伊吹、無謀で無駄なあがきを始める 2
1人で足りないならば、補うしかない。
元々、伊吹の手には余る事態だ。本気で何とかしようと思うなら、誰かの手を借りるしかない事くらい、分かっている。伊吹は英雄にも、勇者にもなれない。唯の半ヒキコモリ大学生なのだから。
「いきなり、何ですか」
頭を下げる伊吹に向ける、リザレット・クラウラの視線は冷ややかだ。初対面の時から変わらない機械的な態度。彼女は余り仕事に情熱を燃やすタイプではないらしく、面倒事を嫌い不機嫌さを前面に出してくる。
「お願いします。敵対者と世界喪失者に関する全資料見せてください」
重ねて言えば、ついと細い眉を吊り上げた。
「貴方は常識的な性質の人間だと思っていましたが、買いかぶりだったようですね」
「異世界に来た時点で、俺の常識も粉々にされたので」
「自分には関係ない、そんな風に言っていたように思いますが。実際に兄に会って何か心境の変化でもあったのですか。今更敵対者の事等調べて、どうするつもりだ?」
今更。
その言葉に伊吹は薄く笑う。
本当に、今更だったので。それは分かっているが。
「このまま見過ごせば、後悔するような気がしたので」
ありきたりの言葉に何を思ったのか、リザレットは鼻を鳴らした。
「貴方に何ができるのですか。どの道後悔する結果になる事は、間違いない」
「やれる事をやったなら、まぁ諦めもつくじゃないですか」
本気で救いたいと、救えると、伊吹も思っているわけではない。相変わらず冷ややかな眼差しを向けてくるリザレットに、自然と笑顔が引きつってくる。
「人を頼れとか、信頼するように言ったのはリザレットさんです。信頼するので、何とかしてください」
言うと、更に周囲の温度が下がった、気がした。
「案外図々しい人ですね、貴方」
強気な態度を取れるのは、開き直っているせいでもある。それから。
「ナナミの話では、吹雪の現在の状態は、今までのどの敵対者にも無い不可解なものだとか」
ぴくり、とリザレットの眉が動く。能面のような顔なので、非常に感情が読み取り辛いが興味は惹けたようだ。
「眠り続けて起きない上、何か夢を見ているようで、時々ぶつぶつ寝言を言っています。それから、腕や足に見覚えのある文字のような傷が次々に増えていて、一応全部メモしてきてありますが」
「取調べでその事は言いませんでしたね、貴方」
「取引に使えそうだと思ったので。吹雪の状態を詳しく話す、代わりに少し協力してくれませんか、リザレットさん。俺は知りたい」
じっと、突き刺すような視線を見返して、伊吹は言った。
「最善の道を」
とか、偉そうな事を言った結果が投獄である。まぁ、予想はしていた。薄暗い上肌寒い部屋の中で、伊吹は壁に凭れて溜息を吐いた。
情報の隠蔽で、立場は一層悪いものとなっている。幸い、今のところ尋問くらいで、非人道的な拷問等は受けていない。いずれ覚悟しなければならないだろう。
(俺の信用はがた落ちだな)
何もかもが吹雪のせいだ。全く。このまま沈黙を貫けば、向こうも多少の譲歩をしてくれるかもしれない。そう思うのは淡すぎる望みだ。何より時間が無い。
もしも、気が変わったら。
七海の言葉を反芻する。
態と何か問題起こして、投獄されててよ。そしたらキクノを連れてくついでに、連れてってあげるからさ。できれば、早めにね。
いつ来るかは言わなかった。堂々と保護施設に侵入すると伊吹に告げるとは、一体どういうつもりなのか。信用されているとは思えない。伊吹がそれを伝えると見越しての、偽情報なのか。
まぁ、どちらでも良い。
ここにいればいずれ分かる話だ。
七海達と保護施設。どちらの手も取れない。七海達が本当にここへ来たなら、ついていくのは構わなかった。だが、菊乃が連れて行かれる事は阻止しなければならない。
同時に、七海達が捕まってしまうこともできれば避けたかった。
今彼女達が捕まれば、吹雪の先は無い。
硬いベッドの上で、伊吹は薄い毛布に包まり考える。
情報が必要だった。
それから協力者だ。自分のための、協力者。だが、保護施設とも、七海とも折り合いは付かない以上、協力はできない。だから、動かしてみる。どちらに転んでも良いように。
人を動かす。
遠くでドアが開く音がした。かつかつという足音が静かな空間に木霊している。ゆっくりと、急ぐわけではないその音が、こちらへ向かってきていた。
顔を上げ、伊吹は顔を顰めた。
尋問再開、或いは七海達だろうか。考えて、すぐに後者を否定する。いくらなんでも早すぎるだろう。まだここへ入って3時間くらいしか経っていない。
かつんとした足音がドアの前で止まる。
小さな機械音が幾つか響いて、ドアが横へスライドする。外の明かりが部屋へと入り込み、長い影を作った。ドアの向こうに現れた人物を見上げて、伊吹は目を見開く。
「クリスティアン?」
予想外すぎる人物は、白い歯をきらりとさせて微笑んだ。相変わらず、爽やかな上暑苦しい笑みである。
「やぁ、イブキ。久しぶりだ、色々あったようだが元気だったかい」
変わらない態度で入ってくるクリスティアンに、警戒が走る。
「何でここに」
「ジョール・ラクリエルたっての頼みなんだ。孫の婚約者を助けるようにとね。それに何より私達は友人だろう。例えジョールの頼みが無くとも、友の窮地には勿論駆けつけるさ」
はっはっは、と厚い胸板を反らし笑う男。
どう考えても前者が動機だろう。しかし、まだ婚約の話は有効だったのか。流石にもう破棄されるものだと思っていたが。
そんな伊吹の困惑を見透かしたかのように、クリスティアンは笑う。
「君は存外気に入られているんだよ、もっと自信を持ちたまえ。何よりミルラ嬢が君に想いを寄せているのだからね」
「………」
「流石に、君だって気が付いてはいるのだろう?」
からかうように訊ねられて、伊吹は言葉に詰まった。
好かれてはいると思う。だが、それが一時の気の迷いでないとは言い切れない。大体、自分の何処に好かれる要因があったのか、さっぱり分からない。
「……で、何しに来たんだ?」
質問を返して誤魔化すと、クリスティアンは大きく肩を竦めてみせた。一々仕草が大げさなのも相変わらず。
「事情は聞いたよ。ここから出られるよう手はずは整えた。後、君の希望する敵対者に関する情報も見られるように取引したよ」
「……は?」
「何故最初からラクリエルを頼らなかったんだい。知っているだろう、ラクリエルはこの保護施設とも取引がある。その上、多大な援助を行ってもいる。王家に対してもね。だから、ある程度の融通は利くのさ」
知っている。
ミルラと知り合った後に、ラクリエル家については詳しく調べたのだから。
「しかし、君の行動は正しい」
黙っている伊吹に対して、クリスティアンは珍しく静かな眼差しを向けた。
「ラクリエル家の者は気難しいからね。最初から他人の力を宛てにしてくるようなら、その時点で君は切り捨てられていただろう」
肌寒いにも関わらず、冷や汗が滲む。
「その辺りも計算していたのだとしたら、大したものだよイブキ」
流石は私の友だ、と。
笑うクリスティアンはいつも通り爽やかであるが、言葉の内容は薄ら寒い。
否定も肯定もできない。
ラクリエル家の力を宛てにする事も考えた。あらゆる手段を考えたのだ。同時に真正面から頼っても跳ね除けられるだろうとも、予想していた。だが、敢えてその筋書きは捨てていた。
ミルラの顔が浮かぶたび、妙な罪悪感が湧くために。




