菊乃の事件 1
ユーイ・ユーイの言葉はいつも唐突だ。
その日もそうだった。
「外出を許可する」
昼食を終えた後、言いつけられた仕事をこなしていた時のことだった。
泥だらけの手を地面につけたまま、菊乃は開け放した窓の向こうから、仁王立ちでこちらを見下ろすユーイを見上げた。豪奢な羽飾りのついたマントを斜めにかけたユーイは、どこかの王様のような気高さでもって、手も足も泥に塗れた菊乃を見下ろしている。
上から下まで、視線を行き来させた後、つい、と整った眉を跳ね上げて、鼻の頭に皺を寄せるのが見えた。
「何だお前、その格好は」
「花壇を、作るところです」
「ふん、何でも良いが風呂に入って着替えて来いよ。服装は後でチェックするから、適当に見繕え。終わったら書斎に来い」
言いたい事だけ言って去っていく。
あの分では、窓の外が殺風景だから何か花でも植えておけと自分が言った言葉も、覚えていないに違いない。ブロックを積み、植物の育成の適していると思われる土を運びいれるという重労働が、とてつもなく無駄な事だったように思えてきた。
菊乃は溜息をついて立ち上がり、手袋を脱ぎにかかる。
最近は、ユーイに振り回されてばかりだ。
しかし、外出を許可するというのは何なのだろう。まるで菊乃が外出を求めたような言い方だったが、そんな事実は無い。何だか嫌な予感しかしないのは、気のせいだろうか。いや、絶対に当たっている。
どうしよう、凄く行きたくない。
気は向かないが、逆らえないので菊乃は大人しく部屋で風呂に入ることにした。
本の続き、読みたかったんだけどな。
仕事が終わった後に読むつもりだった本のことが、心残りだ。ユーイの書棚から借り受けた、異世界人に関する法律等が記された本。内容が堅苦しく難しいから、中々読み進まない。最も、一向に読めないのはこうして頻繁に、ユーイの気まぐれに付き合わされるせいでもある。
髪を乾かした後、服を選ぶ。白色のワンピースと、青いカーディガンにした。
指定された2階の書斎に入った菊乃に対するユーイの第一声は「遅い」で、次が「地味だな」だった。黒に金の刺繍が入った上下揃いの衣装のユーイに比べれば、大抵の人が地味になるに違いない。
というか、さっきと服装が違う。
「まぁ、今日のところはそれでも良いか。ジェレミー」
すぐさまドアが開いて、ジェレミーが現れる。部屋の外で待機していたのだろうか。ユーイと同じ、黒に金の刺繍が入った金ボタンつきのジャケットを羽織っている。下は白色のズボンと固そうな黒の皮のブーツを着用。腰のところで深い緑色の布を斜めに巻きつけ、金の鎖で固定してあった。
前髪を上げ、後ろに流したジェレミーは、何だかいつもと感じが違って見えた。
ゆるい雰囲気が無くなって、近寄りがたい。ちょっと怖い。そう、菊乃が思っていると、彼は固く結んでいた唇を緩め、笑った。
「見違えました?中々、良いでしょうこれ。一応、仕事の制服なんですけどね」
途端に、いつものジェレミーだった。
「ジェレミー、真面目にやれ。遊びじゃないって事を忘れるな」
「はいはい、分かってますよ」
遊びじゃないって、一体何。更なる不安が上乗せされた菊乃に、ユーイは真面目な顔を向けた。
「ジェレミーについていき、買い物に必要な店と道を覚えて来い。明日から日々の買出しをお前に任せる」
買い物という新たな仕事を任されただけの話だったら良いが、残念ながらそうは思えない。一人で外に出る許可がいきなり出たのだ。買い物というからには、お金も預けられるのだろう。見張りは……やっぱり、つくに決まっている。
何だろう、今度は。
まさか、通り魔の仕業に見せかけてばっさり、とか。そういうのは無いと信じたい。鞄の紐を握り締め、小さくなって歩く菊乃の緊張した顔を見て、ジェレミーは苦笑した。
「大丈夫ですよ。この辺りは割合治安が良いし、今は僕が一緒にいますしね」
今、は。
そうだった、明日からは菊乃一人で買い物に出なければならないのだ。ちゃんと、道を覚えておかないと。
菊乃は俯かせていた顔を上げた。
道路を挟んで、様々な店が立ち並ぶ。賑やかな商店街のようなところだ。ひっきりなしに人々が行きかい、活気がある。懐かしいのと同時に、何だか心もとない気持ちになった。
これだけ沢山の人がいる中に出たのは、初めてだ。
姿形も様々なら、飛び交う言葉もまだまだ耳慣れない。何とか聞き取れるレベルにはなっているが。
「………」
何だか、気のせいだろうか。きょろきょろと視線を彷徨わせる時に、高確率で誰かと目が合うのは。あちこちから、視線を感じる、ような。
私、何かおかしい?
急に不安に駆られた。一目で異世界人だと分かってしまうのだろうか。
「キクノ」
呼ばれて傍らを見上げると、艶やかな笑顔がそこにあった。いつにも増して、きらきらと色っぽい。すっかり見慣れてしまったけど、ジェレミーは綺麗だ。
「怖いなら、いつでも手を貸しますよ」
からかうように手を差し出されて、菊乃は小さく首を横に振った。
「気持ちだけ」
「残念。必要になったらいつでもどうぞ」
彼と辺りの人々とをこっそり見比べてみる。まず間違いなく、注目されているのは彼の方だろう。菊乃はほっと息をついた。
「では、まずユーイ様御用達の帽子屋から行きましょうか。この右の路地にあるんですよ。手前の花屋を目印にすると良いかな」
「はい」
鞄からメモ帳を取り出して、菊乃はユーイの言葉を記しながら、その後をついて行った。
****
ウィガーがユーイの家を訪ねた時、菊乃は外出中だった。思わず、暗い窓の外に目をやってしまう。既に夕飯に相応しい時間は過ぎている。ジェレミーが一緒だとはいえ、いや、一緒だからこそ余計に。
「心配するな」
まるでウィガーの胸の内を読んだかのようなタイミングで、ユーイが言った。
「偶にはキクノにも気晴らしが必要だろう。外で食べてくるように言ってあるが、もうすぐ帰るだろ。ジェレミーだって、お前が思うほど節操なしじゃない」
「どういうつもりだ」
「何が」
分かっているくせに、ユーイはすっ呆けている。にやにやと笑いながら、ウィガーの顔を眺めているのがまた気に障った。
「よりにもよって、この時期に」
伊吹が襲われた、今。それだけではない、行方不明になる異世界人の数は片手では足りないほどになっている。殺されたのか、連れ去られたのか、自らの意思で姿を隠したのか。
とにかく不穏な気配が漂っている、今だ。
「今度はキクノを囮に使うつもりか」
「適任だろう」
「ユーイ!」
「同時にキクノの中に潜む揺らぎを見極められるかもしれない。勿論、見張りもつける。それでも心配なら、お前も傍で見張ってろ。ただし、キクノに気付かれないようにだ」
愉しげな笑みを引っ込めて、ユーイは鋭い顔をウィガーに向けた。
異世界人対策本部の幹部としてのユーイがそこにいた。
気晴らしに寄った矢先で、更なる厄介ごとがなっているとは思わなかった。
今日は厄日か……。
ウィガーは、痛む頭を手で押さえた。




