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菊乃の事件 2

 翌日からは、菊乃一人で買い物に出されるようになった。ユーイが仕立てを頼んでおいた服や、急に食べたくなったとかいう食べ物、それから買い忘れていた道具類。一度に言ってくれればいいのに、帰った後、頼まれた荷物を引き渡しているところで彼は言う。

「ああ、そういえばあれも忘れていた。明日の朝に使う卵が足りないらしい。それも頼む。悪いな、キクノ」

 全然悪いとは思っていないくせに。

 ソファーに寝そべり本を読みながら、というリラックスした姿勢での発言に、文句を言いたくなる気持ちを押さえつけ、菊乃は言いつけに従う。

 こうして、ユーイの気が済むまで何度も家と町とを往復させられるのだ、今日も。

 彼はこの家の王様であって、菊乃の命運を握る保護者だ。その立場が鬱陶しいのか、それとも菊乃が気に入らないのか、あれこれ嫌なことを押し付けて根を上げさせようとしているのだと、最近気がついた。


 だったら、絶対弱音なんか吐きたくない。


 真っ向から立ち向かうのは怖いけど、こういう形でなら頑張れる。自分が案外負けず嫌いだということに気がついたのも最近だ。

 ユーイの家は町から離れたところにある。商店街にたどり着くまでには、徒歩で1時間ばかりかかった。その上、小高い丘の上にあるから、斜面を上り下りするだけでも息が上がってしまう。

 元々、体力には自信が無い。

 初日は2往復した辺りで既にふらふらになっていたし、翌日は酷い筋肉痛に悩まされた。4日目の今日はというと、慣れてきたのか筋肉痛も引いてきて、足も軽くなってきたように思う。息は少し、上がってしまっているが。

 額の汗を拭い、菊乃はほっと息をつく。

 今日は少し、暑い。

 手をかざして、空を見上げる。雲ひとつ無い青い空で、太陽が白く輝いている。帽子を持って来れば良かったと、菊乃は少し後悔した。

 広い畑や農場を過ぎて、少しづつ民家が増えていく。町の中心部は整然とした、似たような形の家が多いが、町外れの方に立ち並ぶ家々は、中々個性的で面白い。ピラミッド、ドーム型、五角形や六角形。

 そういった家や、広い景色を見ながら歩くのは中々楽しかった。

 家の中でずっと篭っているよりは、気晴らしになって良い。

 町中に入ると、流石にのんびりと歩いてはいられなかった。特に、昼間でも人通りが多い商店街の辺りは。なるべく道の端っこを、人の妨げにならないように慎重に歩くようにしている。

 店がある通りの道は、一般の乗り物は立ち入り禁止となっているらしい。一般の人は道の真ん中を行き来する路面電車を使うか、歩いて店を回る。時々空を飛んでいくジバに乗っているのは、犯罪を取り締まっている警備の人々らしい。

 確か、と菊乃はウィガーから教えてもらった話を思い出す。

 王様がいる城や国境を守るのが(セッツァー)騎士で、町の犯罪なんかを取り締まっている人達が(ヤック)市街警備隊。町中にいるのは、市街警備隊の方の筈だ。

 彼らが通るたび、影がそっと横切るので何となく落ち着かない気持ちになる。


 気のせい、かな。


 今日はやけに数が多く、忙しそうに動き回っているように見える。

「……誘拐…」

 おしゃべりをしている女性達の会話から、その単語が耳に飛び込んできて、菊乃は思わず立ち止まりそうになった。

「……が、いなくなって、探してるらしいわ」

「だから、今日はヤックの数が多いのね」

「ヤックだけじゃないわ、ケラスもいるみたい」

「あ、本当だ…じゃあ……」

 ゆっくりと歩いて遠ざかる。声はそこから聞き取れなくなった。

 誘拐。キリアンが言っていた子供の誘拐事件を思い出す。死体で見つかった子どももいる、確かそう言っていた筈だ。

 そんな事になってしまう前に、早く、見つけてあげてほしい。


「………え?」


 ジジ、と何かの音が聞こえた気がして、菊乃は足を止めた。言葉のようには聞こえなかったのに、何故か呼ばれたような気がする。振り返るが、特に何も無い。立ち止まった菊乃を、迷惑そうに歩行者が避けていく。

「あ、ごめんなさい」

 菊乃も慌てて歩き出した。

 気のせい、なのだろうか。

 暫く、胸の奥がざわざわと落ち着かなかった。


 辿り着いた食料品を扱う店は、いつも客で賑わっている。それぞれの売り場に売り子がいて、彼らに欲しいものを言い、お金と交換すれば良いのだが、菊乃はこのやりとりが少し苦手だった。

 我先に、と声を上げる客たちに押し負けてしまうからだ。次……次こそ言おう。そう決めても、必ず遅れを取ってしまう。後から来た客がどんどん入れ替わり、結局いつも、客が途切れた一瞬でようやく欲しいものを言う事になる。

「あんたいっつも、要領が悪いねぇ」

 お釣りと品物を手渡しながら、可笑しそうに店員が笑う。土の粘土みたいな肌の色、かなり大きな体をした迫力のある中年の女性で、声も太くよく通る。いかにも元気で威勢の良い感じの人だ。

「小っこいし、細っこいし。途中で変な奴らに苛められないように気をつけて帰りなよ。あんたみたいなのは、格好の餌食になっちまう。最近、変なのがいるみたいだしねぇ」

「はい、気をつけます」

「そんなにかしこまらなくっても良いんだよ。異世界人だからって」

「!」

 異世界人だと、ばれている。やっぱり分かってしまうのだろうか。

 凍りついた菊乃を見下ろして、店員はけらけらと声を上げて笑った。

「大きな目が落っこちまうよ、そんなに吃驚するこた無いだろ。何か雰囲気で分かるんだよ、あんたはやっぱりどっか違う。私と同じでね」

 子どもでも見るような、暖かい眼差しを向けられて、菊乃は戸惑った。

「私もあんたと同じ、異世界人なのさ」

 その言葉に、菊乃は再び目を見開く事となった。そこへ、次の客が来てしまったため、話はそれ以上続けられなかった。再び忙しく働き始める彼女を暫く見つめた後、お礼を言って菊乃は店を離れた。

 あんまり遅くなると、ユーイが煩い。

 そう思うものの、その場を立ち去りがたい気持ちが足を重くさせていた。


 異世界人……、私と、同じ。


 胸がどきどきとしていた。

 もしかしたら、色々と話を聞けるかもしれない。話をしてみたい。戻って、少しだけ……、振り返りかけた菊乃の前に立ち塞がる影があった。

 背の高い、褐色の肌の怜悧な印象の男。

 全身黒の衣装に身を包み、こちらを見下ろす姿は死神のようだ。透き通った紫の瞳に射すくめられ、菊乃は呼吸をするのも忘れた。

 ハイネス・ユーゴ。

 彼に殺されかけた時の恐怖は、今も菊乃の体を縛り付ける。例えあれが全部、予定通りの芝居だったとしても、彼の殺気は本物だったし、菊乃の感じた恐怖も本物だった。

「何を話した」

 身を竦めた菊乃に、ハイネスは低い声音で問う。

「言え」

「……ど、どうして」

 言わなければならないのだろう。それに、何故このタイミングで現れるのだ。全部、見ていたのだろうか。誰かに見張られているだろうとは思っていたが、まさか彼だったなんて。


 巻き込んでしまう。


 先程の、朗らかな笑顔を思い出して、菊乃は苦しくなった。

 自分と関わったせいで、迷惑をかけてしまう。そんなのは駄目だと思う。思うが、何が問題になるのかすら分からなくて口を閉ざす菊乃を、ハイネスは冷ややかに見下ろした。怖いと思うのに、その目を反らす事ができない。

 沈黙の後、ハイネスが口を開いた。

「余計なことに関わるな」

 背を向けて、立ち去りかけた足を止める。肩越しに再び視線を菊乃へ向けて。

「死にたくなければな」

 歩き去るハイネスの後姿を、菊乃は呆然と見送っていた。


 

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