伊吹、約束する 2
寝たくない。
寝たら、帰っちゃうんでしょう?
何だか懐かしい記憶を呼び戻してしまった。伊吹はテーブルを隅へと追いやって、ソファーをベッドの横へと移動させた。そこでなら、本を読みながら下段のベッドで眠るミルラの様子を見る事ができる。
まだ熱が上がっている最中らしく、震えているのであるだけの毛布と布団をかけておいた。今後あがりきった熱が下がってくれば、逆に暑くなってくる。汗を掻くことも考慮して、着替えの服とタオル、水分補給用の水と、頭を冷やす用の水桶とタオルを用意しておいた。
医者はまだ来ない。
というか、こちらから呼びかける手段が無いのだ。一応先程大声で叫んでおいたが、気がついてもらえただろうか。
駄目だったら、七海が昼食を運んでくるまで待たなければならない。
異変に気づき、すぐに飛んでくる様子が無いところを見ると、監視カメラのようなものは無いようだ。
ただの風邪ならば良いが。
こちらの病気のことには詳しくない。だから不安だった。こよりのこともあって、病人の看病には慣れているし、病気についての知識も普通の人よりはあると思う。
しかし、それはあくまで向こうの世界での話。
こちらの世界ではまた別だ。
伊吹の知らない病も山ほどあるだろうし、体のつくりだって同じだとは限らない。
(そうだ、同じ、じゃない)
肌の色に、目の色、髪の色。
それ以上に、様々な違いがあるかもしれない。だとしたら、向こうでしていたのと同じやり方で良いのかすら、不安になってくる。思わぬことが命取りとなってしまう事も無いとは言えない。
考え出すと、止まらなかった。じわじわとした不安が心の中を圧迫しだす。
「………」
とうとうじっとしていられなくなって、伊吹は再びソファーから立ち上がると、鉄格子に指をかけた。
息を吸ってから、がしゃがしゃと思い切り揺らしてやる。
「誰かいないのか!さっさと医者を連れて来いって言ってんだろ!」
そうして騒ぐ事2分程度で、漸く七海が現れた。遅い、と不満を口にはするものの、彼女の登場がこれ程まで嬉しかったことが嘗てあっただろうか。勿論、無い。多分、これから先も無いだろう。
七海は1人ではなかった。
背後に巨大な男を1人連れてきていた。身長は2メートルは確実に越えていそうな大男で、横幅もある。その為狭い通路で窮屈そうに身を屈めていなければならないらしかった。
目を引くのは、体の大きさばかりではない。
全身黄土色に光る鱗で覆われており、鼻先はつぶれ、左右に離れた両目は瞳孔が縦に伸びている。恐竜がそのまま生き延びて進化を遂げたら、こんな感じになったかもしれない。そう思わせるような姿だ。
あの石みたいな拳で殴られたら、一発であの世に直行できそうである。まさか、騒いだ事への脅しとして連れて来たわけではないだろうな。
不審の目を向ける伊吹に対して、七海はにやにやと笑い返した。
「ご希望のお医者さんだよ」
マジか。
そんな思いが顔に出てしまったのだろうか。大きな体の医者からじろりと鋭い視線を向けられた。すっと開かれた口の間から、白く尖った歯が覗く。
「患者は?」
意外に低く響く良い声であった。
「こちらです、が」
果たして大きいとはいえない牢の入り口を、彼は潜れるのだろうか。ベッドで眠るミルラを見下ろした大男は、すっとその目を細める。
「開けても構わないな?」
「後で修理してくれるなら」
謎の会話が交わされた。直後、大きな両手が鉄格子を掴んだ。まさかと思う暇も無かった。気がついた時には、がこんという重々しい音が続けざまに響き、鉄格子ごと綺麗に取り外されていた。
有り得ない。
呆然とする伊吹を押しのけて、恐竜のような医者がミルラのベッド脇にひざまずく。その姿を見て、漸く硬直が解けた。
医者だというのは本当かもしれない。が、今の有り得ない力技を見せ付けられた後では、彼にミルラの診察を任せることに、大きな不安を感じてしまう。
「おい」
「心配しなくていいよ、弟くん。ああ見えてズガンは天才的な名医だからね」
何だその効果音みたいな名前。伊吹にとって、七海の言葉など何の保証にもならない。しかしここでは悔しい事に、彼らを頼るしかない事も分かっている。
だから。
「これでミルラに何かあったら、俺はお前達に必ず報復するからな」
「へー、何してくれるのかそれはそれで楽しみだよ」
ムカつくほど余裕である。
分かっている。伊吹は無力だ。人一人助ける事すらできない。それでも、だ。必ずどこかに突破口が見つかる筈だ。蟻が象を倒すことだってあるのだ。
油断無く見守る中で、ズガンは手際よく診察を進めていた。腕がよいというのは本当かもしれない。鉄格子を外したその手で脈を取り、熱を図り、首元においた謎の長細い機械で何かを調べた後、採血を済ませた。
持ってきた鞄の中に入っていた長方形の黒い箱、何かの計測器のようなものに採血した血液を入れる。宙に映し出された文字の羅列は、伊吹には読めなかった。次々と流れるように表示されるそれを、ズガンは食い入るように見つめている。
表情の読みにくい、鱗で覆われたその顔が、僅かに顰められたのを伊吹は見逃さなかった。同時に七海も気づいたようだ。
「悪いの?」
「いや……ストロノームだ。病気ではない、中毒症状を起こしている。どこかでギャリニアの種を吸い込んだな」
ストロノーム。
植物に寄生されること。
それは、異界から持ち込まれた病気だった筈だ。伊吹が知っているのは、植物関連の単語だったからである。
寄生する植物は数十種あり、出て来る症状も寄生方法も様々だ。ギャリニアは、粉のような細かい種を飛ばし、口や鼻から体内に入り込む。喉や鼻の奥等で寄生し、成長と共に毒素を排出し、宿主を弱らせ殺すタイプの植物だ。
やがてその死肉を肥料に根を張り、芽を出し成長する。
「薬を飲めば種はすぐに排除できる。種が消えれば、中毒症状も自然と緩和していくだろう。だが」
重々しい声で、ズガンは言った。
「生憎、ここには除薬の類は置いていない」
そうか。なるほど。だったら簡単な事だ。
伊吹は隣に立つ七海を見た。
「帰せ。今すぐに」
再三要求し、その度にのらりくらりと交わされ続けてきた。しかし、今回は絶対に要求を通らせる必要がある。
「ミルラだけでいい。元々、あんた達の目的は俺だけなんだ。それに、死なせる事はあんた達も本意じゃないんだろう」
「薬を調達するっていうのじゃ駄目?」
「身元のしっかりした医療機関でないと、入手困難な品だ」
「そう」
参ったなぁ、と頭を掻く七海を、伊吹は白い目で見た。
「こうなったのも、お前のせいだろ」
ミルラが寄生されたのは、おそらくあの植物園での事だ。ガラスを割って、そこにミルラを置いたのは他でもない、この七海である。
「少しでも責任を感じるなら、ミルラを帰せ。できれば俺も帰してもらいたいものだが、この際妥協する。とにかく、ミルラだけでも」
「駄目ですわ」
力の無い声で、異を唱えたのはミルラだった。
苦しげに眉根をよせ、いつの間にか青い目を薄っすらと開いている。起き上がろうとするところを、ズガンが押しとどめた。
「ミルラさん」
「駄目ですわ、イブキ」
苦しそうな息を吐き出しながら、懸命に言葉を繋げる。
「こんなところに、イブキ1人で置いて行けません、わたくしなら、大丈夫ですから」
大丈夫だよ
その言葉は、伊吹の古傷を刺激する。
ああ、全くどいつもこいつも。




