志真と繋がる運命と 1
考えろ、考えろ、考えろ。
どうすれば良いのか、自分に何ができるのか、何を信じて、何を自分の敵とするのか。
「シマ!」
ノックも成しに部屋に飛び込んできたフィオーネは、驚く志真に抱きついてきた。一瞬だけ見えた顔は、今にも泣きそうなものだった。肩に回された腕も細かく震えている。
あの時と一緒だ。
志真が妙な水溜りに飲み込まれて、戻って来た後。勿論、すぐにここへ帰って来たわけでは無い。保護施設であれこれ事情を聞かれて、身体検査を受けて、事故のショックで混乱有りと診断を受けた為、一晩泊まって様子を見た後、戻された。
戻って来た志真を見たフィオーネは、丁度今みたいに泣きそうな顔で迎えてくれた。良かった、と言って。家族みたいに抱きとめて迎えてくれたのだ。
「どうしたの、フィオーネ」
「イブキが見つかったって。ミルラさんも無事よ。詳しくは教えてもらえなかったけど、命には別状ないし、酷い怪我もしていないって」
いっさんが。
「良かった」
のかな。
伊吹には色々な疑惑が持ち上がっていた筈。簡単に疑いを晴らすことができるのだろうか。
「戻ってこれる?」
「暫くは、また検査とか調査とかで無理みたいね」
黙りこむ志真を励ますように、フィオーネはその肩を撫でた。
「大丈夫よ、ちゃんと帰ってくるから」
本当は、フィオーネだって不安な筈なのに。本当に、良い人だ。
(でも、フィオーネはきっと何も知らないんだ)
保護施設。
今の志真にとっては、その名前は悪の秘密結社みたいな印象になっていた。
緑色の水溜りに落ちた後の事は、覚えていないと志真は言った。大泣きして、取り乱していたのが幸いして、その嘘はあっさりと信じられたようだ。
そう、嘘である。
本当は覚えていた。
(忘れる筈ない)
「痛っ!」
水溜りには底がなく、ぬるりと滑るようなぞっとする感触が、つま先から頭の天辺までを撫でて行った。視界がもやもやと薄暗く濁ったかと思ったら、次の瞬間ぱっと開けた。
青黒く光る壁が眼前に迫る。反射神経はいい方だけど、これは無理!成す術もなく、志真はその壁に激突していた。
思い切り鼻をぶつけた後、反動で後ろへ傾いた。目の奥で白い火花が飛び散っている。あまりの痛みに呻きながら鼻を押さえ、その場にへたり込む。鼻の奥が熱い。濡れた感触が落ちてきて、確認すると思った通り鼻血が出ていた。
「うう…、何、何なわけ」
涙目で鼻を押さえながら、鞄を漁る。生憎ハンカチしか見つからなかった。薄い黄色の花柄のハンカチを犠牲にして、何とか鼻血を押さえながら、志真は周囲に目をやった。
薄暗い部屋だ。それに何だか寒い。
外を歩いていた筈なのに、いきなり室内とか怪しすぎる。こういう経験は、2度目だ。
「また、違う世界に来ちゃったとか」
そんなんだったらどうしよう。
戻れたのだったら、大歓迎だけど。
「あ、下、草だ」
通りでがさがさ音がすると思った。鼻を押さえていない方の手で、ゆっくりと草を掻き分ける。その下は地面ではなく、壁と同じような色をした硬い石(金属)だ。
何だこれ。
この不可思議さ、どうやら日本に戻れたわけではなさそうだ。(その線は最初から期待してなんかいなかったけど)
「だれ?」
唐突に沈黙を破った何者かの声に、志真は思わずハンカチを取り落とした。
人がいるという可能性を、思いつかなかった自分に驚きだ。薄暗くてよく分からないが、ここは外なんかではなく室内。
不可抗力とはいえ、志真の立場は不法侵入者だ。
「ご、ごめん、私、あの」
あー、何て言い訳すれば良いんだ!
とにかく謝り倒すしかない。志真は声の主を探して、部屋の中を見渡した。大分目が慣れてきたようで、部屋の様子が見えてきた。窓もドアも確認できない、箱みたいな部屋だ。広さは結構あって、10畳くらい?床にはびっしりと植物が生えている。
「………って、あれ?」
誰もいないぞ。
誰かの声を聞いたと思ったのに。幻聴だろうか。
「新しい、人?」
耳のすぐ後ろに息遣いを感じて、志真は飛び上がった。
「ひょわぁ!」
ホラー映画とかでも、一番怖いのはこうやって安心しかけたところで突然出て来る場面だと思う。
あわあわと、床を這うように移動して、振り返る。
一番最初に目に入ったのは、白だ。
白い服を着た、細身の少年。白い肌に、青みがかった銀の髪。柔らかく閉じられた瞼を縁取る睫毛も、銀色だ。
「え」
と、思わず呆けた声が出る。
だって、まさか。いや、でも似ている。最も、志真の知っている彼は、常に目隠しをしていた為、本当に似ているのかは分からないのだが。
顔は、でも髪の色や鼻から下の感じは。
「も、モク?」
恐る恐る呼びかけると、少年は小さく首を傾けた。そのゆっくりとした動作は、やはりモクと通じる。
「そうだけど、君は?」
「え」
「誰?」
その言葉は容赦なく志真の心臓を抉ってくれた。
ショックだった。
ずっと会いたかったのに。会えたと思ったら「誰?」ってあんまりじゃないか。
(いや、ちょっと待って。この人って本当にあのモク?)
似ているとは思うし、本人も肯定した。でも、何だか彼は志真の知るモクとは、雰囲気が違う。目隠しだってしていないし、普通に喋っているし。
何より普通、忘れるか?……モクが自分を忘れる筈がない、とこの辺は願望だ。
同名の良く似た他人、とか?それとも、兄弟とかそういう。
「僕は1人だよ」
「え?」
「兄弟はいない」
口に出してはいない、筈だ。志真は思わず口元へ手をやった。濡れた感触に、鼻血を出していたことを思い出す。
うわ、酷い。
慌てて手で顔を覆いながら、志真は俯いた。よりにもよって、こんな顔を見られるとは。赤面しつつ、落としたハンカチを探す。
「これ?」
志真の血がついた、薄い黄色のハンカチを少年が差し出す。
「あ、ありがとう」
何だかもう泣きそうに惨めな思いを感じつつ、志真はそれを受け取った。
どうしよう。やっぱりこの人はモクかもしれない。
モクもこの彼と同じように、言葉にしなくても志真の言いたい事を分かってくれていた。知らない筈の日本語も理解してくれて、改めて考えると何だか謎だ。
分からないけど、もしもこの人が本当にモクなら。
「ここは、異世界人保護施設なの?」
試すように日本語で聞いた質問に、モクは小さく頷いた。
「そう聞くということは、君は知らずに来たんだね」
「う……ん。学校に行く途中だったんだけど、変な水溜りに落ちちゃって。気がついたらここにいて。何か、よく分かんないんだけど」
うーん、と頭を捻った後、志真はある結論に達した。
「あ、ひょっとしてこれって夢?」
「え?」
「何か色々と変だし。でも夢なら都合よくモクがいても不思議じゃ無いかも」
「………」
ならば、忘れられているっていうのは、心の奥底にある「こうなったら嫌だなー」が反映された結果だろうか。
志真は改めて怪訝な顔をしているモクを眺めた。
顰められた眉があるせいか、志真の知る彼よりも表情が豊かに見える。一番大きな違いは、やはりあのインパクトのある目隠しが無いことだ。
それなのに、何故目を閉じているのだろう。
(私がモクの目の色を、知らないから?)
殆ど無意識で、手を伸ばしていた。
指先がモクの白い頬に触れると、彼はびくりと肩を震わせるようにして後ろに下がった。
「何するの」
「え、あ、ごめん。何で目を閉じているのかなって」
「………」
薄い唇を引き結び、彼は困ったように首を傾けた。
「君は、誰?」
何だか途方に暮れたような声だと思った。




