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志真と異世界人学校 4

 朝起きて、学校に行くまでの1時間。それから学校から戻ってからの10時までの4時間。合わせて5時間、志真は宿屋の手伝いをする。その後夕飯を食べ、風呂に入りその後は疲れて寝てしまうのだが、その日は違った。


 志真は机の上にノートや本を広げ、真剣な顔で奇妙な文字と向かい合っていた。


「何としても、覚えてやる…」

 いきなりやる気を出した動機は単純なものだ。

 ウィガーと、それからあの後『まぁ、絵本も読めないのですか。それは大変です。見た目どおり頭も悪いなんて可哀想です』とか志真を馬鹿にしたリキキを見返してやりたい。リキキの言葉の半分もまともに聞き取れなかったが、馬鹿にされた事だけは間違いないと確信している。とにかく、二人への怒りと反抗心がまず一つ。


 もう一つは、モクだ。

 昨日と今日一緒に過ごす間、モクは一言も喋らなかった。筆談で会話を成立させている。こちらの声は聞こえているし、志真の日本語すら何故か理解しているようなのだが、どうやら話す事はできないらしい。もしかしたら声が出ないのかもしれない。

 そんなわけで、モクが何を言っているか理解する為には、どうしても文字が必要になるのだ。

「…………」

 どうしても。

「……うあー!覚えられないよこんなの!」


 開始20分ほどで、志真は机に顔を伏せていた。あまり特徴の無いシンプルな文字が特に覚えにくい。音として読めるようになっても、単語の意味が思い出せない。出掛かってはいるのだが。

「何でこんな目に……」

 行き詰るとつい溜息が出てしまう。

 地道に覚えていくしかないのは分かっているつもりだが、道のりの長さを思うとくじけそうになる。志真は元々根気がある方ではなかった。頭よりも体を動かす事の方が得意だし、あちらにいた時だって、殆ど本は読まなかった。

 だからテストの前はいつもこんな感じで煮詰まって。そうすると『一緒に勉強しよう?』と、梢が……。


 しまった


 と、思った時には遅かった。いつもは、意識的に思い出さないようにしていた向こうのこと。

(だって、思い出したってどうしようもないのに。寂しいだけ、辛くなるだけ)

 じわ、と目の奥が熱くなった。強烈な郷愁が胸に湧く。寂しい、帰りたい、帰りたい、寂しい。


 さびしいよ

 ひとりは辛い、寂しいの


 びく、と志真は身を震わせた。自分のものではない、誰かの心を感じた気がした。背筋がひやりとし、涙が引っ込む。

 そういえば、ここって、いわゆる事故物件だったっけ。

 思わず顔を上げて、室内を見渡す。

 電気ではなく、天井全体から降り注ぐ柔らかい橙の光に照らされた明るい部屋。可愛らしく整えられた広い自室を見渡すが、特に変わった事は無い。

 ほっと気を緩めた時だった。


『貴方も、寂しいのね。私と同じ……』


 今度ははっきりと聞こえた。暗く篭るような女の声だ。全身から血の気が引く。ぞくぞくと身を震わせて、志真は固まった。

(な、何、今の何!?聞こえたよね、絶対、嘘でしょ!?ユーレイとか本当にいるわけ?異世界だからそういうのもアリなわけ!?寂しいってやっぱり……って、あれ!?)

 志真は驚くべき事実に気がついた。


「何で?日本語喋ってる…?」


 思わず立ち上がっていた。幽霊らしきものに対する恐怖が綺麗に吹き飛んだ。それよりも、今は。

「ね、ちょっといるの?まだいる?幽霊さん、えーっと名前…ら、らら…」

『ラスカゥル』

 返事があった!志真はきょろきょろと辺りを見渡したが、相変わらず誰もいない。

「見えないけど、いるんだよね?私の幻聴とかってオチじゃないよね?」

『いるわ。貴方に見えないだけで』

「やっぱり分かる!ねぇ、聞きたいんだけど、何で貴方日本語を話せるの?もしかして、日本人…じゃないよね?」

『……話してるわけじゃないと思うわ、多分……』

 篭ったような幽霊の声は、声量が無く力も無い。他の音に紛れてしまいそうなそれに、志真は必死で耳を傾ける。怖いという気持ちはもう湧いてこなかった。それよりも、こうして普通に会話ができる事の方が大切だ。

『私がこんなだから……魂だけの状態だから、声を出して話せないの。だから、音じゃなくて、私の思い…思念をそのまま貴方に伝えているの』

「え、えーっとつまり何?テレパシーみたいな?」

『…そんな感じなのかしら。普通はね、弱い魂だけの声なんて聞こえないものなのよ。ただ今は、貴方の魂と私の魂が、ちょっとだけ繋がってるから…』

「…………」


 何だか今、凄い事を言われた気がする。


『つまりね、私…今、貴方にちょっとだけとり憑いている状態なの』

「………と、とり憑いてるって…」

『貴方と私、随分波長があっちゃうみたいで…。貴方の傍は何ていうか、心地良いの…それでつい。あ、大丈夫よ。とり殺すとかそういう真似はしないから…。約束する』

 その約束は信じて良いのだろうか。

 ウィガーの話によると、ラスカゥルは殺されているわけで、大抵そういう死に方をした者は恨みを持ってこの世に残る。いわゆる悪霊とか怨霊とかそういうものになるものらしい。よくは知らないが。

「本当に?生きてる者が憎い〜とか、復讐で呪い殺してやる〜とか、思ってない?」

『そりゃあ、生きてる人を羨む気持ちはあるわ。でも、それで殺そうとかは思わない。私が死んだ事だって、勿論犯人に対して思うところはあるけれど、私にも責任があるって事は分かってるの。私が自分でこの運命を引寄せたようなものだもの、仕方が無い事だわ』

 あっさりしている。

 志真だったら、そこまで割り切れるだろうか。

「でも、だったら何でまだここに残ってるの?納得してるなら、その…成仏とかできそうな気がするんだけど」

『心残りがあるの…』


 幽霊は恥ずかしそうに言った。


『私、ちゃんとした恋をしたことがなくて。一生に一度、この人だという人を見つけて恋をする、そう決めていたのにできなかったから』


 幽霊は乙女だった。


「そっか。そうなんだ、うん…恋かー」

 志真にも縁遠い言葉だ。嬉しそうだった梢の姿が思い出される。あの二人、仲良くやっているだろうか。

『志真』

 幽霊は真剣な声で告げる。

『協力してほしいの』

 そうそう、志真にとってはいつまで経っても悪ガキのあの幼馴染も、何故かもてて。それでよく協力を要請されたものだ。その度に志真は、世の女性たちの趣味の悪さに首を捻ったものだった。

『暫くで良いから、私の恋の手助けをしてくれない?……って、聞いてるの?』

「……聞いてる、けど。あのさ、悪いけど流石に幽霊達の恋愛事情までは、守備範囲外というか」

 死んでからも恋をするんだなー、と志真は妙なところに感心していた。幽霊同士でも恋人になったり、別れたりするのだろうか。先ほどから幽霊に対するイメージが壊され捲くっている。

『違うの、志真。私の好きな相手は生きている人間なの』

「えっ」

『ウィガー・ハルベルト様。私、あの人の事が好きなの』

「えぇー!?」


 あんなヤツのどこが気に入ったのか。ついでに様付けもつっこみたい。

「ちょっと待って、ウィガー?よりにもよってウィガー……。待って、待ってね…でもさ、やっぱり駄目。私だってあいつの事は気に入らないところもあるけどね、流石に幽霊にとり殺される手伝いはできなから!」

『そ、そんな物騒な事は考えてないわよ』

「でも幽霊と生きてる人の恋の成就って言ったらさ、行き着くところはそこじゃないの?」

『恋をするだけで良いの……傍で見ててときめいたり、声を聞いたり、意外な一面にドキドキしたり、偶には手が触れちゃったりして…きゃっ』

 触れるのだろうか。志真がどこか冷めた疑問を抱いているとも知らず、ラスカゥルは話し続ける。

『恋を叶えたいなんて思ってないわ。ただ小説みたいに甘く苦しい思いを味わってみたい。でも、私この部屋から出られないし、ウィガー様は中々この部屋にやって来ないから。だから、志真に協力してほしいの』

「協力って言われても」

『簡単な事なの。ずっととは言わないから、暫く貴方にこうしてとり憑かせてほしいの。その間、私は貴方と一緒に移動できるから』

 そうすれば、自然とウィガーと接触する機会も増えるというわけだ。ウィガーは一応志真の保護者だから、確かに嫌でも会う機会は多い。

「うーん、でもさ…とり憑いた状態で、私は大丈夫なわけ?弱って死んじゃったりとかしない?」

『ちょっと、疲れやすくはなるかもしれない…。でも、聞いて。これは貴方にも良い話なのよ』

 それは悪魔の囁きならぬ、幽霊の囁き。


 大変魅力のある囁きに、志真は抗う事はできなかった。


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