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伊吹、仁義無き兄弟の争いを再開する 4

 各務吹雪。

 伊吹にとっては疫病神であり、目の上のたんこぶであり、兄である男。


「会わせるのは良いけど、約束してもらうよ」


 右側の眉を上げるようにして、七海はシニカルな笑みを見せた。

「隙をついて吹雪を傷つけたり殺したりしないこと。危ないからね」

 誰がそんな無謀で野蛮な事をするか。付け加えられた意味深な言葉も引っかかる。その危ないというのは、伊吹に対する忠告だろう。

「それからね、フブキには敵対者に関する話はしないように」

「……教えていないのか」

「病気ってことにしてあるから。ま、そう遠くもないしね」

 それで、納得しているのか。

(……まぁ、あいつは単純だし、深くは考えないかもしれないが)

 しかし、こちらへ来てそろそろ5ヶ月は経つ。敵対者に寄生された者は、じわじわと体や意識を乗っ取られていくらしいが、そろそろ危ない頃では無いだろうか。

 真実を報せずに匿っていたとしても、先は無い。

「あんた、あいつをどうする気なんだ」

 鉄格子の向こうで、七海は猫のように目を細めた。

「助けるよ。絶対に」


 どうしてだ。


 会えるように調整して来ると言い残して去っていた七海の言葉を思い返して、伊吹は眉根を寄せた。異世界から来た、何の関わりもない人間。助ける義理なんて無い筈なのに。

 兄弟である伊吹が見限っていることを、暗に責められているような気がするのは、やはりどこかで罪悪感があるからかもしれない。脳裏をちらつくのは、向こうに残してきた家族や、こよりの顔だ。

 もしも一緒にここへ来たのが、吹雪でなかったら自分はどうするのだろうか。

 考えるまでもなかった。伊吹の答えは隣にいるミルラが証明しているようなものだ。

「…………」

 ちらりと目を向ければ、七海が持ってきたパンを食べるミルラの姿がある。先程泣いたせいで目元が赤いが、すっかり元気を取り戻したようだ。状況は全く好転していないにも関わらず、安心しきっている様子。

 その姿に、自分に対する信頼を嫌でも気づかされてしまう。迷惑だと思いつつも、それだけではない複雑な感情がある事を、敢えて見ないふりをした。


「ミルラさん」


 ぱくり、と小さな口で上品にパンを食べていたミルラは、青い目を伊吹に向けた。

「話してなかったと思いますけど、吹雪というのは俺の兄です」

 そう切り出すと、ミルラは手で口元を押さえつつ、一生懸命に口の中のものを飲み込んだ後、こう言った。

「知っておりますわ」

「……何で」

「調査資料にありましたもの」

 その調査資料とやらを、一度見る必要があるようだ。

「他にどういった事が?」

「えっと……フブキという方は、こちらへ来た後に事故で死んだと思わて処理されていたけれど、どうも生きているらしい事が判明したと。後は、その……敵対者に寄生されている可能性が高いという事も」

 伊吹の顰めた顔を見たミルラは、落ち込んだ顔でごめんなさいと小さく付け加えた。

 別に怒っているわけではない。確かに人の個人情報を色々見られていた事は気に食わないが、今更言っても仕方のない事だ。

「説明の手間が省けて良かったです」


 と、いう事にしておこう。


「そういうわけなので、吹雪との話し合いには俺1人で出向きます」

 安心しかけたミルラの顔が、驚きの色に染まる。

「1人でなんて、駄目ですわ!」

「なるべく早く戻れるようにしますから、少しの間は1人で不安かもしれませんが」

「そういう事じゃありませんわ!」

 文句が出るのは想定内だった。

 しかし、怒った顔で身を乗り出してきたミルラにはぎょっとする。狭いソファーに二人で座っているのだ。只でさえ近いのに、身を引いた伊吹を追ったミルラは殆ど彼の体の上に乗りかかっていた。

 何だこの状況。

「わたくしは、イブキの事を心配しているのですわ!」

 上から、さらりとした金の髪が伊吹の頬を擽った。

 不安やら怒りやらを綯い交ぜにした青い瞳が、真っ直ぐに伊吹を見下ろしている。紅潮した肌のきめ細やかさや、長い睫毛の一本一本までもが確認できそうな距離に、動揺しない方がおかしい。

(可愛い、とか。……意識するな、こういう時は違う事を…)

 そう、例えば一瞬で現実に引き戻されるような他の事をだな。ぱっと脳裏に浮かんだ吹雪のふてぶてしい顔に、上りかけていた熱は瞬時に冷えた。


「ミルラ、近い」


 はっと、青い瞳が揺れる。伊吹の言葉でようやく状況を理解したらしいミルラは、次の瞬間真っ赤になって固まった。

 人の上で固まるな。さっさと降りて、

「凄い取り込み中だけど、出直そうか?」

 貰うのはどうやら遅かったようだ。鉄格子の向こうでにまにま笑う七海と、その背後に目を見張っている吹雪の姿を見つけて、伊吹は返す言葉を失った。

 何という再会。

 あんなに気まずそうな顔をした吹雪の顔など見るのは初めてだった。こちらも似たような顔をしているに違いない。


 少し痩せただろうか。

 何ヶ月ぶりかにみた兄の姿は、記憶にあるものと然程変わりはない。小まめに切っているのか、短髪なところも相変わらず。目付きの悪さも、伊吹には逆立ちしても敵わないだろう筋肉も健在だ。

 密かに想像していたように、腕が増えているとか、頭が伸びているとか、今のところそういう事は無いようだった。

 とか、現実逃避という名の観察を行っている場合ではない。

「出直すか」

 ぼそりと言われた言葉に、伊吹は深く溜息を吐いた。ミルラさん、と再び呼びかけてとりあえずどいてもらう。ソファーにしっかり座りなおし、鉄格子の向こうの2人を見た。

「正直、来るというのは予想外だったんですけど」

 しかもこんなに早くに。

 伊吹の言葉に七海はにやにや笑っている。態とか。態となんだな。どうもこの女は好きになれない。

「驚かせようと思ったのと、面白い光景が見られるかもっていう好奇心ね。予想以上だったよ」

「ちょっとは悪びれろ」

「弟くんにここを歩きまわさせたりはできないからさ。中々鋭いみたいだからね、君。油断できない。だから、フブキの方を連れて来ることにしたんだよ」

 警戒されているという事は良い事だ。

 逃げられる可能性が、逃がしてもらえる可能性はある。


 伊吹は七海から、顰め面をしている吹雪へと視線を移した。

 さて、何と話を進めればよいのか。久しぶりとでも声を掛けるべきなのか。まともに話をするのは本当に久しぶりのことになる。こよりが死んでからは。

 気に入らないことがあると、すぐに手が出るような男だ。

 それを考えると、この鉄格子の存在は非常に有り難いような気がしてきた。そんな事を考えていると、吹雪の鋭い目がぎろりと伊吹を睨んだ。

「テメーに確認しておきたいことがある」

「……何だよ」

「これは、夢じゃねぇんだな」


 ここまで来てそれなのか。


「あれから何ヶ月経ったと思っているんだ。非常に残念な現実だがいい加減認めろ」

「最初に言ったのはテメーだろうが」

 夢だと。

 誰しもが思うだろう。あれをいきなり現実と受け入れるのは無理がある。その事で責められる覚えは無い。

「そっちの女は何だ?」

 嫌なところを突っ込んでくる。そこはスルーしろよ。無難な紹介をしようと伊吹が口を開く前に、ミルラがソファーから立ち上がった。

「はじめまして。わたくしミルラ・ラクリエルと申します。イブキとは婚約しておりますの。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、お義兄さま」

 スカートの端を持ち、優雅に挨拶するミルラに眉間に指を当てて伊吹は溜息を吐いた。お義兄さまって、何だ。

「何だって?」

 訝しい顔の吹雪には、どうやら通じなかったようだ。

 そういえばこいつは、脳みそまで筋肉でできているような男だった。そう安心するのも束の間、隣にいた七海が完璧な日本語で通訳を始める。


 終わった。


 驚きに目を見張り、伊吹とミルラの交互を見た後吹雪は言った。

「確認するが、これは本当に夢じゃねーんだな?」


 どういう意味だ。

 というかその確認に何か意味はあるのか。

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