伊吹、仁義無き兄弟の争いを再開する 5
思えば人付き合いを苦手としてきた伊吹に比べて、この兄はもてていた。友達も多かったし、時々女性と歩いているところを見かけたりもした。
どちらかというと化粧の派手な、気の強そうな女が多かったように思う。
つまりは、伊吹の苦手なタイプだ。
なので、まともに話した事は無いし、そもそも興味すらなかったので、干渉したことも無い。
その辺りを踏まえてスルーしろ。
との、伊吹の願いはと折りは届かなかった。
「……お前、何か騙されたりしてんじゃねーだろうな」
ミルラに無遠慮な視線を向けた後に放ったその一言に、伊吹の米神がぴくりと引きつった。どいつも似たような事言いやがって。自分でもそう思うことがあるとはいえ、人に、特に吹雪に言われると腹が立つ。
「その話は良い」
「良くはねぇだろ。お前、変な女に引っかかりそうなところがあるからな」
「余計なお世話だ。一々兄貴面して干渉してくるな、鬱陶しい」
鉄格子の向こうで、吹雪が驚いたように目を剥いた。
「なっ、テメぇ……」
「あんたが面倒事を起こすのは勝手だが、それに俺を巻き込むな。迷惑なんだよ」
常々言ってやりたかった事を言ってやる。
今までは、あちらの世界にいた頃は、吹雪の力を恐れてはっきりと言えなかった文句を。口にすると多少すっきりした気分になった。
唖然としていた吹雪だったが、時間が経つにつれ徐々に険しい顔に戻る。鋭い三白眼で鉄格子の向こうの伊吹を、睨みつけた。
「テメー、本当に伊吹か?」
「はぁ?」
何を言っているんだ。
「今までは俺とまともに目も合わさなかったじゃねーか。大体いつから『俺』とか言うようになったんだよ。すかして『僕』とか言ってた奴が」
知るか。
いや、本当に気がつかなかった。以前から一人称はその時々で変えていたが、そういえば最近は殆ど『俺』になっていた気もする。だが。
「……それは今する話なのか?」
全く持ってどうでも良い。
じっと、いや、ギンとした視線でもって、吹雪は伊吹を睨みつけている。
しかし思ったより普通に会話ができている事に驚いた。いつもなら、途中で切れる吹雪の暴力を警戒しなければならないのだが。
間にある鉄格子の存在が非常に頼もしい。
「俺がここに連れてこられたのはアンタのせいらしいな。一応聞くけど、理由は、用は何なんだ?」
「………」
「聞いて納得できるような答えがあるなら、俺も少しは考えても良い。けど、何もないって言うんなら、俺とミルラを今すぐ解放しろ。何処でも良い。ここの居場所がばれるのがマズイって言うんなら、目隠しでも、薬でも使え。知りえた情報を黙っているのは難しいと思うが、俺らはまだ大した事は知らないし、分かっちゃいない」
今のうちならば。
「とか言って、気がついたこと全部喜んで話しそうだよねぇ、弟くんは」
反応しない吹雪に代わり、七海が余計な口を挟む。
「でも、信じてもらえると思う?イブキはフブキの弟で、自分からこっちに来たんだよ?立場、かなり悪くなってると思うけど」
誰のせいだ。
挑発的な七海の言葉に、しらっとした顔を向ける。
「多少立場が悪くなっていようと、俺は帰る。ここにいるよりは、マシだからな」
それに、自分が巻き込んでしまったミルラは、どうやっても帰してやらなくてはならない。そのミルラは先程から日本語での会話についていけず、不安そうに成り行きを見守っている。
「そうかな?拷問、とか。まだされたことないよね」
拷問、だと?
その物騒な響きに思わず返す言葉を失ってしまった。しかも、まだっていうのは何だ。これからされるみたいではないか。
「言ったことがすべてだとは思われるわけないよ。あちらさん、あれ絡みだとね、結構本気で手段選んでこないから」
あれ、というのは敵対者のことだろう。
吹雪がいるからぼかしているのだ。
「積極的な異世界人保護だって、半分以上はそれのため。いつだって探してんの。対抗する為の力、武器、道具としてね。アンタ達やアタシのじいさまの世界はそういう意味では役立たずだ。だからその分、早く保護施設を出る事ができる。自由もある、けど。そうじゃない人はずっと縛られるんだよ。半強制的にね、武器にされる」
人を食ったような笑顔を浮かべながらも、七海はどこか悲しげに見えた。
いや、騙されるな。あれは演技かもしれない。それに。
「……だから、何だ。善意でも、悪意でも、俺達はそれに縋るしかない。生きる手段をくれるだけ、ありがたい話だろ」
「意外にお人よしだね。そもそもは、この世界が過去に行った召還実験の失敗のせいだ。あれが無かったら、誰もこんな苦しみを負わずに済んだ。アンタ達を保護するのは、当然の贖罪だと思わない?フツーならさ、対価なんて求めちゃ駄目なものだよ」
「……だから、吹雪を保護したのか?」
敵対者云々は兎も角、犠牲者の1人だから。放っておけば保護されず、始末されただろう事は目に見えている。
「テメー、黙って聞いてりゃ、弟の癖に呼び捨てにしてんじゃねぇぞ。調子に乗んな」
不機嫌に低い声で文句を言われて、伊吹は半眼になった。
やっと喋ったかと思えば、それかよ。よし、無視だ。しかし今日の吹雪は今までからしたら考えられないくらい大人しい。鉄格子効果か。それとも難しい話についてこられないのか。
苛々した様子は伺えるものの、両腕を組んだまま動いていない。物に当たる様子も無いのは、本当に珍しいことだ。
………家のぼこぼこの壁に謝れ。
「とにかく、だ。俺は別にこの世界にも、この国での待遇にも文句は無い。ここで生きて行くと決めた。あんた達の主張にはついていけないし、賛同もできない。こうやって、巻き込まれるのは本当に迷惑なんだ」
繰返し、訴える。
話せば分かる、ような相手ではなくても。
伊吹は真っ直ぐに吹雪の目を見た。
「あんたの病気の事は、気の毒に思ってる。ここに来なければ、そんな目にあわなくて済んだんだろうし、その切欠がこの世界にあるっていうんなら、恨みたくなる気持ちも分かる。でもそれは、俺にはどうにもできない事だ」
吹雪が、伊吹を頼ろうとしたとは思わないが。
「だから、悪いけど」
がしゃん、と大きな音を立てて鉄格子が揺れた。そこに拳を打ちつけた吹雪が、歯を食いしばり伊吹を睨みつける。
「テメーに何が分かる」
「………」
「口先ばっかりで適当な事ばかり言いやがって。テメーはいつだって、何にも分かっちゃいねぇんだよ」
吐き捨てるような言葉に、血が逆流するような苛立ちが沸いた。
「それはこっちの……」
「憎い」
言い返そうとした伊吹は口を閉ざした。
視線は鉄格子を握る吹雪の手元に釘付けになっている。おいおい。思わず心の中でそんなツッコミをいれてしまった。
頑丈な筈の鉄の棒が、大きく曲げられてきている。
冗談、だろ。
いくら吹雪が喧嘩に強く、無駄に力があったとはいえ、そんな化物染みた範囲にまでは及んでいなかったはず。
「壊す」
「フブキ」
「殺す」
物騒な言葉を吐きながら、ぐいぐい鉄格子を曲げてくる吹雪は、自分の兄ながら恐ろしかった。殆ど無意識に、背後にいるミルラを庇う。
こちらを睨みつけるどこか虚ろな目。
それを見た途端、自然と口が動いていた。
「……吹雪」
はっとしたように、吹雪の眉間の皺が薄くなる。
「帰り、たい。帰りたい……帰りたい」
呆然と呟きながら、頭を抱えるようにして吹雪は床に蹲った。その背を慰めるように撫でる七海は、何か言いたいような顔をこちらに向けたが、結局何も言わなかった。
(……なんだ、これ)
大きく曲げられた鉄格子の棒と、見たこともないような兄の姿に呆然とする。
関係ない。
嫌悪していた迷惑な兄にも関わらず、胸の奥が痛む。一歩間違えていたら、自分がそうなっていたかもしれない。
いや、もしもなんて無い。
起こってしまった事は、もう誰にも変えられないのだ。伊吹にも。
いつか…遠からず、吹雪はあの化物に変わるのだ。
地下で見たものに対する恐怖と衝撃は、伊吹の中に深く根付いてしまっている。
俺には関係ない。
そう思わなければ、やっていられない。




