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伊吹、約束する 5

 狭い通路を塞ぐ形で、彼女は立っている。

 死んだと伝えられていたルーミケラウスが、生きていた。

(本物、か?)

 目の前の女と、自分が知るルーミケラウスに差異はないように思えた。他人の空似というレベルではない。

 確かに死体は見つからず、捜索中だと言っていたが。見つからない筈だ。まだ死んでいないのならば。

 長い髪を1つに束ね、相変わらず露出の高い服を着ている。赤いタンクトップのような上は丈が短く、腹の辺りは丸見えだ。黒いぴっちりした短パンに、透かし模様の入った橙の布を腰に巻きつけ斜めに垂らしている。

 健康そうな肌艶といい、かなり元気そうだ。


「何がどうなっているんだ」


 伊吹の問いに、ルーミケラウスは肩を竦める。

「ナナミったら、何ドジ踏んでいるのよ。それともお遊びの最中だった?」

「むーふーうー」

「うふふ、なぁに言ってるのか全然分からないわぁ。楽しい?そっちの可愛い女の子は随分具合が悪そうね」

 そうだ。

 腕にある、重みと熱を意識する。驚いている時間は無い。ルーミケラウスが生きている理由も意味も、伊吹には関係のない事だ。本物だろうと良く似た誰かだろうと、どちらでも良い。

 この場にいる以上、伊吹の敵だ。だったら、言う事は1つ。


「ここから出せ」


 七海の首元に再びナイフを突きつけて告げると、ルーミケラウスはアーモンドのような形の目丸くした後、からかうように微笑んだ。

「ちょっと見ないうちに勇ましくなったわねぇ、イブキ。でも、本当にできるの?ここにいるのは、私達みたいなか弱い女ばかりじゃないし。ふらふらなお嬢さんを連れて立ち回るのは、ちょっと大変だと思うわよ」

「真正面から喧嘩を売ることなんて、最初から考えてない」

「なるほど、作戦があるっていうわけね」


 腕を組み、余裕の表情で「お姉さんに聞かせてみなさい」とか、完全に舐められている。そんなところで、次の発言をするのはかなり気が引けたが。


「死んでやる」

「は?」

「どんな手を使ってでも、死んでやるって言っているんだ」

「……どんな脅しなのよ、それ」


 ……うるさい。放っておいてくれ。自分でも、情けない発言だという事は良く分かっている。


 七海もルーミケラウスも訝しげな顔をしていた。しかし、その発言に最も驚いていたのは、ミルラだ。青さと赤さを混合したような酷い顔色で、それこそ死にそうに苦しそうな顔で、不安そうに伊吹を見上げる。

「イブキ、何を言っていますの」

「情けないが俺には何もない。力は元々自信がないけど、頭の方だって多少は良いけど、それだけじゃ足りないっていう事くらい分かっている。だから、なるべく地味に堅実に生きていこうって思っていたんだ。こんなわけの分からない異世界じゃ、余計に」

 それを悉く邪魔しやがって。

 誰も彼も、何故伊吹を放って置いてくれないのだ。

「俺にとっちゃ、迷惑な話だけどな。俺が今ここにいるのは、吹雪が頼んだからだろ。あいつは馬鹿だけど、身内を見捨てるような奴じゃない」

 まぁ、それが迷惑の元で、こんな事になっている元凶でもあるわけだが。

「だからもし、ここで俺が死ねば。お前達にダメージはなくても、吹雪は違う。もう、ここには俺くらいしか話のできる家族はいないから、余計にな」


 伊吹がここにいるのは、吹雪の為だ。


 彼らにとって、伊吹に価値は無いかもしれないが、吹雪には価値がある。敵対者、だからなのか。それとも他に意味があるのか。まぁ、どうだって良い。問題は、吹雪を通せば伊吹自身にも価値が出て来るという事だ。


「もう一分一秒たりともこんな所に居たくない。本物の薬を渡せ。それからミルラと俺をここから出せ。叶わないなら、死んでやる」


 伊吹が武器にできるのは、正にその身ひとつだった。


 七海が不自由な半身を捻って、伊吹を睨みつけた。ぶんぶんと首を横に振って、何かをしきりに訴えている。シャツを外してやると、早速怒鳴られた。

「アンタはどうしてそこまで分かってるのに、分かんないんだ!」

 いつもどこか飄々と人を上から見下ろしているような彼女の、そんな風に感情をむき出しにした姿は初めて見る。

「フブキはアンタの心配ばっかりしてたよ。自分の方が大変で、それどころじゃないのに、全部後回しで。なのにアンタは何よ。どうしてたった一人の家族の味方になってあげないんだ!」

「本当に俺の為を思ってるって言うんなら」

 関わらないでいてくれると有り難かったのだが。

 思わず笑ってしまう。

「誰かの為なら、何をしても許されるっていうのか?思いやりから、愛情から出た行為だから許せって、我慢しろって。そんなの、結果を見通せない唯のエゴでしかないだろ」

 伊吹の気持ちなどそこには無い。


 こよりの望みだったかもしれない。

 だけどその行為は確かに彼女に死を導いた。こよりがいなくなった時、どれだけ皆が心配したか。半狂乱になっていた母の涙。青褪めた顔で探し回っていた父の小さく見えた後姿。

 突然こんな所に連れてこられたあげく、故意に病気にさせられたミルラ。それも下手をすれば、命に関わるような。

(誰が許したって)


「俺は許さない。お前らも、吹雪も」


 外へ向けていたナイフを、自分へ向ける。

 不思議だが、人に向けるよりはずっと、気が楽だった。


「イブキ!」


 しかし、反撃は思わぬところからやってくる。掴まっていた腕を振りほどき、ミルラがナイフを持っている方の腕へしがみ付いて来た。ナイフの先が危なっかしく揺れて、肝が冷えた。


 殺す気か!


「ちょ、やめろ、ミルラ!」

「いけませんわ!死ぬなんて!イブキがし、死んだりしたら、わたくしっ…」

「落ち着いてください、只の脅しです……今はまだ」

「えい」

 その隙を、見逃される筈はなかった。もみ合うミルラと伊吹へ、七海が体当たりを仕掛ける。2人分の体重を伊吹が受け止められるはずはなく、敢え無く床に転がった。

 しかしナイフは死守してある。

 起き上がる事もできないが。


「しぶといなぁ」

「そっちこそしつこいんだよ。さっさと諦めて俺達を解放しろ。もう俺は、ここで大人しく監禁されている気は無い」

「……そうねぇ、もう諦めたら、ナナミ」


 思わぬところから応援が入った。腕を組み、呆れたような顔でこちらを見下ろすルーミケラウスだ。


「イブキは頭固いわよ。ここで死なれたら面倒っていうのは、確かにその通りなんだし。ここに置く事に拘る必要は、もう無いでしょ」

 どういう事だ?

 伊吹の視線に、ルーミケラウスは小さく首を横に振った。

「フブキがちょっとね、変なのよ。ここのところ、ずっと眠っているの」

 瞳に、物憂げな色が浮かぶ。

「もうこのまま、“フブキ”は二度と目覚めないかもしれないわ」


 その言葉は、妙に重く伊吹の胸に響いた。


『助けてあげて』


 そう言われて、頷いてしまったのは、一体いつの事だったのだろう。




 男は灰色の夢を見ていた。

 世界が剥がれ落ちていく夢。大勢の人々が涙を流し、絶望し、それを呪う。


 見上げれば、破れた空が見える。

 青空の下で何も知らず幸せそうに笑いあう人達がいて、それは酷く残酷な現実だった。


 憎い、どうして、悲しい、苦しい。

 本当はただ。


 男は一度目を瞑り、それから地上へ目を向けた。ひび割れ黒く焦げたような大地の上に、立ち竦む痩せた少女が1人。

 男は無言で彼女へと手を差し出す。少女は大きな瞳を瞬いて、やがて小さく笑った。


「私は、ジューエ」


 忘れないでね。

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