志真と繋がる運命と 3
学校のこと。モクのこと、ニトロやアルジャラー達のこと。
モクは熱心に耳を傾けた。本人との思い出をこんな風に語るなんて、少しばかり気恥ずかしい。おかしな状況に困惑したが、次第に気にならなくなった。
このモクは何も知らない。
だから、事細かに説明していかなければならなかった。
「学校っていうのは、勉強するところ。私達が行ってるとこは、外で自立して生活していく為に、必要な事を覚える場所だよ」
「そこに僕が?」
「うん」
「僕には縁のない場所のように思えるけど」
心底不思議そうにモクは首を傾ける。
彼の言葉が真実なら、モクはこの世界に迷い込んでからもう数十年も、ここに閉じ込められているのだ。もうそれが、当たり前の事になっているのかもしれない。
何だか悲しかった。
モクが学校に通えていたのは、どんな奇跡だったのだろう。それを志真の為にぶち壊してしまったのだ。もしかしたら、モクが記憶を失っているのは、保護施設の人達が何かしたせいなのかもしれない。この世界には、そういう技術があるのかも。
(何かそれが正解な気がしてきた……ど、どうしよう、どうすれば)
こんなのとても志真1人の手に負えるようなことじゃない。誰かに相談して。
「そのニトロという人は?」
言葉にはしていない。ぱっと頭に浮かんだ人の名を問われて、志真は目を丸くした。
「あ、えっと、ニトロはクラスメイトで友達。モクを最初に紹介してくれたのも、ニトロだだよ。目が三つあって、いっつもニヤニヤして人をからかうけど、困った時には助けてくれるし、頼りになる人だと思う。モクとも仲が良くて、大体いっつも3人で勉強してた」
ニトロなら、何か良い方法を思いついてくれるかもしれない。それとも、無理だから諦めろというだろうか。
「後ねアルジャラーと、じいさん。この2人は割りと学校に来るんだけどさ、大抵眠っちゃってるんだよね。日当たりいいところで、気持ち良さそうにしてるから、私も時々混ざりたくなっちゃって」
「その人達も、友達……」
「うん。私とモクの友達」
「君の話は不思議だ。僕が外にいて、友達までいるなんて」
「覚えてないかもしれないけど、実際そうだったんだよ」
どうしたら、思い出すことができるのだろう。こんなのは、余りに寂しい。記憶喪失には、強い衝撃を与えるといいとか、うろ覚えのベタな手法しか生憎浮かんでこなかった。
「君の言葉は真実だ。でも、僕は記憶をなくしていない」
これはどういう事なんだろう。不思議そうに首を傾けるモク。単に記憶をなくしているという感覚が、無いだけではないだろうか。
記憶を取り戻すことについての良い考えは、まるで浮かばなかった。
志真にできる事は、ただただモクに記憶を渡すことだけだ。同じ体勢でいるのは疲れるので、どんどん姿勢を崩していった。最後にはごろりと硬い草むらに寝転がって、思いつく限りのことを伝える。
どのぐらいの時間が経っただろう。
窓も時計も無いから、何も分からない。
その内に、志真が行方不明だと騒ぎになるかもしれない。ここに見張りとか、食事を運びに施設の人が来て志真を見つけたら、それこそ大問題になるんじゃないだろうか。
不可抗力、なのだけど。
それを信じてもらえるとは思えなかった。このままでは、またモクに迷惑がかかってしまうかもしれない。(それは、駄目だ。絶対ダメ!)
志真ちゃん
「え?」
不意に呼ばれた気がして、志真は思わず起き上がった。モクの声では無い。か細い女性の声だった。
「聞こえた?」
「うん」
モクにも聞こえたという事は、幻聴とかでは無いようだ。
「シマ」
「へ?」
「シマの体の回りに何かある」
自分の体を見下ろして、志真はぎょっと飛び上がった。
「な、何これ!?」
薄くだが、緑色のもやもやしたものが、体の回りを覆っている。何だか黴みたいだ。
志真ちゃん。
誰かが志真を呼んでいる。その度に、志真の体を覆う緑の膜が濃くなっているような気がした。非常に不気味だ。
「うう、ヤダ……気持ち悪い」
息ができないとか、痛いとかそういう害は今のところ無い。無いが気分は良くなかった。何とか振り払おうとするものの、霧のようなそれはぴったりと、志真の体から離れない。
「誰かが君を呼んでる。どこだろう……、とても、遠い」
モクは、考え込むように宙に顔を向けてから、
「そう……そういうこと」
と、微笑んだ。
「君は未来から来たんだね。怖がらなくていいよ、シマ。君は元の場所へ戻るだけ」
「え、な、何?未来って!」
どういうこと!?
全身を隈なく覆う緑の膜に動揺しつつも、志真は懸命にその言葉の意味を考えた。元の場所へ戻るという言葉に、妙な胸騒ぎがして思わず指を伸ばす。モクの冷たい手を掴もうとしたのに、それはするりとすり抜けた。
「なっ!」
有り得ない光景に、志真は更に混乱を深める。
「やだ、モク、私」
「悲しまないで。僕は嬉しい。この先に、君と会える未来があるって分かってるから」
「何言ってるかわかんないよ!モク!私ここにいる、出られないって言うなら一緒にいるよ!」
それで何処に行けなくたって構わない。
「……僕に会いに来て、シマ。ずっと、待ってるから」
柔らかく微笑んだモクの顔が近づく。ふっと額に呼気を感じた瞬間、柔らかい暖かいものが触れた。ぴりっと痺れるようなむず痒さが、一瞬で触れた場所から全身を駆け巡る。眩暈がした。視界がぐるぐる回って、すぐ目の前にあるモクの顔が良く見えない。
「モク」
「またね、シマ」
それが最後の言葉だった。
耳元でざわざわと鳴っていた音が、一斉に止む。そして。
志真ちゃん!
菊乃の声だ。そう思った瞬間、誰かに腕を掴まれていた。ぐんと、世界が一回転するみたいな感覚がして、気がつけば酷く眩しい場所にいた。目を開けていられなくて、思わず瞑る。
柔らかい風が志真の頬をなでていく。
ここはモクといた、あの四角い部屋ではない。外だ。志真1人で、外に出てしまったのだ。あそこに、モクを置いて。
(私だけ……)
***
「やっぱり、そうなんだな、ハイタニ・シマ。彼女が」
何の変哲もない、特別な能力の1つも、特異点も見られない単なる不幸な世界喪失者だった。あまりにも平凡で、だからこそ自分が立てた仮説であっても、疑わずにはいられなかったのだが。
今、その正しさが証明されたのだ。
「こう繋がるのか、面白いもんだ」
モク、という異世界人の事は、彼ら異世界人の中でもかなり有名な存在だった。目を見ただけで人の命を奪う事ができる。言葉で他者を支配し、耳で人の秘密を暴く。その気になれば、触れたものに命を与えることすらできるのだという。
彼を人ではなく、神だと噂する者もいた。
どこまでが本当かは知らない。
だが実際に彼はこの世界に落ちてから60年近く、保護施設の地下で隔離され続けてきた。それだけ危険だという事は間違いない。
そのモクが外に出たというのは、正に奇跡のような大事件だった。
色々な思惑を持つ者達が、こぞって彼に近づき、取り入ろうとした。だが、全ては無駄に終わる。彼は既に主従の契約を結んでいたのだ。
その相手が誰なのか。
その意味を知る者はそれこそ血眼になって探した。見つかる筈も無い相手を。そう笑えるのは、それこそ全ての事情が知れた今だからこそ。
志真はモクを慕っていた。だからこそ寸道は志真に道を開いた。過去に繋がったのは、運命としか言いようがない。そこでモクは志真と主従の契約を結ぶ。モクは外へ出て、再び志真と会う日を待っていたのだ。
二つ目を閉じた三つ目の男は笑う。
「何が起こるか、楽しみだ」




