志真と外出禁止令 3
外出できない、仕事も制限される、となれば当然暇を持て余す。
元々志真は活動的な方だし、あまりじっとしていられない性質だ。時間があるなら勉強しようとか、そういうことは一切思いつかない。思いついてもやる気はおきない。
同じ異世界人が襲われたと聞いて怖かった気持ちも、日が経つほどに薄れていった。基本的に単純なのだ。しかも、だ。
じめじめとした空気が部屋の中で淀んでいる。
開け放した窓からは、爽やかな風が吹き込んでくるのに、その暗い空気の塊を何とかすることはできないようだ。志真は小さく溜息を吐いた。
「ちょっと、ラス!いい加減元気出してよ」
姿は見えないが空気は重いし、時折しくしくとすすり泣きが聞こえてくるし、湿っぽくてしょうがない。最近は、明るくなってきていたのに。
志真は爽やかな空気を求めて、窓の縁に手をついて顔を外に突き出した。若干雲が多いけど、空は青くて気持ちが良い。
ラスカゥルの落ち込みの原因は、ルーミケラウスがウィガーにどうも気があるんじゃないか、という疑惑である。
ルーミケラウスが本気かどうかも分からなければ、ウィガーが果たしてどう応えるかすら分からない。別に恋人になったという事実も無いのに、ラスカゥルはひたすら失恋気分に浸っているのだ。
馬鹿馬鹿しい、とは思うけどそんな事は流石に言えない。
ラスカゥルは繊細なのだ。
「ね、ラス。ルーは本気じゃないと思うよ。美人だし、よりどりみどりだもん」
『……ウィガー様くらい素敵な人なんて、中々いないわよ』
恋は盲目だ。
「いや、そう、仮にさルーが本気だったとしても、ウィガーのタイプじゃないかもしれないし」
そもそも、ウィガーはリアラさんに複雑な思いを抱えていると、志真は推測している。可憐で愛らしい感じの女性がタイプだとすると、妖艶で色っぽいルーミケラウスにはあんまり惹かれないかもしれない。
「どっちかっていうと、ほら、まだラスみたいな控えめな感じが好きな気がするんだよね」
『………でも、私には体がないもの』
はっとする。
『勝ち目なんか無いわ。絶対に』
確かにそうだった。最初から出場資格が無いのだ、ラスカゥルには。悲しみが漣のように伝わってくる。
「ラス。でも、それは最初から分かってたことじゃないの?見てるだけで良いって、恋を味わってみたいだけだって」
『そう……思っていたんだけど。駄目だわ。好きになればなるほど、苦しくて』
すすり泣くラスカゥルに、かける慰めの言葉はついに見つけられなかった。
どうすれば良いんだ?
ラスカゥルはどうやら、恋敵が現れたことにより、自分の立場を思い知らされてしまい、その事に落ち込んでいるようだ。叶わない恋なのだという事は、最初っからはっきりしていたのだが、最近はその事を忘れていたっぽい。志真もその辺はあんまり深く考えていなかった。
恋がしてみたいって、ただそんな軽いのりだと思ってたけど、何か違う気がする。
この落ち込みっぷりは、本気だ。
ラスカゥルは本気でウィガーに惚れてしまったらしい。
どうなんの、これ。
幽霊と生身の人間の恋愛なんて、どこにも行き先が無い気がする。せめて、ウィガーに姿が見えるならともかく、どうやら奴は霊感0だ。これでは始まるものも始まらない。
無理なのだ、とすっぱり諦められるのなら、ラスカゥルもこんなにどんよりしていないだろう。だったら、どうする?どうしようって、どうしようもない。思い余ってウィガーを呪い殺されても困るし、体を乗っ取られたりするのも困る。
可哀想だけどラスカゥルには諦めてもらうしかない。
よし、暫くウィガーとはなるべく顔を合わさないようにしよう。
出来るだけ接触を減らして、それでもって、他にラスカゥルも気晴らしになるようなことを見つけて気を逸らそう。
よし。
『……全部、筒抜けよ。シマ』
「えっ!?」
ひやりとした空気が耳の後ろから背中へ滑った直後、金縛りになった。
「ちょ、ちょっと何!?」
口と目は動くが、他が全然動かない。ぎぎぎ、と音が出る程歯を食いしばって力を込めても、指の先が微かに震えるくらいしか動かせなかった。
「ごめんね、シマ」
今度は勝手に口が動いた。気持ち悪!と震えていると、次に手が窓枠から離れ、上半身がぐるっと回り、足が軽やかに歩を進める。
な、な、何!?
パニックに陥っている志真を置いて、体は部屋の中を進みドアの方へと歩いていく。どうやら、外に出ようとしているらしい。
(ちょ、ちょっとラス!何やってんの!?)
ついには声まで出せなくなっている。とにかく気持ちが悪くて、吐きそうな気分だった。今、この体を動かしているのはラスカゥルだと、志真は確信していた。やばい、マジで最悪なことに。焦るものの、何も出来ない。
「ごめんね、シマ。怖がらないで、ちょっとの間で良いから。……叶わなくても、せめて思い出が欲しいの。だから、体があればきっと……」
熱に浮かされたような言葉が聞こえる。ラスカゥルが何を言いたいのかよく分からない。
だが、全身で志真は叫んでいた。
ダメだ!何だか分かんないけど絶対にイヤ!今すぐに私の体を返して!お願い、ラス!
見てるだけで良いと言ったラスカゥル。だが、それだけでは物足りなくなってしまった。今もちょっとだけとか言ってるけど、その内に足りなくなってしまったら。
体を乗っ取られたら、
そんなの、嫌だ
恐怖で目の前が暗くなった。自分が消えてしまったようなこの感覚が、耐えられない。怖い、ちっとも話を聞いてくれないラスカゥルが。
いつの間にか部屋の外にいた。階段を下りて、何かを探すように彷徨う。流れ込んでくる景色は、自分の目で見ているとは思えないほどぼんやりとしている。
やめてよ、ラス
弱弱しい訴えが聞こえているのか、いないのか。ラスカゥルは止まらない。
誰か、助けて!
「シマ?どうしたの?」
フィオーネ。
こげ茶色の髪を一つに結んだフィオーネが、不思議そうにこっちを見ている。
「あの、ウィガー……見なかった?」
「兄さん?兄さんなら裏で薪割りしてたけど」
「ありがとう」
にこりと笑って、踵を返す。志真の助けを呼ぶ声は届かないまま、フィオーネの訝しげな顔が視界から消えた。
こうやって誰にも、気がついてもらえなかったりしたら、もう本当にどうしようもない。大声を上げて泣き出したい気持ちなのに、涙すら流れなかった。
ドアを開けると、柔らかい風が額を撫でた。かん、と木を割る乾いた音が耳に届く。こうやって世界を感じることはできるのに。
「シマ?」
現れた志真に気がついたウィガーが、手を止める。斧を地面につき、額の汗を手で拭いながら渋面になった。
「何の用だ?あまり外をうろつくなと言っておいた筈だが」
いきなり小言だ。
こっちがどんなに大変なことになっているか知らないくせにー、と罵りたいのに口から出るのは全然違う言葉だった。
「ウィガー様」
様はやめて。
ウィガーの目が点になっている。
「さ、ま?」
「ずっと、ずっと見ておりました」
熱に浮かされたような声で話しながら、じりじりと固まったウィガーに歩み寄るのは志真ではなく、あくまでラスカゥル。しかし傍目から見たら志真なのだという。全く笑えない。
「大丈夫か?お前何か……気持ち悪いぞ」
酷い暴言だったが、生憎志真も同感だ。
しかし、ラスカゥルは止まらない。
「どうか聞いてください、ウィガー様。私の思いを受け止めて」
本当にもうやめてくれー!と志真は絶叫していた。心の中で。




