菊乃の衝撃 2
ユーイ・ユーイという人は、気まぐれで自己中心的である為に敵を作りやすい。周囲から扱いにくい人だと思われているが、ジェレミーからしたら中々分かりやすく面白い人だった。短気で素直じゃ無い為、誤解されがちだが、ユーイはそれなりに親切で面倒見が良い。
そうでなかったら、自分はここにいないだろう。
11年前、誰からも背を向けられ、風前の灯となっていたジェレミーの命を拾ったのは、ユーイ・ユーイ。周囲の反対を押し切って自分の弟子に迎え入れてくれた。
ジェレミーはその時14歳。ユーイもまだ20歳になったばかりの若造だった。
1度、情を移してしまえば、切る事はできなくなる。
だから、ユーイは必要以上に菊乃にきつく当たり、遠ざけた。そう話したら、菊乃は信じるだろうか。そもそも、ユーイが菊乃を引き取る決意をしたのは、彼女が保護施設で毒を盛られたからだと知ったら。
自分が殺されかけたことすら、彼女は気が付いていないだろう。
身元確認を徹底しているものの、多数の職員が出入りする保護施設にいれば、菊乃の安全を保障する事はできない。だからこそ、ユーイが彼女の保護者として名乗りを上げた。敵対者であるか否か、その判断をするという名目のもと。
その時点で、充分肩入れしているとジェレミーは思うのだが。
「何とかなりませんか、その天邪鬼」
苦笑しつつ、不機嫌な上司に声をかけると、棘のある視線が返ってきた。
長椅子にうつ伏せに寝そべり、すっかり不貞腐れている。だらりと床に伸ばされた手に、空のグラス。テーブルの上では倒れた酒瓶が、2本。その内の1本は倒れ、絨毯に赤黒い染みを作っていた。あれはもう駄目だろう。酒臭い。ジェレミーは鼻の下に手を当てた。酒は好きだが、酔っ払いも充満する酒の匂いも嫌いだ。
「そうやってヤケになるくらいなら、何で許可出したんですか」
「るせぇ」
低い声で唸った後、ユーイは顔を背けた。
すっかり不貞腐れている。
ジェレミーは肩を竦めた。原因である菊乃は、今は保護施設に収容されている。その事が、彼女の希望でユーイの不機嫌の理由だ。
(あの子も案外頑固で、不器用だ)
そういうところも可愛いと思うが、そのせいでここから出て行ってしまう事になり、ジェレミーとしても寂しい思いをしている。
大人しくて、従順なようで、中々懐かない臆病な小動物みたいだった。
びくびくする様が可愛くて、ついからかい過ぎてしまったような気がする。優しくしようと思うのに、気が付けばつい。
女性には優しく、紳士的な対応を心がけていた筈。それが、菊乃には生かされていない。どころか、結構反応を見て楽しんでしまったような。
由々しき事態だ。
「……最近、ユーイ様の天邪鬼が移ってきたような」
「あぁ?」
「いえ、何でもありません。とにかく一刻でも早くキクノを迎えに行きましょう」
「……退所時期を決めんのは、俺じゃ無ぇ」
「そんな事言って、いくらでも無理を通せる立場でしょうが。変な意地を張らないでください」
「絶対に嫌だ。あいつが俺に頭下げて泣きついてくるまでは、絶対に助けてなんかやらん!この家にも入れない!」
ユーイは真っ赤な顔で怒鳴ると、手にしていたグラスを投げつけた。幸い、毛足の長い絨毯の上に落ち、割れる事は無い。
ごろりと転がったそれを目で追って、ジェレミーは深く溜息を吐いた。
誰も彼も、困った人達だ。
菊乃の思考は、良く分からない。だが、何故か保護施設へ入ることを希望した。保護法違反者として、保護ではなく、収監されることを望んだ。
ユーイはそれを、こんな家にいるくらいなら、社会不適合者として施設で監視される方が良いという意味だと受け取った。そう思ってしまうくらいの、後ろめたい事情がある。真摯に(ユーイなりに)謝罪して、その意思を曲げようと説得を試みたが。
駄目だった。それどころか。
『では、改めて、やります』
菊乃は真剣な眼差しで、ユーイを見つめた。
『ここで、力を使う。そうしたら、次は保護法違反、なりますね?』
菊乃は本気だった。その意思は固く、とても変えられるものではない。
結局彼女がそれを実行する前に、ユーイが切れて、菊乃は希望通り保護施設に収容された。そして、ユーイは今も不貞腐れている。
これだけ腐っているのは、いつかの出来事に重なってしまったからか。ユーイ・ユーイの心に、今もなお消えない影を落とす過去の事件。あれもまた、異世界人に関わるものだった。すれ違い、最後には怒りの言葉をぶつけて、自分たちの前から姿を消した友人。
あの時の事を、ジェレミーもまた忘れていない。
(あの人は、今も生きているのだろうか)
出きれば同じ過ちは、繰り返したくなかった。
ジェレミーは、こちらに背を向けて寝転がるユーイを横目に見る。さて、どうやって言いくるめようか。機嫌を取るには、どうしたら。一度菊乃に会いに行って、向こうの意思を確かめた方が良いかもしれない。機嫌の悪い男の酔っ払いを相手にするよりは、可愛い女の子と話す方が絶対に楽しい。
あれから5日が経っている。そろそろ菊乃の顔も見たい。そんな事をぼんやりと考えている時だった。
慌しい足音が聞こえた。いかにも慌てているような足音に、顔を上げる。ノックも無しにドアが開いた。そこに立っていたのは、彼らの古い友人、ウィガーだった。
不器用の上お人よしで、いつも要らぬ苦労を背負い込む男は、今日も何か問題を抱えている様だ。
「どうしたんですか、ウィガー。今日もお忙しそうで」
ぎろり、と殆ど白目を向けられた。目が血走っている。
「悠長な事を言っている場合か!ユーイ!何故通信に出ない!」
「うるさいな。今日は休暇日だ」
「緊急時にそんなものは無い!」
「おや、本当に大変そうですね」
ぎりぎりと、歯が欠けるような音が聞こえる。余程のことだと、渋々ユーイが体を起こした。
「何だよ」
「色々あるが、重大な事項は2つ。1つ目、地下研究所に押し入り、検体の1部を持ち出したものがいる」
さっと、ユーイの顔つきが変わる。
ジェレミーも、口を挟むことを止めた。
地下研究所に保管されているものは、どれも異世界から持ち込まれ、危険であると判断されたものだ。病原体や、有害な細菌、植物、動物、鉱物。その最たるものが『敵対者』だ。
「持ち出されたのは、ウィルドの炎」
ユーイの目が見開かれる。ウィルド、とは、保管されていた敵対者の1人の名だ。完全に機能を停止していたにも関わらず、その心臓で燃え続けている核、それがウィルドの炎。
「一体、何やってやがった!ケラスの奴らは?昼寝でもしてたっていうのか」
「お前が寝ている間に、色々あったんだ」
ユーイは苛立った顔をしながらも、身支度を整え始めた。皺のよったシャツを脱ぎ、新たなシャツを引っ張り出しながら、怒鳴る。
「重大な事項のもう一つは何だよ」
流石に、これ以上に悪い事は無いだろう。そう、思っていたが。
ウィガーは陰鬱な顔になった。
「キクノが消えた」
その言葉に、ユーイもジェレミーも動きを止めた。
「何だと?」
「ドアが外から壊された形跡があり、室内には争った痕跡もあった。何者かに連れ去られた可能性が高い」
「何者の仕業か、見当はくらいはついているのですか?」
「まだだ。ただ、部屋に血痕が残っていた。それがキクノのものと一致した事から、キクノは怪我を……それも、結構深い傷を負っていると見られている」
思いの他、ユーイは落ち着いているように見えた。
「生死は?」
「不明」
「そうか」
菊乃が連れ攫われた。生死不明。
思いの他、衝撃を受けていたのはジェレミーの方だ。




