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志真と宿屋一室、曰く付き 2

 予想に反して部屋の中は明るく、清潔だった。志真がイメージしていたような、いかにも何か出そうな雰囲気はまるで無い。

「おー」

 広いし、綺麗だ。

 大きな出窓には、レースと桃色のカーテンがかけられ、薄い青色の硝子で出来た一輪挿しには、可憐な感じの白いマーガレットみたいな花が生けられている。

 木製の丸いテーブルに2脚の椅子。どれも華奢で可愛らしいデザインのもの。

 椅子にのった手作りっぽいクッションは、花柄や赤い生地を組み合わせたものでやたら可愛い。

(なんだ、これ……)

 嫌な予感が湧き上がる。

 志真は何が潜むか分からないジャングルの奥地でも歩くような面持ちで、部屋の中を歩いてみた。

 隅に置かれた本棚と机。同じ木材なのか薄いベビーピンクで、引き出しの取っ手部分が銀製で、兎の形をしている。メルヘン!右側にあるドアの向こうは寝室で、中にトイレとお風呂に続くドアがあった。

 前の部屋の半分くらいの広さの寝室には、どーんと大きなお姫様ベッドが。あの、上からカーテンみたいなのが垂れたあれだ。白いレースとベビーピンクのやたら可愛らしい代物に、志真は思わず後ずさった。

 ふわっとした枕の両隣に、愛らしい白兎と黒兎の人形がいる。首元に巻かれた、赤と青のリボンがまた可愛らしい、が。

 こ、これは……!

 志真は、平均的な女子高生よりも多少筋肉質だ。背も低く無いし、髪は黒くて硬いし、肩より下に伸ばした事は無い。肌の色も白くないし、目元がきつくて未だに(認めたくないが)男に間違えられる事もあるくらいなのだ。

 それが、

 この中で生活する自分を想像した志真は、げっそりとした顔になった。

「これは無い……ちょっと、ウィガー!」

 志真は部屋を飛び出した。幸い、ウィガーはまだそこにいた。

「あの部屋突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込めば良いのか…!」

「志真」

「もっとこう普通の部屋で良いんだけど、物置とか屋根裏とかで」

「志真」

 がし、と頭を掴まれて志真は沈黙した。

 何、この扱い、乱暴な!と抗議する暇も無く、そのまま顔を横へ向けさせられる。強制的に向けさせられた視線の先には、ふわっとした雰囲気の美人がいた。

「この宿屋の主人、リアラ・ハルベルトだ」

 何故か気鬱そうな溜息を吐き、ウィガーは更に言葉を紡ぐ。

「俺の、母だ」

「は、母!?」

 にこにこと微笑んでいるリアラに、志真は驚きの声を上げた。抜けるような白い肌に、零れ落ちそうな大きな青い瞳。長い睫も、波打つ柔らかそうな髪も薄い金。華奢で儚げで、とても同じ人間とは思えない。

 主にウィガーと。

「あんまり、似てないね。それにちょっと若すぎない?」

「……父の再婚相手だ。義母、と言った方が良いか。ちなみに父は3年前に亡くなっている」

「あー、やっぱり」

 納得だ。流石にリアラは、ウィガーのような子供がいるような年には見えない。異世界だから、こんなに見えて実は若いのかもしれないが。しかし、若くて美人な義母なんて、ちょっと……

「昼ドラのちょっといけない匂いがする」

「……ひるどら?何を言っている」

「お昼にやってるドラマ。禁断で背徳的な感じがするっていうか、だってちょっと複雑じゃない?こんなに若くて綺麗な人が同じ屋根の下にいるって。母親とは言っても血は繋がっていないんだし」

 その辺どうなの、と。

 言葉は通じないから平気かもしれないが、一応小声でウィガーに耳打ちする。

 にやにやと、志真の人の悪い笑みに、ウィガーは眉間に深く皺を寄せた。言いたい事は伝わったようだ。

「くだらん事を言うな」

「やー、だってさー」

「お前……若い娘の考える事にしては、慎みが無いぞ。妙な想像はやめろ」

「考え方、古い!そんな頑固親父みたいな事言ってると、若い女の子にもてないぞー」

「大きなお世話だ!お前こそ女を主張するならそれらしくしたらどうだ!」

「煩いな!図星だからって怒鳴らないでよ!」

「違うって言っているだろう!」

 志真とウィガーは睨みあった。とことん気が合わない。そう感じたのは多分、二人同時に。

 にこにこと、二人の口げんかを見ていたリアラが何かを言い、それに対してウィガーが渋い顔で何かを答えた。二人のやり取りは、志真にはさっぱり分からない。

 非常に悔しく、やり切れない。

 ここで日本語を話せるのはウィガーだけだなんて悲劇だ。悲劇としか言いようがない。何故神様は、もっと優しくて気の利く素敵な紳士を、日本語習得者に選んでくれなかったんだ!

「志真」

「……何よ」

「部屋は気に入ったか、だそうだ」

 そうそう、部屋。

「ああっ!そうだよ、部屋!あの………っ」

 異常に可愛らしい、志真にはどうしても似合わない部屋。志真は息を吸い込んだまま、天使みたいな笑顔でこちらを見上げるリアラを見つめた。

 期待に満ちた瞳。穢れのない瞳って、こういうのを言うのかもしれない。分かる、分かるぞ。言葉が通じなくても、彼女が何を期待しているのか。

「あの、あの……」

 正直に言うべきか、大人になるべきか。志真は。ちらり、と横に立つウィガーを見上げれば、相変わらず険しい顔でこちらを見ている。その目は何かを促しているように見えた。気のせいかもしれないけど。

「えー、そうですね。大変可愛らしい部屋だと思います。でも!私が住むにはちょっと立派すぎて心苦しいです。できればもう少し普通の……じゃなくて、狭くても暗くてもこの際汚くても掃除しますから!できれば身分相応の部屋に代えてください」

 よし。

 しおらしく、断りの文句を述べる事に成功…と思ったのだが。

 ウィガーの通訳に、何故かリアラは歓声を上げ志真の手を握ってきた。え、何か反応が。

「ウィガー?」

「……気に入ってくれて嬉しいと」

「ウィガー!?」


 何を言ってくれちゃってるのだ!


 部屋は結局変えてもらえなかった。


 この件で、すっかりウィガーへの不信を強めた志真だったが、結局のところ言葉が通じる相手は彼しかいない。腹が立つが、どうする事もできなかった。

 まぁ、住むところがあるだけでありがたいのは確かだ。諦めよう。

 この宿屋の住み込み従業員は後3名。まず、ウィガーの異母妹でリアラの娘のフィオーネ。焦げ茶色の長髪の、背の高いお姉さん。きりっとした感じの落ち着いた人で、どちらかというとウィガーに似ている。彼女は主に宿屋の受付にいて、財務関係を引き受けているとか。

 ちなみにウィガーは警備を担当(意外と物騒なのか)しているんだそうだ。

 酒場件、食堂にいるのがカオロン、ミーチェ夫妻。

 まずカオロンが酒場を担当している大柄な男性で、声が大きくていつも笑っているような陽気な人。もじゃもじゃ髭だし、眉毛も凄くて怖い人かと思ったが、優しい人だった。ウィガーに教わった挨拶をすると、にやっと笑って頭をがしがしと撫でてくれた。正直ちょっとくらくらした。その後に飴玉をいくつか渡された。もしかして、子供だと思われている?

 次に、調理を担当しているミーチェ婦人。カオロンの奥さんでやはり大柄、物凄く太った肌の綺麗な女性だ。年はカオロンより二つ下の58歳だそうだけど、皺があんまり無くてもっと若く見える。ミーチェも優しくて明るい人で、やっぱり頭を撫でられた。彼女がくれた何かの実のパイっぽいものは、物凄く美味しかった。

 宿屋の住人はこれで終わり。

 後は、通いの従業員が3名いる。

 掃除や洗濯、ベッドメイキングなどをしているアンナ。背の高い細身の女性で、そばかすの浮いた白い肌に金髪碧眼。忙しそうにしながらも、鼻歌交じりで何だか楽しそうに仕事をする、随分気さくそうな人だ。

 次に給仕を担当しているルーミケラウス。褐色の肌に、縮れた黒髪、濡れたような黒い瞳の随分色っぽいお姉さん。豊満な胸にくびれた腰、きゅっと上がったお尻とか大変羨ましい体型。ゆったりした喋り方で、やたらとスキンシップを図ってくるので、ちょっと困ってしまう。私は女です、女!と必死で念じていたけど、あっちは分かっていてからかっていたらしい。

 あわあわしている志真が、面白かったそうだ。

 最後に調理を手伝っている、ラクト。25歳、男性。彼についての話は、まだ対面する前に聞かされていた。

 フリッパという種族であること。成人しても130cm程の身長で、耳が平たく尖っていること、尻尾があること、肌の色が青みがかっていること。

 この世界には色々な姿形の人がいるという事は、教えられていた。大多数の人間は、志真とそんなに変わらないが、鱗があったり毛むくじゃらだったり。

「ラクトは繊細だ、失礼な態度を取るなよ」

 そうウィガーがしつこく念を押すものだから、余計な緊張を強いられた。ラクトの事はまだ良く分からない。挨拶した時もぺこりと頭を下げたくらいで、会話は何もなかった。

 嫌われたのかなと不安になったけど、ラクトは元々無口なのだそうだ。働き者で素直な良い子というのがミーチェの批評。どうせなら、仲良くやっていきたいな。


「こんなところ、かな」


 シャープペンシルを机において、出来上がった『宿屋の住人表』を眺める。皆の名前を覚える為に作ったものだ。

 似顔絵に年齢、特徴などを書き出してある。絵はあまり得意じゃないが、自分が分かれば良いのだから問題は無い。

「そろそろ、寝よ」

 夕飯も済んだし、お風呂も入った。今日は志真のする仕事の説明(掃除とベッドメイキング、それから給仕)を受けた上、ウィガーから厳しく言葉を教えられて疲れていた。

 おかげで挨拶と名乗り方は覚えた。「これいくらですか」と「迷子になりました、宿屋ファッダラまでの道のりを教えてください」も。

 フィオーネと二人で買い物に行く事になっていた。言葉が通じないのが不安だが、ウィガーは忙しいというので、仕方が無い。


 まぁ、何とかなるよね。


 ベッドに入って目を閉じる。ふっかふかの感触に、感動を覚える。シーツはさらっと心地よく、花みたいな香りがした。

 そのままあっという間に眠ってしまった志真は、暗闇の中でそっと動くそれには気がつかない。

 独りでにぱら、と捲れるノート。持ち上がるシャープペンシル。

 そして、書き足される文字。


 宿屋に住まう、もう一人の存在に志真はまだ気が付いていなかった。


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