表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
190/193

菊乃の葛藤 1

 遠くで非常を告げるアナウンスが響いている。

 外部からの進入者による施設破壊。そんな状況だというのに、それほど恐れは感じなかった。たとえ、彼らの狙いが自分にあるとしても。

 事前に知っていたからこそ、心の準備ができていた。突然襲われるのとは大違いだ。

「大丈夫ですか、キクノ」

 地下に入ってから何度もそう聞いてくれるジェレミーに、菊乃は大丈夫ですと静かに答える。だから、手も離して欲しい、と握られた手に何となく視線を向けてしまうが、果たして通じているのかいないのか。手が離されることはなかった。

 彼は相変わらず菊乃を子供扱いする。実際大人とはいえないので良いのだが、やはり少し気恥ずかしいというか気まずいというか。

 ここにはジェレミーと菊乃だけで来ているわけではない。ハイネスもハルラックもジャンナもいるのだ。


 何となく、物言いたげな視線を感じるのは、気にしすぎだろうか。


 諦めて先へ進むと、不自然な位置で行き止まりにぶつかった。

 押したところでびくともしない、頑丈で分厚そうな金属の防壁。

「ジャンナさん、お願いします」

「りょうかーい」

 にっこりと笑い、ジャンナが首に掛けていた銀色の棒を外した。

 中心にある丸い窪みに、銀色の棒を差し込むと、扉に奇妙な模様のようなものが浮かび上がった。淡く点滅する模様に、ジャンナが素早く触れていく。指先に触れられた模様は位置と向きを変え、それを8度ほど繰り返した後でようやく壁が上がった。

 対侵入者用の防壁だ。

 囮として地下へ送り込まれた菊乃達には、一応その壁を解除する術も与えられている。壁が半分ほどまで上がった時点で、すぐに動こうとした菊乃をジェレミーが押し留めた。

「先行は彼に任せましょう」

 そう言った時には既に、ハルラックが長身を折り曲げて壁の下をくぐっていた。

「ハルラックさん」

 心配で思わず掛けた声に、彼は振り向きもせず言った。

「キクノはここに」

 静かだが、有無を言わせぬ口調だった。

 ぴりぴりした緊張感に、身が竦む。彼は血の匂いがすると言った。その後で志真の名を出したということは、一体どういう事になるのか。予想はつくけれど、考えたくない。

(どうして、シマちゃん……)

 本当に志真がここにいるのだろうか。ハルラックの鼻は確かだ。だとしたら何故志真がここにいるのだろう。自分と同じように、囮としてここへ来ていたのだろうか。そんな話は聞いていなかったが。


 非常用電気の薄暗い灯りの中、暗闇に消えたハルラックはすぐに戻ってきた。

「何かありましたか」

 ジェレミーの問いに、ハルラックは迷うように目を伏せた。

「何よぅ、意味深な沈黙作ってないでさっさと言ってくれなーい?」

「施設の警備担当職員が3名死んでいる。その内の1人が血だらけだったが、見たところ外傷は無い、返り血なのだと思う。床に、大量の血が残っていた」

「誰の」

「……その場にそれ程の血を流すような怪我をした者はいない」

「志真ちゃんも」

「いないようだ。……匂いは残っているから、その場にいたことは間違いないと思う」

 怪我をしたのは、やはり志真なのだろうか。大量の血痕という言葉を思い出して、血の気が下がる。(どうしよう、何で、志真ちゃんが……)

「行っくわよー、やっぱり自分の目で確かめないと埒明かないわぁー」

「ちょっと、ジャンナさん」

「他に敵がいないんならー、別に構わないでしょー。ハルラックの鼻は利くもの、信用してるわよー」

 マイペースを崩さないジャンナは1人で勝手に奥へと進む。震えそうになる唇を噛み締めて、菊乃もその後に続いた。


 菊乃の鼻でも血の匂いを感じ取れた辺りで、人影が見えた。心もとない青白い灯りの下、ぐったりと床に横たわっている。白い服に身を包んだ、施設職員だ。倒れた男の横の辺りに、どす黒く広がる血溜まりがある。

 相当の量だ。

 人は血を失いすぎると死ぬという事は常識だが、それがどのくらいの量なのかまでは分からない。確か3分の1程度だとか聞いた事がある気がするが、血の量を見て判断できるような知識は無かった。

 ただ、これだけの量の血が流れたら、ただでは済まないという事くらいは分かる。

「変よねぇ」

 床に顔を近づけて観察していたジャンナが首を傾ける。

「怪我人なのか、死体なのか分からないけど、どうやって移動させたのかしらー。移動させたなら、どこかで擦れたような跡が残りそうなものだけど何もないし。それに肝心の凶器も無いわぁ。犯人は、この人みたいなのにねー」

「事情を聞こうにも、亡くなられているようではね」

「貴方あの魔法使いの弟子なんでしょうー?何とかならないのぉ?」

「なりませんよ」


 死体や血痕を調べながら、ああだこうだ言い合う2人をぼんやりと眺めながら、菊乃は首元に手をやった。何だか息苦しい。うまく呼吸ができない気がする。

「……大丈夫か」

「っ!」

 そっと肩に触れた手に、菊乃はびくりと身を竦ませた。弾かれたように顔を上げた菊乃を見つめる紫の瞳が、僅かに驚いたように見開かれている。ハイネス・ユーゴだ。薄い表情の中に辛うじて分かる変化から、どうやら心配してくれているらしいと分かって、申し訳ない気持ちになった。

「ご、ごめんなさい、びっくりして」

「いや……驚かせて済まない」

 小さく首を振って、菊乃は息を吐き出した。しかし、身の強張りを解いたところで、再びジャンナの大声に飛び上がる羽目になる。

「そーだ、ハルラック・エジ!」

「……?」

「貴方、匂いが辿れるんでしょう?これだけ出血しているんだし、簡単にできるんじゃないのー?」

 ジャンナの期待に満ちた視線に対して、ハルラックは眉根を寄せた。

「いや」

「何よー?犬みたいな真似は嫌って言うのぉ?」

「そんな事じゃない。単に……この血の匂いはここから移動していないんだ。ここで途切れている」

「……何それ、どういう事」

「分からない、だけど」

 一呼吸置いて、ハルラックは眉間の皺を深くした。

「シマの匂いもここで消えている」

 ぞっとした。


 それが一体どういう事なのか。


 考えを纏める暇はなかった。ジェレミーの持っている通信機が音を立てる。ビーっという甲高い音の後に、ユーイ・ユーイの切迫した声が響いた。

『すぐにその場所を移動しろ!近くに敵対者が来ているぞ!予定通り、白の部屋に誘導しろ!』

「キクノ、こちらへ」

 素早く立ち上がったジェレミーに腕を引かれるが、素直に従うには志真のことが気掛かりだった。

「でも、志真ちゃんのことが、まだ」

「姿の無い彼女の事を心配しているような余裕はありませんよ。今はとにかく、こちらを何とかしないことには」

「でも!」

 志真は怪我をしているかもしれないのだ。それも、命に関わるような。

「駄目ですよ、キクノ。作戦の成功だけを気にしているわけじゃありません。もしもこの場で敵対者と接触した場合、一番危険なのは貴方なんですよ」

 敵対者を何とかできる力がある、と。

 だから狙われている、そう言われてもいまひとつぴんとはこない。その力で菊乃自身が死ぬかもしれないという事も。そうなるだろうと分かっているのに、実感は湧かない。

「それに、既に敵対者はこの中にいる。ここで失敗すれば、もっと大勢の人間の命を危険に曝すことになります」

 畳み掛けるようにジェレミーが言う。

 その言葉に菊乃は怯んだ。自分の行動一つで、人が死ぬかもしれない。そう言われたらもう何も言えない。

「さぁ、早く」

 再び腕を引かれる。今度は抵抗できなかった。菊乃にできるのは、ただ志真の無事を祈ることだけだ。そしてそれが何の助けにもならないことを、菊乃は良く知っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ