「言葉、難しい。私、力ない。頭も悪い。好きな人達、助けられない」
「好きな人達とは?」
「この宿屋の人達。あと、学校の友達。モク」
「モク?」
「うん。異世界人。私、助けてくれた。でも、私にはできない」
思わず真面目に話してしまった。我に返って、志真は苦笑する。
「えーっとね、だから。いっぱいあるよ。でも頑張る。それしかない。だから、君も頑張る!」
子どもを励ますつもりで声をかけた。
だが、妙に重々しく、子どもは頷いた。
「そなたの願いは理解した。必ず私が叶えよう。チャタレイ・フィナス・イルド・アティカの名にかけて誓う」
うんうん、と志真も頷く。
何て言っているかさっぱり分からない。
しかし、何か満足した様子であったので、問題は無いだろう。去っていく子どもを見送って、志真はゴミをきちんと片付けた。
その出会いが齎すものを、志真はまだ知らない。




