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伊吹、無謀で無駄なあがきを始める 5

 窓の無いその部屋は明かりが消えると真っ暗になった。

「何だ?」

 心臓が跳ね上がり、声が上擦る。単に誰かが間違って電源を落としてしまったのかもしれないが、どうしても警戒してしまう。その不安が的中した事を報せるように、いつかも聞いた警報音が煩く響き始めた。同時に、薄暗い緑色の光が転々と棚の上辺りに灯る。

「おや、これは」

 と、いつもと何も変わらない様子で、クリスティアンが首を傾ける。

「上で何かあったようだね。そこの君達、何か情報は回ってきているのかい?」

 と、声を掛けた相手は入り口付近にいた無口な見張り役2人。ジェスとは違い、威圧的でとっつき難そうなベテランといった雰囲気の男達に、気軽に声を掛けられるクリスティアンには感心する。本当に空気を読まない奴だ。それとも貴族だから読む必要が無いのか。

 表情筋を殆ど動かさないまま、右の口ひげの男(推定30代後半)が答える。

「今のところは何も」

 と言い掛けて、眉をぴくりとさせて暫し黙り込む。数十秒の沈黙の後、彼は再び口を開いた。

「侵入者が数名いる模様です。その内の1人……一体は、変態可能のレベルに達した敵対者だと」


 吹雪


 口の中が緊張で乾く。じわじわと、腹の底が重くなる。侵入者とは七海達のことだろう。来ると言っていた、タイミング的にも。

 だとすれば、一緒にいるという敵対者は。

 覚悟はしていたが間に合わなかったのか、やっぱり。(俺には)


「侵入者や敵対者に関する情報は何かあるかい?」

「シュターク教派と見られる仮面の者達が数名、それから敵対者の性別は女性のようですね」


 女性……。


 それならばそれは吹雪ではない。

 まだ断定はできないが、少なくともあれを女と見間違う者はいないだろう。わけの分からぬ気分の悪さは払拭されたが、代わりに行き場のない怒りと苛々した感情が湧いてきた。

 あの野郎、間際らしい真似を。

 冷静に考えれば、別に吹雪に非は無いのだが、怒りの矛先は彼へと向う。大体、あんな馬鹿な兄の為に、何故自分がここまで頑張らなければいけないのか。いつもいつも、厄介ごとばかり起こして面倒を押し付けやがって。

 日本にいた時は、そういうのは親の役目だった。

 伊吹は知らぬ顔をしてできるだけ関わらぬように努め、それでも降りかかってくる兄絡みの厄介ごとに腹を立てているだけで良かった。


「避難指示が出ています。ついて来てください」


 鳴り続ける警報音の中、伊吹達は部屋を出た。廊下も非常電源の薄暗い明かりに切り替わっていた。教会の時とは決定的に違い、ここには確かな戦力がある。だから大丈夫の筈だ、と。そう自分に言い聞かせて冷静さを呼び戻す。

「彼らはどうやら施設中央西側付近を襲撃中のようです。幸いここから離れていますし、地下通路からケラスへ抜けましょう」

 先頭に立ち誘導する男に続いて足を進める。数歩行ったところで伊吹は足を止めた。

「中央付近西側付近?」

 そこは研究施設と共に、医療室がある場所だ。通常の病気ではなく、ストロノーム、異世界の植物に寄生され、中毒症状を起こしていた為、この施設で治療を受けていた。多分理由はそれだけではなく、敵対者に寄生された吹雪と同じ空間にいた為でもあるだろう。

 経過は順調で、1週間もすれば回復するだろうと聞いている。

 一度様子を見に行った時は、眠っていた。

 忙しいという理由もあるが、何となく気まずくてそれ以来行っていない。が、ミルラはまだそこにいる筈だ。

 施設中央西側の2階に。


 ミルラ


「どうしたんですか。立ち止まらないで、急いでください」

「イブキ」

 急かされて、のろのろと足を踏み出す。


 嫌な汗が手に滲む。

 煩くなり続ける警報音が、伊吹の心臓を追い詰める。大丈夫、の筈だ。ここは保護施設で、隣はケラスだ。警備の人間が山ほどいる、民間人の避難は真っ先に行われる事柄だ。多分。

「あの」

 伊吹は胃が痛いような思いを抱えつつ、前を歩く男に声をかけた。鋭い目線だけを返す彼に尋ねる。

「施設中央西側の辺りにいた人の避難状況とか、分かりますか」

「……残念だが、その辺りは混乱が大きく、状況も良く分からない」

「………」

 聞かなければ良かったと、伊吹は心底後悔した。


 落ち着け。


 ここで自分が気にして行ってみたところで、何もできる事はない。襲撃者を相手にして立ち回る武道派ではないのだし。寧ろ足を引っ張るだけだ。人間相手だけならば兎も角(いやそっちだって正直無理だと思うが)敵対者までいるこの場面で、何の考えも無しに飛び出していっては、志真と同じ。

 俺は、勿論奴とは違う。



 ………いや、違わない。馬鹿だ。

 避難指示に逆らい、危険地帯に向かっている時点で、自分の馬鹿さを認めないわけにはいかない。胃が痛い。息が苦しいのは、走っている為だ。階段を駆け上がった時点で既に、体が苦痛を訴えていた。

 伊吹は万年運動不足だ。

「大丈夫かい、イブキ」

 一方で、隣に並んできた男は、息1つ乱していなかった。そんな彼をじろりと睨んで、伊吹は大きく息を吐き、吸う。

「何で来た」

「はっはっは、君はミルラ嬢を救いに行くのだろう。このクリスティアン・ベルナ・ハーパー、いつだって友の勇気には応えるとも!何よりミルラ嬢の事は私も心配しているしね。それに他にもか弱い女性が怯えながら健気に私の助けを待っているかもしれない、そう思うと、走らずにはいられない!」

 走りながら、よくもそれだけ喋られるものだ。

 伊吹は最早何一つ言葉を発したくない。というか、息が切れて喋る事ができない。


 時折地面が細かく揺れる。

 廊下の向こうに見える吹き抜け付近から、爆発音や怒鳴り声、悲鳴のようなものが聞こえてきていた。建物の玄関口にあたるホールも、どうやら争いの場となっているらしい。ミルラのいる医療室へ行くには、そこを通り抜けなければならなかった。

 伊吹はスピードを落とし、足音を立てないように気をつけて、壁に擦り寄りながら慎重に先へ進んだ。

 白い煙のせいで非常に視界が悪い。

 きな臭い匂いがするから、どこかで火の手が上がっているのかもしれなかった。念の為、口と鼻を手で覆い、姿勢を低くする。付近に人がいない事を確認し、落下防止の透明の壁越しに階下の様子を見た。

 何人か倒れている人間が見える。黒いフードに仮面の男が3人、警備の人間と争っていた。敵は彼らだけでなく、妙な物体……生物らしきものがいる。毒々しい赤紫色の巨大なゼリー状のものが、伸び縮みしながら壁や床を移動していた。


 何だあれ。スライム?


 ぶよぶよ半透明な体の中に、血管みたいなものが見えて非常にグロイ。

 ゲームに出て来る可愛らしさの欠片もない上、時々真ん中辺りをへこませて、ぺっと黄色い液体を吐き出してはその辺のものを溶かしている。どん引きだ。

 動いているものが近くにあると、びよんと体を伸ばしてそれを掴もうとする習性があるようだ。どうしてか、黒フードの男たちには反応しない様子。懐いているのか、それとも何か特殊なアイテムがあるのかもしれない。


「クリスティアン、あれが何か分かるか?」

「さぁ。この辺りでは見かけたことはないね。恐らく、この世界の生物では無いと思うよ」

「そうか」


 幸いというか、向こう側に行くのにわざわざホールに下りる必要は無い。このまま姿勢を低くして、壁伝いに隠れて向こうへ行こう。

 こそこそと、移動を開始した伊吹の耳に、切羽詰ったような女性の悲鳴が届いた。

「……いや!離して!この!」

 思わず動きが止まる。


 ミルラではない。

 しかし気のせいか、聞き覚えのある声だった。

 伊吹とクリスティアンは互いの顔を見合わせて、揃って再び階下を覗いた。壁に張り付いていたスライムもどきが、にゅっとその体を引き伸ばし、女性の足を掴んでいる。

 更に、何とか振り払おうともがく女性の腕にまで巻きつく。

「っ!」

 声にならない悲鳴を上げて、女性が身を縮める。体の動きに合わせて、結んだ長い髪が揺れた。もがく拍子に顔が見える。

(何で)

 すらりとした長身のその女性は、間違いなくフィオーネだった。

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