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伊吹、仁義無き兄弟の争いを再開する 3

 よし、落ち着いて軌道修正を図ろう。


 伊吹は自分の失言を誤魔化すように、埋め込まれたクローゼットを開けてタオルを探し出し、ミルラに手渡した。

「あ、りがとうございます」

 しゃくりあげながら受け取ったミルラは、白いタオルに顔を埋めて小さく息を吐く。どうやら泣き止んでくれそうなことにほっとした。

 こういう時になんと声を掛ければ良いのか分からないが、妹を持つ兄としての経験上泣いているところに声を掛けると、余計泣く。それが一般的なのかは分からないが、伊吹はその経験にしたがってそっとしておくことにした。

 話をするにも、落ち着いてからにするべきだ。さりげなくミルラから視線をずらそうとした時に、「イブキ」とくぐもったような声が追ってきた。

「………怒っていないのでしたら」

「はい?」

「どうして部屋を別にしてもらうとか、言うんですの」


 どうしてって。


 泣きはらした真っ赤な目でこちらを見上げるミルラは、まるで捨てられようとしている子犬のような顔をしていた。う、と言葉に詰まる。

 何だその無防備さは。

 ミルラにとっては、伊吹等意識するほどの存在ではないのかもしれない。

 そう思うと余計に居た堪れなくなる。年頃の男女が狭い部屋に2人という状況を、意識し過ぎているのだろうか。だけど意識するなというほうが無理だろう。身近な異性なんて、妹達くらいしかいなかった。流石にミルラを妹達のようには見られない。


「相手の出方が分かりません。一体いつまでこの状況が続くのかも。俺は男で、ミルラさんは女です。何日もこんな狭い部屋で2人というのは、ちょっと問題あるでしょう」

「男と、女……それが問題、ですの?」

 それすらも意識していなかったのか。箱入りというか、そもそも伊吹を男として意識していないのではという予想が、現実味を帯びてきた。

(馬鹿らしい)

 こうなってくると、結婚だの、婚約だの馬鹿馬鹿しいにも程がある。あれこれ振り回されただけに苛立ちが募った。……まぁ、どうせそんな事だろうとは思っていた。決して甘い夢など見ていない。断じて。

(……本気にする方が、馬鹿で)

 少しばかり嗜虐的な気持ちになっていた。分かっていないのなら、分かってもらう。

「……俺も男ですから。ミルラさんを襲わないとは断言できません」

 するっと口から出てしまったのは、明らかに失言だった。

「お、おそ……う?」

 白い頬がぱっと赤く染まる。正直、言ってから後悔した。取り消せるものなら取り消したい。

「いや……今のはあくまで」

「襲っちゃうなんて、さ。やー、弟君、君大人しそうな顔してなかなかやらしーのね」

「!」


 よりにもよって何というタイミングで何という事を言うのだ。声の主は勿論ミルラでは無い。


 伊吹は声のした方、鉄格子の向こうの廊下を振り返った。そこで、にまにましている七海の姿を見つけて、思わず舌打ちしてしまう。

 一体いつからいたんだ。用があるのではなかったのか。

「いやー、中々声掛けづらい雰囲気だったよ、修羅場かと思ったら痴話喧嘩にもなんないかわいいやりとりでさ」

「何の用だ」

「冷たいね。折角食事のこと忘れてたと思って戻ってきてあげたのに。感謝して欲しいな」

 そもそも忘れるな。

「でもまぁ、そうだよね。弟君も年頃の男の子だし、可愛い女の子と2人きりは気まずいよね。なかなか可愛いところあるんだね」

「……煩い。人の言葉を曲解するな」

「こっちも気が利かなくってごめん。すぐに部屋の方は用意させてもらうよ」

「駄目ですわ!」

 と、即座に意義を唱えたのは、勿論伊吹ではない。

 ソファーから立ち上がったミルラは、真っ赤な顔で意を決したように両手を握り締めている。

「わ、わたくしはイブキの婚約者ですわ……」

 その時点で、何やら嫌な予感はした。


「で、ですから、イブキがわたくしを、その、お、お、お、襲っても問題ありません!」


 一体何を言っているんだお前、は!

 この上ないほど全身赤く染まった状態で、ミルラはきっと伊吹を睨みつけている。

 背後でけらけら笑う七海の声がむかつくが、それに対して怒る気力もわかない。伊吹は、くらりとする額を押さえた。

 正直ミルラを甘く見ていた。

 何故いつも、こちらの想定外の言動を返してくるのか。今まで伊吹の周りにいた女共ならば、先程の発言にはドン引きするか笑うか罵るか馬鹿にするかだ。間違っても「襲っても大丈夫!」的な返しをしてくる奴はいない。


 緊張した面持ちで、こちらの言葉を待っているミルラに、伊吹はため息を吐いた。

「………全く、何でいつもそうなんですか。聞いているこっちが恥ずかしい」

「なっ!さ、先に変な事を言ったのはイブキですわ!」

「本気で言ったわけじゃありませんよ。もう少し危機感を持ってほしくて言っただけですので、本気にされたら困ります」

「……とか言いつつ耳まで真っ赤だね、イブキ」

「あんたは黙ってろ!」


 怒鳴れば益々爆笑された。

 正直殴りたい。女だろうとな。


「で、結局どうする?」

 一頻り笑った後、七海が聞く。

「何を?」

「部屋だよ、部屋。別?それとも一緒?」

「当然別でお願いします」

「イブキ!」

 責めるようなミルラの声はスルーする。これ以上、振り回されて溜まるか。そう固く決意するが。イブキ、と縋るような声に思わず言葉を止めてしまった。


「行かないで、1人にしないでください」


 消え入りそうな声だったが、それはしっかり伊吹の耳に届いた。

 はっとする。

 伊吹がどうのというより、1人になる事が怖かったのか。

 まぁ、そうか。こんなわけの分からない場所に、1人取り残されるのは不安だろう。伊吹は狭い中2人きりという状況ばかりを気にしていた為に、そこまで気が回らなかった。(そんな場合でも無いな、確かに)

「どうするの?」

 答えをもう知っているみたいな、七海の笑顔は気に障るが。


「分かりました。……部屋はとりあえずこのままという事で」


 こんな事にミルラを巻き込んでしまった以上、彼女を守る努力はしなければならないだろう。できるか、できないかは別として。

 そのためには、確かに傍にいた方が良い。

 そう自分に言い聞かせて、結局振り回されている事実に目を瞑ることにした。


「じゃあ、このままで。うん、こっちとしても手間が掛からないし助かるよ。ハイ。これ朝食ね」

 鉄格子の下の開いている部分から、パン二つづつとパックの飲み物が載ったトレイを滑り込ませ、七海は再び立ち去ろうとした。

 その背に慌てて声を掛ける。

「おい」

 無視して行くかと思ったが、七海は足を止め、顔だけこちらに向けた。

「何かな」

「あいつに……吹雪には会えるのか?」

 七海は不思議そうに伊吹を見つめる。

「あれ、会いたいの?」

「あいつが元凶なんだろう?だったら会って直接話をつける」

 会って話し、何を考えているのか知らなければ、この状況を打開する術を見つけることもできない。

 正直に言って、敵対者に寄生されているという吹雪と会うのは気が進まないが。

 そんな事を言っている場合でもないだろう。

 どの道、ここにいる以上危険は避けられないのだ。

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