志真と波乱の幕開け 4
広いテーブルいっぱいに、辞書やら紙やらを散らかして、志真は唸っていた。
何でこんなややこしい言葉ばっかりなんだろう。本当に嫌になる。以前にウィガーから貰った辞書は分かりやすいけど充分ではなくて、そこに無い単語もいくつかあった。
異世界人の特有の、力?それを使ってはいけないとか、大体そんな事が書いてあるのは分かった。力って何。良く分からないが、やっぱりあの時の事のような気がする。
志真を助けてくれたのは、モクだった。
モクが何をしたのか、分からないが。もしそれが、ここに書いてあるような異世界人の力とかいう奴だったら。
私のせいだ。
志真を助ける為に、モクは。
指の先から力が抜けていく。
どうしよう。
呼吸が速くなる。心臓がぎゅっと掴まれたように苦しい。
モクが学校に来ないのも、保護施設に捕まってしまったのも、自分のせいにしか思えなかった。能天気な自分を殴りたい。どうして気がつかなかったんだろう。
昨日、リキキが言っていたのも、きっとその事だったのだ。
分からなかった。
モクは志真を助けてくれたのに、志真はモクがそんな目にあっている事も知らないで、能天気に過ごしてきてしまった。不自由な生活に文句を言って、ラスがいなくて不安だとか、ウィガーが帰って来ないから何も分からないだとか、言いながら。
私の馬鹿!
何でもっと真剣に考えなかったんだろう。
どうする、どうしよう?異世界人保護施設の場所は分かるし、行ってみようか。違う、それよりもウィガーにまず話を聞かないと。今度こそちゃんと、モクがどうなっているのか。
今すぐに。
志真は立ち上がった。
拍子に座っていた椅子が、がたりと音をたてる。
「おう、やっと終わったのか」
少し離れた場所で机に顔を伏せ、居眠りしていたニトロが顔を上げた。
「帰る」
「は?」
驚きに目を丸くしたニトロを置いて、志真は走り出そうとした。慌てたニトロが素早く志真の右手を掴む。反動でのけぞった。
「離して!」
「こら、落ち着け。大丈夫だから、な」
ニトロの力は強い。右手を引っ張り、志真の体を自分の正面へ向けさせると、もう片方の腕も掴まれた。動けない。
「ニトロ!」
「お前一体、どこへ何しに行くつもりだよ」
「……ウィガーに、聞く」
「ウィガーって誰だ?ああ……お前の保護者か。馬鹿だな、お前。聞いて教えてもらえるとでも思ってんのか?それに、もし聞けたとして、その後どうするんだ。何かできるのか。変えられんのか?」
「離して」
ニトロが何を言っているのか、何となく分かった。泣きそうになって眉間に力を入れる。悔しかった。
この世界で、志真の知らない事は沢山ある。
何から聞けば良いのかも分からない。何を知っておかなくてはいけないのかも。それでも何とかなるって思っていた。
駄目なんだ。
それじゃ、駄目だった。
今だってモクを助けたいと思うのに、何をすれば良いのかさっぱり分からない。
モクがした事がどういう罪になるのか。自分のせいだからと証言したら、許されないかな。どこの、誰の言えばいいのか。知りたいことも、聞きたいことも、沢山あるのに分からない。
「だから、落ち着けって」
小さい子どもにするように、頭をぽんぽんと撫でられる。
「モクなら大丈夫だ。ハルも。頼むから短気を起こすな。お前まで保護施設送りになったら、モクが悲しむだろ」
低く囁くような声は、歌のように心地よく響く。ニトロの鋭い3つの目から、目が離せなくなる。綺麗な色。緑色と、光っているみたいな黄色。
黄色?
ふと覚えた違和感も、ぼんやりとした思考に沈んでいく。
何だろう、たくさん考えなくちゃいけないのに。何も考えられない。
ウィガーに聞かなくちゃ。何を聞くんだっけ。モク。
モクを………。
「心配すんな。悪いようにはしねぇから」
最後のニトロの呟きを、志真は聞く事ができなかった。
***
胸騒ぎがした。
背筋を這う悪寒に身を震わせて、ウィガーは顔を顰めた。一体何なのだろう。最近のつきの無さは異常だ。面倒事ばかり押し付けられているような気がするのは、絶対に間違いない。
長年の友人であり、腐れ縁でもあるユーイの顔が頭に浮かんだ。
あいつと縁を切るべきだろうか。
真剣に悩むところである。
菊乃は大丈夫だろうか。彼女のお陰で、ここ最近、異世界人を襲撃していたグループを捕まえる事はできた。
だが、やはり止めるべきだったのだ。
最後に見た菊乃は酷く青い顔をしていた。目を伏せじっと息を顰め、何かに怯えるように小さくなっていた。きっと、怖かったのだろう。かける言葉も見つからなくて、そのまま会わずに帰ってきた。
宿屋の仕事を休業して、知らされないまま囮にされている菊乃の様子を、遠くから見守っていた。一応、何かあった時に対処できる距離にいたつもりだ。
だが、まさかヤックに紛れ、空から来るとは。
あの日、妙に騒ぎが多かったのも、敵の策の一つだった。
空へ連れ去られてしまえば、ウィガーに追う事はできない。すぐにユーイに連絡を入れ、救援を送ってもらった。
正直、間に合わないだろうと感じていた。
多分あのハルラックという獣人がいなければ、菊乃は死んでいた筈だ。
止めるべきだった。
ユーイは、異世界人の周りで起こる事件に対しては、酷く神経質になる傾向にある。捕まえる為には手段を選ばない。その執着は、異世界人にではなく、そこに現れる者に対して向けられているものだと、ウィガーは気がついていた。
まだ、忘れられないのか。
生きているかどうかすら、分からないのに。
「ただいま」
裏庭で箒を手に考え込んでいたウィガーは、その声にはっと我に返った。
「……シマ」
学校から帰ってきたのか。
ウィガーが見た時は既に、志真は裏口から中へ入っていくところだった。
帰ってきたら、また一騒ぎあると思っていただけに、拍子抜けだ。モク、というあの風変わりな青年の事で。彼は今、保護施設にいる為学校に来ていない筈だ。その事を知れば、絶対に怒って暴れるだろうと覚悟していた。
まだ、知らないのか。
例えそうでも、いずれ知る。
結局厄介ごとが先延ばしにされたに過ぎないのだと、ウィガーは知っていた。




