志真と宿屋一室、曰く付き 1
志真が落ち着いた後は、とんとん拍子に話が進んだ。簡単な歴史と、この国の成り立ち、有り方、常識なんかを学び、その後暫くの住む場所と、働き場所を提示された。2週間後からは、学校へも通えるらしい。いたれりつくせり、だったが、その代わりに拒否権は無かった。
不安だ。
荷物を片手に、志真の表情は暗い。
もうすぐ迎えが来る事になっている。長くお世話になっていたこのでかい病院みたいな白い建物とも、ついにお別れだ。緑に囲まれ、何と小川みたいなのまで流れている広い庭に、2メートルくらいありそうな高いブロック塀。志真はそこの、裏門からこっそり外へ出された。しかも何か黒い布を頭から被らされて。
なに、この犯罪者みたいな扱い、と思わないでもなかった。不安(または不満)が顔に出ていたのだろう。リザレットは、静かに言った。
「正門の方で少し揉め事が起こっている。巻き込まれるのは嫌でしょう」
まぁ、勿論。だけど、揉め事って何だろうか。平和な国だと教えられたけど、違うのだろうか。
「揉め事と言っても、たいした事ではない。とにかく、貴方はここで待っていなさい。直に、迎えが来ます」
そこで言葉を切って、リザレットは志真をじっと見つめた。初めて見た時から変わらない、痩せた白い顔が少しだけ緩む。
「ゼ・セノー・カォウィ」
「え」
呆気に取られる。意味の分からない言葉に、初めて見たちゃんとした笑顔みたいなもの。目を丸くした志真に、一つ溜息を零してリザレットは口を開く。もう、笑顔は無かった。
「ちゃんとしなさい。私に出来るのは、ここまでです。後は自分で、道を切り開きなさい」
「は、はい。いろいろありがとう、リザレットさん」
「仕事ですから。では、さようなら、志真」
そう言ってリザレットは志真を残し、塀の中へ戻っていった。
あれから30分は経過している……と、思う。時計が無いから分からないが。直に来るって言ったのに。
はっきりいって心細い。
言葉も常識も分からない異世界で、うまくやっていけるだろうか。言葉も分からないのに、どうやって仲良くすれば。
考えれば考えるほど気が重い。
「おい」
考え込んでいた志真は、それが自分にかけられている声だと気がつかなかった。
「おい、そこの女」
「日本語!」
がば、と勢い良く顔を上げる。思ったより近くに顔があった。真っ先に飛び込んできたのは晴れた空みたいな色の瞳。長身痩躯の、20代後半くらいの男だ。彫の深い、渋めの男前と言っていいかもしれない。(志真はもうちょっと優しそうなのが好みである)こげ茶色の短髪に、浅黒い肌。見るからに厳しそうな雰囲気をかもし出している。
ひょっとして、この人がリザレットの言っていた迎えだろうか。
何か、気難しそうな男だ。
じろじろと見ている志真に気分を悪くしたのか、男はむすっとした顔でため息を吐いた。愛想0だ。ますます感じ悪い。
「灰谷・志真、だな?」
「はぁ、そうですけど」
男は間違いなく日本語を喋っている。何で。嬉しいが、戸惑う気持ちの方が強い。施設でも、リザレット以外に日本語を喋る者はいなかった。
「俺の名はウィガー。ウィガー・ハルベルトだ。君が今日から住む予定の宿屋で働いている。連絡があって君を迎えに来た。質問は?」
「何で日本語なんですか」
「……聞いていないのか」
何を。
きょとんとする志真に、ウィガーは舌打した。うわあ、結構柄が悪いぞ。
「全くあいつは!俺はこの国の元騎士だ」
「はぁ」
「この国の騎士は他世界の言葉のどれか一つを習得する事が、義務となっている。数ある言葉の中から俺は『日本語』を選んだ。それだけの話だ」
「それじゃ、他にも喋れる人がいるんですか!?」
何か世界が広がった感じだ。希望が見えた!
「俺とクラウラともう一人いるだけだ。使用頻度の低さから、18世界の言葉も、『日本語』も、非推奨言語だからな」
しぼんだ。
持ち上げられて叩き落とされた感じである。そんな志真にウィガーは追い討ちをかけた。
「そういうわけで、君にはこの国の言葉を覚えてもらう。二週間で」
「にしゅうかん!」
なっ、と志真は顔を引きつらせた。
いくらなんでも無理だ!自慢じゃないけど、中学から授業を受けている英語だって殆ど喋れない。しかし、そんな志真の困惑を他所に、ウィガーは当然の事のように言う。
「学校が始まるからな」
「いやいやいや!普通学校で言葉を習うんでしょう!?普通は!」
「学校に『日本語』を話せる奴はいない。当然教師にもだ。それでどうやって言葉を習う。最低限でも覚えておかないと苦労するのは君だぞ」
「そんな!」
いっそ登校拒否したい!
「それに最低限会話できなくてどうやって店を手伝うつもりだ」
「み、みせ?」
「……クラウラから聞いている筈だが?家に居候している間は、掃除と、それから食堂の仕事を手伝ってもらう事になる。簡単な調理と給仕くらいだが」
そういえば聞いたような、聞いていないような。
ぼんやりとする志真を見下ろして、ウィガーは眉間に皺を寄せた。
「大丈夫なのか」
大丈夫です!とか、強がる気力も無かった。しかし、嫌でも、大丈夫じゃなくてもやっていかなくちゃならないのだ。
それから志真は、ウィガーに宿屋まで案内される事となった。
徒歩で二時間。
この国の一般的な交通手段は、馬か馬車、飛行船、船。ここまでが普通のもので、変な長方形の板みたいなもので、空を飛んで移動する乗り物、ジバ。魔法の絨毯、というには硬そうなヤツだ。この世界にある特殊な鉱石を使って作ってあるらしい。一度は乗ってみたい。あと、広い道の真ん中を走る、電車みたいな乗り物もある。
そんな中を、志真とウィガーは徒歩で2時間も費やしたのだ。
「後どれくらい?」
「もう少しだ」
を、少なくとも10回以上繰り返して。
最初に聞いてから、少なくとも一時間は歩いたぞ。お前の少しは一体どうなっているのだ。そんな文句すら言う気力もないほど、志真はくたくたに疲れていた。
宿屋は何というか古かった。
ちょっと無骨な石造りの4階建てで、一階は食堂件酒場になっていた。丁度昼ご飯の時間、中々人が入っているようで、志真は挨拶もそこそこに裏口から4階へと上がらされた。
無駄に背の高いウィガーの背中を追いながら、きょろきょろと辺りを観察する。外壁は石材で出来ていたが、中には木材も使われている。廊下や、階段、ドアなどが木だ。
「ここだ」
ウィガーの足が止まった。
廊下の一番奥の部屋だ。他の部屋と同じように、深い緑に塗られたドアの前で、志真はウィガーを見上げた。視線はあわなかった。何故か。
「あのー」
「ここがお前の部屋になる。家の客室の中でも上等なところだ。風呂とトイレ付きで寝室ともう一部屋ついている。まぁ、日当たりは悪いがどうせ昼間は殆どいない、構わんだろう」
明らかに志真の声を無視したウィガーに、不信がつのる。
「ちょっと!」
「服は数枚、買っておけ。その服は目立つ。支度金は支給されているな?店の場所は後で妹に案内させよう」
「誤魔化すな!私が一番聞きたいのはこれの説明なんだけど!」
びしっと、志真が指差した先は、ドアの真ん中である。
ドアの真ん中に、やけに古びた紙切れが張ってあるのだ。赤い色で、なにやらごちゃごちゃ書かれている文字は全く読めない。読めないが。
「何なのこれ」
「……従業員用の部屋、と書いてある」
「嘘だ!目見て言ってみろ!明らかにこれ御札とかそーいうやつじゃないのか!」
「煩いぞ。大きな声を出すな」
「出したくもなるわぁっ!」
多分これはあれだ。何か曰くつきの部屋なのだ。考えてみれば御札の事だけじゃなく、ウィガーの態度が妙だった。宿屋に入ってから、一度も目が合わなかった。
不機嫌そうに、むっつりしていたのは多分、機嫌が悪かったからだけじゃない。
誤魔化したい事があったからだ。
「大体おかしい!ただの厄介でお荷物な居候に、宿屋で一番良い部屋って!良く考えなくても絶対怪しい!」
「……お前、ひねくれているな」
「ごく普通に覚える疑問だと思います!」
お世話になるのだから、多少の事は我慢しようと思っている、が。
「嘘はやめてよ。そういう事されると、信じられなくなる」
信じたいと思っているのに。
志真は今、一人ぼっちだ。家族も友達もいない、そんな世界で生きていくには、信じられる人が必要だ。一人で生きていけるなんて言えるほど、志真は強くないし賢くもない。
ウィガーはしかめっ面のまま、額に手を当てた。
「…良いか」
低い声音に苦いものが混じっている。
「俺は幽霊の存在など信じていない」
「うわ、やっぱりそういう系」
「噂に過ぎん。だが、客から苦情が相次いでな……、馬鹿らしいが妙な噂が広がっても困る。良いか、ただの噂だからな」
そんなに必死で否定されると、余計に怪しいんだけどな。
「ふーん。幽霊か……、それってやっぱり何か曰くがあったりするの?」
「……まぁな」
ウィガーはやや戸惑った様子だ。
「怖がらないんだな。てっきり、部屋を変えろとごねるかと思ったが」
「怖くないわけじゃないけど、私幽霊とか見た事無いし、多分平気。隠されてるのが嫌だっただけだもん」
「……そう、か」
「まー、後でその曰くとかいうのも教えてよ。取りあえず部屋見て良い?」
「………ああ」
まだ何かあるのか。ウィガーの心なし暗い表情の理由は、すぐに分かった。




