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憂鬱な彼の胸の内 3

 これは一体何なんだ。


 わけの分からない、自分のものとも思えない感情が、吹雪の中を引っ掻き回していく。憎い、悲しい、痛い、怖い。帰りたい。

 帰りたい、帰りたい、帰りたい。


 しかしその望みが、もう決して叶わないことを知っている。


 黒ずんだ大地が風によって剥がれていく。天に吸い込まれるように消えていくのを見送って、吹雪は溜息を吐いた。見たことも無かった景色は、今や見慣れたものへと変わっていた。 

 太陽も見えない薄暗い不吉な色の空へ、色々なものが剥がれ吸い込まれていく。木や花等の植物から、鳥や魚、森や山に住む動物、人。建物も水も、何もかもが空へと落ちていく。実際は空へと舞い上がっていっているのだろうが、この光景は落ちていっているといった方が正しいように思えた。

 空を見上げるのを止めて地上を見れば、少し離れた場所に、同じように空を見上げている数人の子どもを連れた女性の姿があった。

 いつもの、夢だ。

 黒いもやがかかっているせいで、子ども達の姿も女性の姿もはっきりと見る事はできない。映りの悪いテレビのような砂嵐の向こうで、女性が吹雪の方を見た。


「おや、また来たのかい」


 声で、年のいった女だと分かる。掠れて、少し低い声だ。

「この光景が気になるのかい?あんたみたいに怖がらずに何度も来るのは珍しいよ。普通はね、近づくこともしないもんだ」

 来ようと思って来ている訳ではない。

 気がつけば、同じ夢を見ているだけだ。

「夢か、確かにこれは酷い悪夢だね。私らの悪夢が、あんたの悪夢になったんだ。繋がっている、だから、あんたはここに来る事ができる」

 夢というのは、いつもわけが分からないものだ。 

「だけどね、これは夢じゃない。悲しい現実なんだよ。少なくとも、私らにとってはさ」

 だから吹雪は深く考える事はない。

「だから私らが酷い選択をしたことも現実なんだね。ごめんよ。許してくれとは言わない。私らも、迷わなかったわけじゃ無いんだ。いや、決めた後だって、こうやって迷っている。だって、あんたみたいなのを、犠牲にするんだと思うとね」

 夢が覚めかけていた。

 証拠に視界を覆う影が徐々に薄れていっている。女や、子ども達の姿も、その声もどんどん小さくなっていく。

「行くのかい」

 夢の世界の人間から呼びかけられるのは、妙な気持ちだ。


「……私はリョーシカ。覚えていられたら、また会えるだろう。覚えておきな。そうしたら、また………で………い」


 瞼を開けると、見慣れたぼろぼろの室内があった。

 何度夢から覚めても、その悪夢は終わることをしらない。吹雪が生まれた地球の日本、家族が住んでいる家に辿り付ける日はあるのだろうか。

 暫し痛む頭を押さえた後、がしがしと髪を掻きながら吹雪はベッドから起き上がった。

「……また、妙な夢を」

 元々夢などあまり見ない方であったのに、こちらの世界へ来てからは度々見るようになっていた。純粋に故郷の夢だったりする時もあれば、今日のようにわけの分からない夢の日もある。

 病気のせいだろうか。

「何だ……りょー、りょーしか?」

 確かそんな名前だったと思うが。……正直、覚えていられる自信が無い。メモか何かないだろうかと室内を見渡したが、生憎見当たらなかった。

 テーブル等の家具も全部吹雪が壊してしまったため、今あるのはベッドのみ。着替えも毎朝七海達が持ってきてくれるという、情けないような状況だった。


 ナイフなどの刃物類は元より、ペン等の凶器になりそうなものは全部始末された。

 少し考えて、吹雪は抉れた壁に目を向けた。あれは自分の手がつけた傷だ。どんな怪物だと笑えてくるが、これが現実である。

 尖った爪の先を、左腕に当てる。そのまま深く食い込ませると、あっさり皮膚へと傷を作った。びりっとした痛みや出て来る血に構わず、皮膚を切り裂いていく。

 消えたりしないように、なるべく深く。


 リョーシカ。


 そう腕に掘り込んだ。

 じっと見つめる内に流れていた血はすぐに止まり、傷口が塞がっていく。あれほど深く切ったにも関わらず、今はもうピンクの筋のようになっている。有り得ない速度で治っていく傷を、吹雪は眉を寄せて眺め続けた。

 やがて傷口は完全に塞がり、白い引きつったような筋だけが残った。消えなかった名前に、ほっと息を吐く。

 残った名前が酷く大切なもののように思えた。


 これは夢ではない。

 現実だ。

 それを吹雪に分からせてくれるような気がした。


「全く……笑える」


 自分の体に何が起こっているのかは分からない。病気なのか、何なのか。あまり良くない事だというのは、周囲の態度から見て取れる。


「フブキー、起きてるー?」


 ノックの音と共に、ドアが外から開かれた。顔を覗かせた長い黒髪に褐色の肌の女は、ベッドに腰掛ける吹雪の姿に、ぎょっと目を剥いた。

「ちょっと、なぁに、その血は!どこか怪我したの!?」

 ずかずかと部屋に入り込んでくると、吹雪の左腕を掴んだ。

「傷は……はぁ、治ってるみたいね。でも、この傷」

「………」

「何なの?何かの記号みたいね」

 カタカナであるが、当然この世界の人間であるルーミケラウスには読めない。しかし、七海ならどうだろうか。

「包帯」

「いるの?」

「ああ」

 頷けば、不思議そうな顔をされた。

「傷は塞がってるみたいだけど。……まぁ、良いわ。後で持ってきてあげる」

 そう言って、吹雪の隣に腰を下ろした。その重みで、クッションが弾む。

「それで、どうだったの?」

「何が」

「イブキと、会ったんでしょう?」


 伊吹。

 吹雪は僅かに眉を顰めた。

 漸く再会を果たした弟には、色々驚かされた。まず、女連れだったこと。婚約者だとか言っていたことにも驚いた。金髪に青い目の若い女で、有り得ないような美人だった。何がありえないって、人形みたいな顔したあれが伊吹の婚約者だと名乗ることだ。

 騙されているに違いない。

 伊吹はとても女にもてるような男ではなかった。根暗で、陰険。容姿は言うほど悪くは無いが、背には恵まれず、何よりひょろい。

 久しぶりに顔を合わせた弟は、相変わらず……。

(いや)

 同じでは無かった、か。

 変わっていた。


 あんなに真っ直ぐ人の目を見てくるような奴ではなかった。逃げるみたいに視線を反らし、不満そうにしながらも関わり合いになりたくないと言った態度で避けていく。

 聞こえにくい声で文句を言い、吹雪が睨むか手を上げるような真似をしただけで、諦めたような顔で引いていった、奴が。一歩も引かず、はっきりとした声をあげた。さり気なく、婚約者だという女を背後に庇って。


「………」

「いつまで考え込んでんのよ」

 あれは、本当に伊吹だったのか?

「……もう」

 むくれるルーミケラウスに視線をやる。

 そういえば、彼女は暫く伊吹と一緒にいたことがあるらしい。

「どんなだったんだ」

「なぁに?」

「イブキ、は」

 ルーミケラウスは呆れたような顔をした。肩にかかった髪をしなやかな動作で払い、組んだ足の上に肘をついて顎をのせる。

「私が聞いていたのだと思ったけど。まぁ、良いわ。そうねぇ、イブキは」

 少し考えるように目を閉じた後、言葉を続ける。

「中々からかいがいのある、可愛い子だったわよ。何か、必死でね。クールで排他的で、人を避けるところもあったけど、根はお人よしっていうか。悪役に徹しきれない、みたいな。見てると苛めたくなっちゃうのよね、私」

「………」

「そうそう、私達がいた宿屋のお嬢さんが、どうもイブキに気があるみたいでね。その娘がまたからかいがいがあるから、つい私も悪ノリしちゃって」

 楽しそうに笑う女に、吹雪は呆れた。


 それにしても、伊吹に気があるお嬢さんとは。先程の女だろうか。そうそうあれがもてるとも思えないから、恐らくそうなのだろう。


 微妙な勘違いを残したまま、話は進む。

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