伊吹、約束する 1
その頃、相変わらずの監禁生活を送っていた伊吹は、当然志真の身に起こった事は知る由も無かった。
今日で7日目。
解放される気配は無く、助けがくる気配も無い。運動不足に加えて、出て来る料理のワンパターンさにストレスが着々と溜まっている。
硬い保存の利きそうなパンに、野菜スープ。肉類、魚類は干したもの、塩漬けにしたもの。果物は砂糖漬けか乾燥させたもの。捕虜だから手を抜かれているわけではなく、大っぴらに動けない為に長く保つ食料品ばかり用意してあるのだろう。
ここはどうやら一軒屋の一室等ではなく、大きな乗り物の内部らしかった。最初はどこかに静止していたらしく気がつかなかったが、2日目の夕方頃になっていきなり動き出した。以来、止まったり動いたりを繰返し移動を続けている。
揺れがあまり感じられないので、水の上とかでは無いと思う。空の上でも無い筈だ。それはあまりに目立ちすぎる。
「朝だよー、起きてる?」
朝から苛々するほど明るく弾むような声だった。
声の主は、こんこん、と壁を叩きながら、ひょいとドアについた鉄格子越しに部屋の中を覗き込む。茶色い毛布の上で胡坐をかいている伊吹の姿を確認した後、ドアを開けた。
「おはよう、弟くん。可愛い彼女がお待ちかねだよ」
からかうような言葉に反応したら負けだ。
マットも無い床で寝ている為、体の節々が痛い。もう大分、慣れたが。夜寝る時だけでも部屋を別にしてくれと、頼んだのは伊吹の方だった。2段ベッドの上下とはいえ、同じ部屋に寝ているというだけで意識せざるを得ない。
悲しいほど、女性に免疫が無い伊吹だった。
健全な青少年である以上、色々と不都合なところもある。何とかミルラを説得して、夜眠る時のみ隣の物置(?)のような縦長の狭い部屋の使用を勝ち取った。
毛布2枚しか与えられなかったのは、面倒だとぶつぶつ文句を言っていた七海の嫌がらせかもしれないが、後悔はしていない。
やはり、1人で考える時間というのも必要だと思うのだ。
七海について、部屋を後にし、すぐ隣の牢へと移る。
誘導するのは小柄で華奢な女が1人、だ。
特に拘束されてもいない伊吹が、彼女を人質に脱出を目論むのは当然の事だった。確かに体力に自信は無い。だが、何とかいけそうな気がするくらいに、彼女は頼りなく見えた。
のに。
3日は慎重に様子を見て、4日目に行動に移したところ、あっさりと投げ飛ばされた。綺麗な一本背負いで。(そういえばこいつの爺さんが日本人だとか言っていたっけ)と、投げられている最中に思い出した。
受身などは取れず、思い切りぶつけた背中の痛みに呼吸を止めていた伊吹を、七海はにやりとしながら見下ろした。
ぼそぼそと、聞きなれない言葉を呟いた後、七海の掌の上に火の玉のようなものが浮かんだ。そこで完全に、伊吹は自分と彼女の戦闘力の差を悟った。圧倒的に、負けている。格闘家+魔法使いとか、卑怯だろう。せめてどちらかにしてくれ。
今、考えれば。
そうでなかったら、のこのこ彼女1人で出歩いたりしないだろう。伊吹達を攫いに来たのも彼女だった。
そんな理由で、彼女を人質にとっての脱出は諦めざるを得なかった。
「おはようございます、イブキ」
伊吹が顔を覗かせると、いつものように、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってくるミルラだったが、流石に少し疲れているようだ。
早く、何とかしないと。
ミルラに挨拶を返してから、背後で鍵を掛けている七海を振り返る。
「おい」
「はいはい?」
「……今日は吹雪は」
ざーんねん、と両手を軽く開き七海は首を横に振った。
「まだちょっと調子が良くないみたいなんだ」
これで、何日目だ。1日目に顔を合わせて以来、奴は全く顔を見せてこない。こっちから話をさせろと言っても、調子が悪いと断られる。
本当か、と疑う気持ちと、もう1つ別の懸念が浮かんだ。
(まさか、いよいよ……)
敵対者とやらに乗っ取られたのか。
早くここを出なければ。
焦る気持ちばかりが募る。伊吹には七海たちの行動がさっぱり理解できなかった。
彼らはどうやら異世界人に対する国の対応に、異議を持っているらしい。その事は別に良い。どんな世界だろうと、色々な考えを持つ人はいるだろうし、数が多い方、権力がある方が必ずしも正しいとは限らない。
だが、吹雪を、敵対者と呼ばれる化物に変わると分かっている人間を、何故匿うのか。家族や恋人というわけではない。知人ですらなかった、垢の他人を、何故危険を冒してまで庇っているのか。
(利用する、以外に何かあるのか?)
がつん、と音を立ててスプーンが掌から吹っ飛んでいく。床で2、3回回転したそれを、ミルラが拾い上げた。
見事に折れ曲がっている。
「駄目みたいですわね」
「……そうですね」
壁の隙間に押し込んで、パネルの一枚でも外せないかと思ったが、やはり無謀だったようだ。
「大丈夫ですわよ、イブキ!きっと何とかできますわ」
ミルラの励ましの言葉を聞きながら、伊吹はソファーへと腰を下ろした。
情けない。
もう少し何かできると思っていた。しかし、現実は甘くない。
彼らの仲間に入ったふりをして油断を誘おうにも、そもそも相手にされず。
突破口になりそうな伊吹達を攫った理由が、吹雪の「弟を匿って欲しい」という余計な頼みである限り、交渉は吹雪とするしかない。
それなのに、会うこともできないでは。
苛々と考え続ける伊吹の隣に、ミルラが静かに座る。いつものように細い棒2本と、固めの毛糸を取り出して、不器用な手つきで編み始めた。
一応、習っていたというだけあって、綺麗に編めている。ただし、その速度は非常にゆっくりだ。それでも5日かけて徐々に編み進め、今はバスタオルくらいの大きさにまでなっている。……一体何を作ろうとしているのかは謎だ。
暇な監禁生活で退屈を紛らわす為に、七海に持ってきてもらったものだ。ちなみに伊吹は本と辞書を差し入れてもらった。
編み物を始めると、ミルラは途端に無口になる。
その集中力は凄まじい。
横から見ていても真剣な眼差しで、一目一目に熱い…険しい視線を送っているのが分かった。何か嫌いなものでも思い浮かべて編んでいるのか?と密かに疑っている。
よく飽きもせず、と何となくミルラを眺めていた伊吹は、眉を顰めた。
どことなく、だが。いつもと違う。
伊吹はミルラをじっと見つめて、違和感の正体を探った。青い目は潤みがちで、頬は赤く染まっている上、額に汗が滲んでいる。まさか。
「ミルラさん、ちょっと」
「え?」
殆ど何も考えずに、手を伸ばしていた。
両肩を掴んでこちらに向かせ、その額に手を当てる。(熱い)やはり、発熱している。この感じ、38℃は越えているんじゃないだろうか。手をどけて、これ以上ないくらいに目を見開き、真っ赤な顔をしているミルラを睨む。
「熱があります。具合が悪いなら言ってください」
「……で、でも大した事は」
「頭痛や吐き気は?」
「………少し、頭が痛いですわ」
「他は?」
「喉が少し」
風邪、だろうか。
「治るまで寝ていてください」
七海に頼めば、医者は呼べるだろうか。思案する伊吹に、ミルラは心細そうな顔を向けた。
「寝ているのは嫌ですわ」
「何言ってるんですか」
「だって、眠る時は別々でないと駄目なんですわよね?わたくしが眠ったら、イブキは隣の部屋に行ってしまうんでしょう?」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
今にも泣きそうな顔のミルラは、目を丸くした伊吹を見つめる。
「そんなの、寂しいですわ」
何という顔で、何という事を言うんだ。
伊吹は赤くなった顔を見られないように、額を押さえて俯いた。
「それはまた別の話だろ……。大体、俺も、病人を放っておくほど薄情では無いつもりです」
動揺を誤魔化す為に、いつも以上に素っ気無い口調になってしまった。
「……いて、くれるんですの?」
「看病には慣れているので、まぁ安心してください」
「ありがとう、イブキ」
ふわりと微笑んだかと思ったら、いきなり倒れこんできた。慌てて支える。
そこまで具合が悪かったのに、何をやせ我慢していたのだと、少しばかり腹が立った。




