志真と繋がる運命と 2
夢なのか、それとも彼は志真の知るモクではないのか。
どちらにしても、知らないというのなら名乗らなければならない。
「私は志真。灰谷志真、名前は志真の方ね。えーっと、ちょっとでもこう聞き覚えとかない?」
少し考えるように間を置いてから、モクは首を横に振った。聞かなきゃ良かった。何だかがっかりしてしまう。
「貴方は、モクで良いんだよね?」
頷く仕草とかは本当に、志真の知っているモクと同じなのだが。
「私、モクとは友達のつもりだったんだけど」
少なくとも、今のところは。
拗ねるような気持ちでそう言うと、モクは呆気に取られたような顔になった。相変わらず目は閉じているものの、小さく口が開いている。
「友達……僕と?」
「そう……っていうか、そっちが、私の知ってるモクならだけど」
大分止まってきた鼻血を拭う。どこかに血がついていないだろうか。鏡がないと分からない。
「ねぇ、ここに鏡とか……ひえ!?」
顔を上げた志真は、すぐ目の前に少年の白い顔を見つけて飛び上がった。驚く志真のことなど構わずに、モクは鼻先を首の辺りに近づける。
「な、な、何何なにー!」
匂いを嗅がれている?犬か。モクは時々動物っぽい仕草をするって……そんな事はどうでも良くて、近い、近すぎる!目を開けていないから、適度な距離が測れないのだろうか。のけぞるようにして離れるが、出来た距離の分だけモクは追ってきた。
「モク!」
いっぱいいっぱいになって叫ぶと、漸くモクは志真から離れた。真っ赤な顔で汗まで掻いている志真に比べて、モクの白い肌は少しも色を変えていない。平然としている。
(なんか、再び負けた気分……)
モクは顎に手を添えるようにして、難しい顔になった。
「……不思議だ」
志真からしたら、モクは不思議だらけだが。
「さっきは血の匂いが濃くて気がつかなかったけど、どうしてだろう。君から僕の匂いがする」
「に、匂い?何?」
しかも『僕の匂い』って何!
「微かだけど、僕の守りの気配があるんだ。不思議だ。僕には覚えが無いけど、僕は君に会ったことがあるんだろうか」
じっと見つめられているような気がした。相変わらず目は閉じられているけれども、何といえば良いのだろうか。モクの全神経が自分へと向けられているような気がするのだ。
(な、何か緊張……する)
ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく感じて、うろたえた。
夢とは思えないリアルさだ。
だんだん夢だと思い込むことも難しくなってきた。だとしたらどういう事になるのだろう。この人は、本当にモクなのか。モクなら、どうして志真のことを知らないなんて言うのか。
「も、しかして、モク、記憶喪失?」
ぱっと閃いた言葉を口にした途端、何だかありそうなことに思えてきた。保護施設で何かあって、それで記憶を無くした、とか。
「モク、他の人の事は分かる?」
「他の人?」
「そうそう、学校の皆だよ。ニトロとか、アルジャラーとか、ハルさんとか、じーさんとか……あと、リキキとキリリとかもね」
リキキの辺りは思い切り小声になってしまったのも仕方が無い。
(私の事忘れてるのに、あっちを覚えてるとか、ショックだし)
そんな密かなもやもやに蓋をして、志真は眉を顰めているモクを見た。
「覚えてる、よね?」
ゆっくりと首を横に振ったモクは、困ったように首を傾ける。
「学校、って何?」
「え!そこから!?」
思ったより事態は深刻だ。一体どれだけの記憶を、モクは失ってしまったんだろうか。そしてそんな事になる原因とは一体。
何だか悲しくなってきた。
「ごめんね、本当にごめん、モク」
「どうして君が謝るの?」
「だって、モクが保護施設に入らなくちゃいけなくなったの、私のせいだもん」
「?」
「今のモクは覚えてないかもしれないけど、モクは私を助けに来てくれたんだよ。でもそれで、保護法違反?何か、駄目なことしちゃったみたいで、モクだけまた施設に入れられちゃって」
鼻の奥がつんとしてきた。じわじわと涙が滲んできたので、志真はそれを抑えようと額に拳を押し当てた。
「私、何にもできなくて」
「勘違いだよ」
「え」
「僕は記憶を無くしていない。僕は君を知らない、学校も他の人も。だって僕は、もう何十年もずっとここから外に出ていない」
記憶をなくした記憶すらないのでは。そう思ったが、それよりも衝撃的な発言があった。
「な、何十年とか、言った?」
何週間とかの間違いではなくて。
「うん」
あっさりと、モクは肯定する。
「冗談、じゃないよね?何それ、どういうこと……」
もしも志真たちの記憶を失っているのだとしても、それ以前の記憶は残る筈だ。その記憶が、何十年も閉じ込められているというものだというのか。
「……モクって、何歳?」
「ちゃんと数えたことが無いから分からない。でも、200年くらいは生きている気がする」
長寿過ぎる。
自分とそんなに年が変わらないように見える少年を、志真はしげしげと見やる。モク流ジョークではないのか。確かにニトロも、モクの年は分からないとか、結構生きているらしいとか言っていた気もする。
自己申告の年が正しいのだとしたら、何十年も閉じ込められているという発言にも真実味が出てきた。
でも、どうして?
自分の時は、追い出されるような勢いで外に出された。危険性がないと判断されたからだと、ニトロは言っていた。逆に危険な力を持つ者は、それだけ審査も厳しくなるということだ。
モクは、どうして。
「僕は、呪いを持った竜だから」
志真の心の中に浮かんだ疑問に、モクは淡々と答えを与えた。
「呪い?」
「僕の目を見たものは、皆死ぬ。そういう呪いを持って生まれた者を、僕の世界では命者と呼ぶ。死者の国を統べる神が、足りない命を狩る為にこの世に送り出すのだと。命者は神殿から出ることを許されない。間違った命を狩らないように。そこで、罪人の命を狩る役目を与えられる」
ちかちかと、目の奥で点滅する光。
そこで志真の知らない世界を、モクの姿を見ているような気になった。言葉としては理解できないのに、伝わってくるものがある。
志真には見えた。
薄暗い冷たい石の壁に囲まれて、たった一人で空を見上げているモクの姿が。胸が痛くなるような、寂しい光景だ。
「あまり、見ないで。君の魂を迷わせてしまう」
モクの白いひんやりした手が、いつの間にか志真の目を塞いでいた。真っ暗だ。
「何?」
「僕の声も、本当は良くない。届きすぎるから」
優しく触れていた手をそっと外すと、モクは微かに微笑んだ。
「世界が変わっても、僕は変わらなかった。僕の目は誰かを殺すし、僕の声は誰かを惑わす。だからここにいる。それだけ。君が寂しく思うことはないよ」
目を閉じているモク、目隠しをしているモク。
彼の話を聞いているうちに、自分が何も知らないことを思い知ってしまう。どうしてモクが目隠しをしているのか、喋ろうとしないのか。その理由を、志真は知らずにいた。
何にも、知らなかった。
「不思議だ。君が悲しいと、僕も悲しい」
唇を噛む志真の顔へ、モクは手を伸ばした。
「君の中の僕の知らない僕の記憶。それが、謎の答えになるのだろうか。教えて、シマ」
囁くような声に背中を押され、志真は口を開いた。




