志真と空の上の住人 2
翌日、いつものように支度をして調理場に向うと、カオロンとミーチェの姿があった。
「カオロンさん!ミーチェさん!」
「おや、おはようシマ!」
にこにこと、変わらぬ笑顔のカオロンとミーチェの姿に、志真はほっとした。2人がいるだけで、狭い調理場がぱっと明るくなるようだった。
「もう大丈夫?」
「いやあ、心配かけて悪かったなぁ。腕はまだちょっと痛むんだが、あんまり休んじゃいられないし、何より暇で暇で」
「そうそう、この人ったらずっと退屈だってそればっかりでねぇ。ま、働くのが何よりの薬になるんなら、そうした方が良いと思って、奥様にも頼んだんだよ。これから、またよろしく頼むね、シマ」
元気そうな2人の様子に、志真も自然と笑顔になる。調理場の隅で野菜を洗っているラクトも、心なしか嬉しそうだ。
本当に良かった。
後はこれで、客が戻ってくれば言う事無いが。
「……そうそう、うまくはいかないか」
テーブルを拭く手を止めて、志真は小さく溜息を吐いた。食堂内は閑散としている。今入っている客は3組のみ。その内の2組は泊り客。いつもなら夕飯のこの時間、待っている人もいるくらい混み合っていたのだが。
(まぁ、今日はまだ再開した事を知らない人も多いのかもしれないけどさ)
それにしても、少なすぎる気がする。
視線を巡らせると、フィオーネが客の1人と話しているのが見えた。話し相手の客は、25、6歳の真面目そうな感じの男の人で、何度もこの店に食事に来ている常連客だ。志真も何度か接客したことがある。ルーミケラウスが言うには、フィオーネに気があって、彼女目当てに店に来ているんだとか。
(なに話してんだろう)
フィオーネの深刻そうな顔が気になった。不安そうな、でもちょっと怒ってもいる感じ。少なくとも告白とか、そういう雰囲気ではなさそうだ。
「すみません」
違う席の客が手を上げて、志真ははっと我に返った。
「はい、すぐ行きます!」
新しい注文を取って、調理場に伝えに行く。そうしている間に、常連客の男は帰っていた。いつもなら、結構遅くまで飲んでいくのだが。そういえば、いつもなら大抵2、3人の友人と一緒に来ていたような気がする。
今日は、1人だったから早く帰ったのだろうか。
「…………」
何か色々と気になってくる。志真は空いた席を片付けるフィオーネの傍へ行った。
「フィオーネ、手伝う」
「…ありがとう、シマ」
らしくなく、ぼんやりとした様子だ。
何だろう、やっぱり何か言われたのかも。それもあんまり良い事じゃないこと。まさか、別れ話……?いや、別に付き合ってるなんて話は聞いた事無いけど。
空いた皿を重ねて手に持ちながら、志真はフィオーネを見つめた。眉間に皺。少しだけ険しい表情をすると、ウィガーと益々似て見える。
「あの、フィオーネ?」
「何?」
「今、さっきの人、何か言った?」
さっと、フィオーネの顔が強張った。何を言ったのか知らないが、フィオーネにこんな顔をさせるなんて。いい人そうだと思っていたけど、次に来たら何か報復しておくべきか。
「フィオーネ、元気出す。今度、私怒る」
「え?……あ、違うよ、シマ。あの人はただ心配してくれただけで、色々……」
色々?
フィオーネは少し迷うような様子で、言葉を続けた。
「良くない噂を聞いたみたいで。それを教えてくれたの」
「うわさ?」
うわさって、何だっけ。
まずそこで引っかかって、それ以上話を聞く事ができなかった。店に付き纏う不穏な噂について志真が知ったのは、翌日、学校にて。
「うわさ…?噂だろ」
「噂かぁ」
ラスカゥルがいない今、こうして分からない単語は誰かに聞くしかない。誰かというか、伊吹かウィガーしかいないのだが。更に言えばウィガーが最近捕まらないから、聞く相手は伊吹になってしまう。
未だ出て行こうとした事を根に持っている志真にとっては、非常に悔しいこの状況。何だか情け無くなるが、背に腹は変えられない。ラスカゥルがいれば、と何度も思った。本当に、彼女はどうなってしまったのだろう。もう成仏しちゃったのだろうか。
「それが何だよ」
何やらノートに書き写しながら、伊吹が聞く。テーブルの上には、難しそうな辞書っぽいものが山のように積まれていた。小さな挿絵があるものの、細かい文字がびっしりで、志真にはとても解読できそうに無い。
挿絵は植物の絵ばかりだ。植物の辞書か何かだろうか。そういえば伊吹の仕事は、農業だった。つまり、これは仕事の勉強?
そういうところは素直に凄いというしかない。嫌なやつだけど、ちゃんとやるべき事はやっているのだ。
「何っていうか、私にも良く分からないんだけど」
「ちゃんと説明しろよ」
とか言って、辞書を見ている伊吹の体勢は、ちっとも人の話を聞くものじゃない。
まぁ、良いや。
1つ分席を空けたところで、志真は机に頬杖をついた。
「昨日、食堂久しぶりに開いたでしょ。お客さんは殆ど来なかったけど、良く来る常連のお客さんが来ててさ、何かフィオーネと話してたんだ」
「で?」
「何っか、フィオーネの様子が変だったから、何か嫌なこと言われたのかと思って。心配で聞いてみたら、何か悪い噂があるとか何とか言われたって」
それは多分、異世界人のことなんだと思う。どんな噂なのか詳しくは知らないけど、宿屋の客が減っているのはその噂のせいでもある。
「異世界人が、宿屋の従業員に怪我を負わせた」
「へ?」
唐突な伊吹の言葉に、志真は目を丸くした。
「客も何人か、異世界人に暴力を奮われたらしい。食事に何か異物を混ぜているのを見た。それで不審な死を遂げた者がいる。従業員の一人が、口封じに脅され身の危険を感じて逃げた。異世界人の女が、他の異世界人に、この宿を襲わせようとした。宿屋は金をもらっているから、それらの事件を隠そうとしている」
「何、いきなり」
「だから、宿屋に纏わる最近の噂だ」
噂って。
理解するまでに数秒かかった。
「はぁ!?何それ!従業員に怪我を負わせたって、それこの前の客の方だし!」
「事実と違っても関係なく、噂は広まるからな」
「だ、だって、いくらなんでも違いすぎる!」
「まぁ、誰かが意図的にうまく事実を捻じ曲げて、噂を流しているんだろうな」
「誰かって、誰が!」
「俺に聞くな。でもどうせ、反異世界人組織のどれかだろ。多分、カオロン達に怪我をさせた奴らもグルで」
「な、何それ、本当にありえないんだけど!」
自分たちでカオロンにあんな怪我を負わせておいて、そんな噂を流すなんて、最低すぎる。許せない。
「商売やっているところには、噂の影響は大きいからな。噂だけで潰れた店もあれば、逆に儲けた店もある。目の付け所は悪くない」
「何褒めてんの!」
「別に褒めてない。ただ、客観的に見ただけだ」
そもそもなんでそんな冷静でいられるのだ。伊吹にとってはやっぱり、他人事でしかないのだろうか。
(ああ、余計にもやもやする!)
「けど、この噂何か引っかかるんだよな」
「何かっていうか、全部引っかかるよ!嘘ばっかりだし!」
「そうでもないだろ。一部は正しい。正しいことが混じっているから、余計に信憑性が出ているんだよな」
後半は独り言のように、伊吹が呟く。
彼が何を気にしているのか、志真にはさっぱり分からなかった。というか、どうでも良い。今、考えるべきなのは、その噂を何とかする方法だ。
年末年始は実家に帰るため、一時更新をストップします。次の再開は1月10日頃を予定しています。今年はありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。




