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菊乃の役割 3

 ばくばくと、心臓が煩く音を立てている。


「なんじゃ、良いところじゃったのに無粋じゃのー」


 ぼやきながらローブの下から細い棒のついたネックレスを取り出す。音はそこから出ているようだ。かちりと押すと音が止み、代わりにホログラムが出てきた。

『貴方方はそこで何をやっているのだ』

 掌サイズの大きさの上半身だけのリザレットが、不機嫌そうな顔で問う。

 硬直していた菊乃とハルラックも、そこで漸く緊張を解いた。

「捜索の方はどんな具合かのう」

『呑気な事を。3度接触まで行きましたが、捕獲はできておりません。罠の方もさっぱりです。さっさと行って捜索に加わってください』

「そう焦ることも無いぞー、その内に罠に引っかかるじゃろうからのう」

『そんな悠長なことを言っている場合ではありません。新たな犠牲者が出れば、益々厄介な事になります』

「それは問題ないわい。じゃあ、また何かあったら連絡してくれい」

『何故……』

 ブツ、と音を立てて宙に浮かんでいたリザレットが消える。


 話の途中だったが、良いのだろうか。怒り狂っているだろうリザレットの姿が容易に想像できる。

「どういう事だ、じいさん」

 何事も無かったかのような様子で、再び食事を始めたじいさんは、ハルラックの問いにひょいと眉を動かした。

「新たな犠牲者は出ないって、どうして言えるんだ」

「寸道は元々、わしらのような者が利用しておった道じゃー。普通の人間には渡れんよ」

「だが、シマは」

「シマちゃんはほんの少しじゃが、魔力を持っておるみたいじゃからのう。本来なら、寸道を使える程のもんじゃ無いんじゃが、まぁ、その辺は色々偶然が重なったんじゃろう。とにかく、じゃ。普通の人間ならアレに触ったところで、何にも問題はない」

 寸道はじいさんの世界から来たものだ。

 それなら、じいさんの言っている事は確かなのかもしれない。

(でも…)

 リザレットはその事を知らない様子だった。先程も説明するチャンスはあったのに、言わなかったという事は。(態と?)どうして。

「この事は、秘密じゃぞー。厄介なことになるからのう」

「……ああ」

 何だか分からないが、ハルラックは納得した様子で頷いている。多分何か理由があるのだろう。彼らが敢えて言わないことを、こちらから聞くのも気が引ける。

 気にならないといえば嘘になるが。

 理由が分からないまま、結局菊乃も頷いて、その話はそこで終わった。


 たっぷり2時間ほど使った昼食を終え、公園で散歩などして時間を潰し(じいさんはベンチで昼寝をしていた)日が傾き始めた頃、寸道が罠にかかったとの連絡が入った。



 緑の水溜り。

 それは本当にそのままのものだった。

 川岸に沿う石ブロックの散歩道。等間隔で植えられたこんもり丸い形の木の間。紫色に光る幾何学模様の陣の上にそれはあった。

 その水溜りを囲むように、5人の屈強そうな男性(1人は女性かもしれない)が立っていた。手を後ろに組んだ格好で、鋭い視線を周囲に向けている。遠巻きにも野次馬の姿が無いのは、彼らのお陰かもしれなかった。

「じい様」

 びしっと背筋を伸ばした強面の男が、細い目をじいさんに向け、これまたびしっとした声を上げた。

「ご指示を」

「うむ。後はわしらに任せて離れておれ」


 偉そう、だ。


 はっ、と軽く頭を下げる男。そのじいさんに指示を仰いだ男がどうも彼らのリーダーだったらしく、彼が手を振ると後の4人も一斉に周囲に散った。

 悠々とした足取りで、緑の水溜りに近づくじいさんとハルラック。躊躇いながら、菊乃もそれに続いた。

 見れば見るほど不思議なものだ。どろりと半透明の緑色で、一見はただの水溜りだが、よく見ればふるふると動いており、僅かな伸縮を繰り返している。それに合わせて、地面に浮かぶ不可思議な図形も薄っすらと点滅していた。


「さてキクちゃん、こっちに来てここに立ってくれい」


 水溜りの前に立ったじいさんが、手招きで菊乃を呼ぶ。言われたまま近づくと、今度は膝を付くように言われた。更に。

「片方の手をここにつけて、もう一方の手を寸道の中に突っ込んでくれい」

 ここ、と指し示されたのは、淡く光る図形の中でも、丁度掌の大きさの花のような模様がある部分だった。そこに手を置くのは良いが、流石に不透明な謎の液体の中に手を突っ込むのには抵抗がある。

 しかし、志真を助ける為に必要な事なら、やるしかない。

 菊乃は一度掌をぎゅっと握り締めてから、思い切って手を伸ばした。手首辺りまで一気に浸かる。思ったよりも深さがある。不思議な感覚だった。冷たいような、温いような。水の中に手を入れているのに、そんな感触はない。指の先を動かしてみても抵抗は無く、空気に触れているのと変わらない感じだ。


(……変な感じ)


 戸惑いつつ、自分の手元に目を向けて、ぎょっとした。

 表面近くが僅かに透けている緑色の水の中に、自分の手が見当たらないのだ。

 手首から下が消えてしまっているように見える。

(な、何……)

「そのまま。大丈夫じゃー、手の感覚はあるじゃろう。ちょっと見えないだけで、ちゃんと繋がっておるからのう」

 思わず手を引き抜こうとしていた菊乃は、その言葉に何とか踏み止まった。

「ほれ、ハル君。キクちゃんの隣におらんと駄目じゃろー。万が一引っ張られそうになったら、しっかり支えるんじゃぞ」

 その言葉に従い、ハルラックが菊乃の右横に座る。


「よし、じゃあ始めようかのうー」


 そんな、なんとものんびりした言葉が、始まりの合図だった。

 菊乃の背後に回ったじいさんが、ぼそぼそと不思議な言葉で歌い始める。途端に周囲の空気が変わるのが分かった。

 ざわざわと何かが動いている。

 周囲の景色は何も変わっていないのに、目に見えぬ何かが物凄い速さで動き回っているのが感じ取れた。


(何、これ……)


 胸の鼓動が早くなる。

 その内に、何処からとも無く、様々な楽器を一斉に鳴らしているような喧しい音が響き出した。その音のせいかは分からないが、気持ちが悪くなってきた。ぐるぐると目が回り、額から汗が滲む。

 唇を噛み、不快感に耐えている菊乃の背中に、ぽんと手が触れた。息を飲む。何。燃えるように熱い。その熱は一瞬で全身にまで広がった。


「今じゃ、キクちゃん。シマちゃんを呼ぶのじゃ」


 はっと菊乃は目を見開いた。


「志真、ちゃん」

「もっと、強く」

「志真ちゃん、志真ちゃん!志真ちゃん!」


 戻って!


 無我夢中で声を出した。

 指の先に何かが触れる。意識するよりも早く、掴んでいた。誰かの手だ。そう認識できた瞬間、緑の水溜りがぐんっと盛り上がった。

 菊乃の手自然と持ち上がり、水面から引き出される。繋がったままの誰かの手が次に目に映った。そして。

 すっかり薄くなってしまった緑の水溜りの上に、呆然と座り込む志真の姿があった。

「志真ちゃん」

 どうやら、成功したらしい。良かった、と。そう思えたのは束の間の事だった。


「……なんで」


 ぽつり、と言葉を漏らした後、志真はくしゃりと顔を歪めた。ぼろりとあふれ出した涙が、次から次へと川のように頬を伝って落ちていく。

「何で呼んだの!」

 わっとその場に泣き伏せる志真に、菊乃はどうする事もできなかった。

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