志真と波乱の幕開け 3
モクのことが好きなのかもしれない。
そう自覚した途端、落ち着かない気持ちになった。本日2枚目の皿を割った志真は、これでは駄目だ!と何とか気持ちを切り替えようと頑張ろうとしているのだが、中々うまくいかない。最初のあれ、小学生の時の淡い初恋が初恋で無かったなら、これが初めての恋ということになる。
気を抜くと乙女チックな方向へ思考が行ってしまうから、気が抜けない。
我に返って赤面しては、周囲の人間を困惑させている。
恥ずかしい、っていうか自分が気持ち悪い。
「シマ、やっぱり熱でもあるんじゃないの?」
「ない!平気」
ミーチェ夫人の気遣いに満ちた問いかけに、首を横に振るのは何度目だろうか。志真はほてった顔を手で仰いだ。
でもこれって本当に恋なんだろうか。
タイミングよく現れて、助けてくれたから勘違いしてしまったわけではなくて?
いくら考えても分からない。
好きか嫌いか聞かれたなら、間違いなく好きなのだけど。
モクは優しくて、柔らかい空気を持っていて、物静かな青年だ。全然喋らなくて、いつもほんわりと笑顔を浮かべて皆を見守っている。穏やかな雰囲気がとても好き。
言葉が無くても、言いたい事をちゃんと分かってくれるのは、何か不思議だ。本当に謎なんだけど、モクだからなぁって納得してしまう。
未だ、一度も外されたことのない目隠しは、何のためにあるのだろう。
そういえば、志真はモクの顔も知らないのだ。
「行ってきます!」
いつもより少し早い時間に、志真は学校に向った。バイトの時間はいつも通り、支度が早く終わったのだ。
学校が楽しみになるなんて、吃驚だ。
常々遠いと思っていた距離も気にならない。空は気持ちよく晴れていた。
意気揚々と学校の門をくぐり、カウンターに渋い顔で座っているジャイルさんに笑顔で挨拶する。無愛想な挨拶も懐かしい。
どうやら1番のりのようだ。
広い教室の中には誰もいない。念の為、柱の影の辺りも確認してみた。
何だ。
モクはいつも早いから、来ているかと思ったのに。
中央の円柱を囲む丸いテーブルに、ノートと辞書と絵本を置いて座る。誰か来るまで勉強でもしてるか、と。今日は何となくそんな気分にもなれた。
絵本はまだ半分くらいまでしか読んでいない。
竜とお姫様のお話。
可愛らしい絵柄の御伽噺で、児童向けの絵本とはいえ少し長めになっている。絵があるから、文字が読めなくても想像できて分かりやすい。何より面白くて、続きが気になっていた。
これは、モクが選んでくれたものだ。
以前にニトロとモクが志真の勉強のために、簡単な絵本を持ってきてくれたことがあった。この1冊は他のよりも長くて難しそうだったから、後回しにしていたのだ。しかし、読んでみると中々はまる。
魔女の呪いにかかった婚約者の王子を助ける為に、暗い森を抜け魔女の屋敷を訪ねるお姫様。呪いを解いて欲しければ、竜の鱗を持ち帰るように言われたお姫様は、竜が住むと言われている谷へと一人で向う。
今読んでいるのは、狼に襲われたお姫様が、一匹の優しい竜に助けられたところだ。
「シマ?早いな」
いつの間にか熱中していた志真は、その声にぱっと顔を上げた。いつの間にか隣に誰かいる。面白がるような、にやりとした笑みを浮かべた三つ目の男の姿を確認して、志真は笑顔になった。
「ニトロ!おはよ」
「おう、何だ相変わらず元気そうだな」
「うん元気。ニトロは?」
「まぁ、普通だな」
話しながら、教室の中を見てみると、いつの間にか他にも生徒が来ていた。いつものように、窓際で眠っている緑色の少女。その正面で、うとうとしている真っ白な髭のおじいさん。アルジャラーとじいだ。
殆ど姿を見せないハルラックは兎も角として。
「ね、ニトロ。モク、まだ?」
いつもは早い時間に来るのに。志真が聞くと、ニトロは面食らったような顔になった。
「お前、まさか知らないのか?」
信じられないものを見たって感じの顔を向けられている。
「なに?」
「けど、シマもその場にいたんだろ?ああ……でも、もしかするとアレか。シマには必要無いから警告もされていないって事か。となると、何か面倒な感じだな」
ぶつぶつと、思案しつつ独り言を言うニトロ。一体何なんだ。気になる。
「一人でずるい!教えて!」
「……シマ、じゃあ今日は法律の勉強でもしとくか。説明役がいないから、ちょっとばかり手古摺りそうだが。ま、何とかなるだろ。但し、俺の勉強料は高いぞ」
良いか?と聞かれて、志真は大きく頷いた。勉強料は高いという部分は、当然翻訳できていない。勉強をする、説明という部分は分かったから、モクのことを教えてくれるのだろうと解釈している。
だから、ニトロが本棚から分厚い辞書みたいなものを持ってきた時には、ぎょっとした。
あれ、何でモクのこと教えてくれるのに、辞書なんかいるわけ。というか、良く考えたら勉強って単語が出て来るのも何か変だ。
悩みだす志真を他所に、ニトロは辞書を開き薄い紙を捲っていく。
「異世界人保護法、第32。異世界人の保有する能力、技術について。その5、代理人の庇護下にあり、未だ国民としての権利を得ていない者は、自発的にその能力や技術を使用することを禁止する。特例の場合、または施行する権利を持った者からの許可があった場合を除き、これに反した者には然るべき処置を講じるものとする」
読み上げながら、紙にすらすらとペンを走らせるニトロ。当然志真には、何を言っているのか分からない。難しすぎて、何がなにやら。
「これ、後で訳しとけ」
メモした紙を渡されて、志真は眉を寄せた。後で、訳せって今言われた?何だそれ、宿題っていうことか。
「嫌そうな顔すんな。いちいち説明してたら1日かかっちまう。それに、俺も面倒な事はなるべくしたくない」
捨てるなよ、と言いおきしてからニトロは言った。
「モクは暫く来ない。来ないっつーか、来られない。ついでにハルラックも」
来られない?
「何で」
「保護法違反で保護施設行きだ。簡単に言えば、異世界人保護施設で監禁……捕まってる状態だから」
異世界人保護施設、捕まっている、とゆっくり分かる単語を拾っていく。
違反って、確か何か悪い事をするっていう意味だった気がする。
「異世界人保護施設、捕まる?」
言葉にしてみて、志真は目を見開いた。
「捕まるって何で!?」
思わず口から出て来る日本語。
「ちょっと、えっと、今、言った、間違いない?モク、悪い事した、異世界人保護施設、捕まる」
「悪い事っつーか。でもまぁ、そうだな」
頷いた!
「な、何で、嘘でしょ、モクがそんな……」
あの穏やかなモクが。それにさっきハルラックの名前も出ていたような。
何かの間違いとしか思えない。何か誤解されているとしか。一体何があったんだろう。
「知りたかったら、それを訳せ」
ちょん、とニトロは手渡したメモを指で差す。
これを読めば分かるっていうのか。
それなら、頑張って読むしかない。
捕まったっていつのことだろう。何だか嫌な予感がしていた。あの時、ウィガーは怖い顔をしていた。送っていくって言っていたけど、本当は違っていたのかもしれない。
(私の馬鹿!何でちゃんと話聞いとかなかったの!)
いつも、いつも、こんな後悔ばかりしている気がした。




