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菊乃の衝撃 1

 長く鳴り響いていた警報音が鳴り止んで、菊乃はほっと息を吐いた。

 一体、何が起こっているのだろう。

 ぱっと思い浮かぶのは火事だった。後は、泥棒が入ったとか、そういうことくらいしか思いつかない。

 気になるが、確認する手立ては無い。現在菊乃は、異世界人保護法、第32条違反で保護施設に隔離されている。トイレと風呂付の狭い部屋で暮らし、1日4時間の検査以外は外にも行けない。

 本は持ち込みが可能だったから、何とか退屈を紛らわし、疑問に対する答えを導き出そうと努力していた。食事は出るし、体罰のような事も無い。想像したよりはずっと、マシな環境である。


 馬鹿かお前は


 引き絞るような声だった。

 いつもみたいに嫌味やからかいを交えることなく、真正面から怒りをぶつけられたのは、あれが初めてだ。

 一言罵った後、背を向けたユーイを、ジェレミーが何とか取り成そうとしてくれたが、その怒りは治まらなかった。

「お前みたいな馬鹿の面倒は見切れねぇよ。希望通り、保護施設に入ってろ」

 そう、自分が希望した通り、菊乃は今ここにいる。

 いつ出られるかも分からない。あれだけユーイを怒らせてしまったのだ。例え施設を出ても、行き先が無いかもしれない。確かに馬鹿な事をしたと思う。だが、良く考えた上で決めた事だ。


 症例38。

 それが何なのか知った時に、決意した。


 落ちてくる異世界人の中には時折、身体に異変をきたす者が現れる。

『敵対者』と呼ばれるものも、それの一つだと考えられているらしい。

 単純に、外見に変化が出る者が最も多くて、目の色、髪の色が変化したり、若返ったり年を取ったりするような例が報告されている。若返るのはともかく、いきなり年を取ってしまうのは、結構辛いものがあると思う。

 それから、知的、精神的に何らかの影響を受ける者。こちらは深刻で、記憶喪失、言語障害をはじめ、動物のようになってしまったり、人格変化、それに多重人格になる場合もあるとか。当初は、異世界に渡ったショックから引き起こされると考えられていたが、別に原因があるようだ。

 そして最後が、能力付加だ。それまで持ち得なかった力が身に付くというもので、こちらは他2つに比べて発症例は少ないらしい。単純な身体能力の向上から、いわゆる超能力みたいなものまで。菊乃はこの3番に該当する。

 能力付加。


 あの日、ハルラックのピンチの際、辺りが突然湖に変化したのは、菊乃がやったことだったのだ。

(信じられない)

 異世界に来た事よりも、衝撃だった。

 あの時の事を振り返ってみると、確かに、何か妙な感覚があった記憶はある。

(でも、まさか)

 その事と辺りが湖になった事を結び付けては考えない。そんな超常現象を、自分が引き起こしたなんて。菊乃の常識からしたら有り得ない話だ。例え、ここが異世界だとしても。

 ユーイ達はそれを見抜いて、菊乃の疑いを晴らしたのだ。

 症例38。

 異世界へ渡る際に、精霊や、神と呼ばれる力の塊と接触、融合を果たした者の内、肉体、人格変化を起こさなかったケース。

 能力付加があった場合、人格変化や身体変化を伴うケースが非常に多いらしい。

 

 運が良かったのだ。


 一歩間違えれば、菊乃が敵対者になっていてもおかしくなかった。

 敵対者とは、3つの症例全部を引きおこし、反社会的な行為を行う者。尋常ではない力で、あらゆるものを破壊し、殺す。

 敵対者は他と違い、その変化はゆっくりと現れる。だからこそ、彼らは菊乃の扱いに慎重になっていたのだ。見ただけでは分からない。ただ、ユーイが言うには、何だか分からないが揺らぎが感じられるのだそうだ。


 揺らぎ。

 菊乃は俯き、胸の辺りに右手を添えた。あの時確かに感じた。ここで暴れる、何かを。


 こん、という微かな音に、菊乃ははっと顔を上げた。分厚いドアは、内側からは開かないようになっている上、多少の物音は遮断してしまう。勿論、隣の部屋の音も聞こえない。

 同じ音がもう一度、ドアの向こうで鳴った。

 外に誰かがいる。菊乃は小さく息を飲んだ。職員なら、名乗ってドアを開ける筈。こんな風に、周囲を伺うようなノックはしない。


「……誰?」

 恐る恐る呼びかけてみる。大きな声は出せなかったから、もしかしたら聞こえなかったかもしれない。暫くして、返事があった。

「誰でもない」

 ふざけた返答だった。からかっているのか、それとも何かの謎かけなのか。声の主は若い男のようだった。低く、くぐもって聞こえるのは、ドアのせいだろうか。判別しにくいが、知っている声では無い気がした。

「あんたはキクノ・サカマキだろ」

「知ってるの?」

「ああ、ちょっとな。知人から聞いてる。それで、少し興味が出た」

 知人とは誰のことだろう。菊乃の知り合いはそんなに多くない。

「何故、こんなところにいるんだ?」

「……保護法違反」

「反異世界人過激派の奴らに殺されそうになった時の事か?自覚以前のものは、その数に入らない筈だけど」

 何故そんな事まで知っているのだろう。

「誰なの」

「自分からここに入ったって噂だが、本当なのか?」

 噂って、何。

 本当にそんな噂になっているのだろうか。

 菊乃は眉根を寄せて黙り込む。大体、何でそんな事を知りたがるのだろう。誰なのかも、言わないし、怪しいことこの上ない。黙っていると、更に質問が来た。

「何が目的だ?」

 まるで、尋問のようだ。あんまり気分の良いものではなく、菊乃は眉根を寄せた。

 誰かも分からない相手に答える義理は無い、と思う。

「どうしてそんな事聞くの?」

「知りたいから」

 実にシンプルな答えだった。知りたい。その答えに、菊乃は共感を覚える。軽い苛立ちと反感に目と瞑り、菊乃は答える気になった。

 別に、大した理由ではない。


「私もそう」

「うん?」

「知りたかった。いろいろなこと。保護施設のことも。ハルラックさんが、私を助けたことでどうなっているのか。全部、ちゃんと私の目で見て知っていきたい」


 それに。

 ハルラックと同じように力を使ったらしい自分が、保護施設に隔離されないでいるというのも、何となくすっきりしなかった。勿論、これがただの自己満足に過ぎないという事は分かっている。ハルラックが知ったら怒るかもしれない。でも。

 自分のやりたいようにする、とそう決めたから、折れなかった。

 お陰でユーイの怒りを買ってしまったが。


「あんた達は平和な世界から来たんだな」


 小さな溜息とともに、男が言った。

「気に入る答えじゃなかったが、素直に答えてくれた礼はするよ。俺の名は『チフセ』、仕事は世界に病気をばらまくこと」

「…え?」

「この時期に、あんたみたいなのが現れると、俺でも少しばかり考えちまう」

 男が何を言いたいのか、分からない。だが、妙な胸騒ぎがして、菊乃は後ずさった。狭い部屋で、すぐに壁についてしまう。

「運命……っていう、馬鹿らしいものをさ」

 先程消えた警報音が、頭の中で鳴り響いていた。


 瞬きも出来ず、見つめる中、ドアがゆっくりと、横に開く。


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