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伊吹、仁義無き兄弟の争いを再開する 2

 何なんだあの女は。

 七海は言いたい事だけ言った後「忙しいからまた後でね」とのたまい去っていった。取った手法の卑劣さ、外道さを責めてみても「うん、知ってる」とか全く堪えていない様子。あれはもう駄目だ。情けや常識を期待できるような相手ではない。

 手遅れだ。

 そもそも、国家転覆を狙うようなテロリストに、常識を求める方が間違っていた。


 改めてみても狭い部屋だ。金属の床に壁。天井も普通より低いようで、閉所恐怖症でないのが幸いといった感じである。壁にくっ付いた二段のパイプベッドに、2人掛けのソファーと小さなテーブルが1つ。それでもういっぱいである。

 ベッドがある側の壁には埋め込み式のクローゼットがついており、中には服や下着が何着か揃えられていた。一応、男物と女物で左右に分けられている。

 伊吹は溜息を吐いた後、古そうな灰色のソファーの上のミルラを見た。丁度こちらを見ていたらしく一瞬目があったが、途端にぱっと逸らされる。

 途端に憂鬱な気持ちが増した。


 何で、一緒なんだ。


 こういう場合、普通は別々に監禁するだろう。繊細で微妙な年頃の男女を狭い部屋に閉じ込めるとか。まさか、婚約者だからと言っていらぬ気を使われているのだろうか。

 先程の人を食ったような態度の女を思い出して、即座に否定する。

 あれは、気を使うような殊勝な人間では無い。どちらかというと、人で遊ぶような手合いだ。

「…………」

 どんなに他に意識を持っていこうとしたところで、結局は無駄だった。この気まずい沈黙はいかんともし難い。謝って逃げるという行動すらも許されない監禁状態を、一体どうやって切り抜けろというのだろう。

 ごおおお、と風なのか何なのか、非常に耳障りな音にもすっかり慣れてしまっていた。


 伊吹は途方に暮れていた。



 ミルラはこっそり顔を上げ、難しい顔で黙り込んでいる伊吹の横顔を盗み見た。眉間にくっきり刻まれた深い皺。切れ長の瞳で睨むみたいに鉄格子に向けている。

 きっと、呆れているに違いない。

 そう考えるだけで、泣きたくなった。


 最初は。

 何て意地悪そうな人なんだろうと思ったのだ。

 聞いていた年よりも若く見える童顔で、白い肌も細い体もなんとも頼りなくて、これなら何とかなりそうだと思ったのは最初だけ。はっきりしない口調や遠まわしな言い方に苛々したりもした。

 気弱そうにへらへら笑うくせに、無遠慮に、こちらを観察するみたいな強い視線。

 緊張している事、内心怯えているところを気づかれないように必死だった。ちっとも何を考えているのか分からない人だと思ったけど、種を使っての宿屋建て直し計画について話している時の伊吹はとても生き生きとしていた。

 何だか羨ましい。

 彼がする事を見てみたいな、と思った。

 同時に、ただ結婚したくないという理由で、祖父に言われるまま彼から種を奪おうとしていた自分が恥ずかしくなった。


(口では意地悪な事ばかり言って、でもイブキは結局助けてくれる)


 嬉しかった。

 呆れられても、怒られても。伊吹はちゃんとミルラのことを見ていてくれた。ミルラの失敗を指摘して、怒ったり、呆れたりしながら時々笑う。その顔がミルラは好きだ。人の失敗を笑うなんて、といつも思うのだが、絶対一瞬見惚れてしまう。

 ほんの少し目元を細めて、口元を緩ませる。

 普段の伊吹からは考えられないような、優しくて甘い微笑み。それを見るといつも背中がむずむずして、嬉しい気持ちになって、それから恥ずかしくなる。

 その後で我に返って、失敗を笑うような伊吹の態度を怒るのだが、伊吹は大抵訝しげな顔をした。自分が笑ったことにすら気がついていないのだ、きっと。


 伊吹が好きだ。


 日に日にその気持ちは大きくなって、どんどん不安になっていった。婚約も結婚も、自分が押し付けたようなものだ。

 いつか。

 もう付き合いきれないって言われるような気がして、怖かった。

(思えばずっと、イブキには迷惑ばかりかけていますもの)

 だから、努力しようと思った。

 一緒にいて良かった、一緒にいたいと思ってもらえるように頑張っていたが、空回るばかりで、うまく出来た試しはない。

 どうしてこうなんだろう。

 兄も姉も妹も、皆優秀でしっかりしていて、祖父の信頼も厚いのに、いつも自分だけがうまくできない。

(今日だって……)

 トイレで姉に会った時は驚いた。兄が来ていて伊吹と話をしていると聞いて、いてもたってもいられなくなり、トイレの個室の窓から抜け出して……、実はそこから記憶がない。

 だから、起きて全く身に覚えのない場所にいた時には驚いたし、混乱した。それでも落ち着いていられたのは、伊吹がそこにいたからだ。

 一体何が起こったのか。

 伊吹と先程の七海とかいう女性の話を総合して考えるに………。


(謝るのは、わたくしの方ですわよね……どう考えても)


 伊吹は何度も謝ってくれたけれど、捕まって伊吹に迷惑を掛けたのは自分の方だ。

(イブキは、わたくしの為に)

 ミルラのことを考えて、ここに来た。そう考えるとじわりと胸の奥が暖かくなる。同時に今の状態に落ち込んだ。

 伊吹がこうして危険な目にあっているのは、自分のせいなのだ。大人しくしていれば……いや、もっと強く姉や兄に対抗できていたら、こんな事にはならなかった。

 きっと、もう呆れ果てたに違いない。

 そう思うと心臓の辺りが冷たくなる。謝ろうと思うのに、その一言を発するには多大な勇気がいった。だが、言わなければ。決意して顔を上げると、伊吹がこちらをじっと見ていた。まともにぶつかった黒い瞳に、咄嗟に言葉が出なくなる。

 張り詰めたような一瞬の間を置いて、口を開いたのは伊吹だった。


「次に誰かが来たら、部屋を別にしてもらうように言いますから、少しだけ我慢していてください」



 伊吹にしたら、考えた末の言葉だったのだ。

 こんな狭い中で、男女2人きり……それも、面倒事に巻き込んだ張本人と一緒にいるのは、嫌だろう。婚約者というのだって所詮は建前みたいなものだ。ミルラにしたら、ギスニッチみたいな男との結婚から逃げる為の手段でしかない。

 何とかここから連れ出すとか、絶対に守るとか、そんな難易度が高い嘘は吐いて安心させてやる事はできない。だが、部屋を変えてもらうことくらいはできるかもしれなかった。

 伊吹なりの気遣いだ。


 だが。


 ミルラの大きく開いた瞳から、ぼろりと大きな涙が毀れたのを見て、伊吹は動揺した。固まる伊吹を他所に、次から次へと白い頬を伝って涙が零れ落ちる。

 何だか、いつかも見たような光景だ。


「………ミルラ?」


 恐る恐る名前を呼ぶと、小さな肩が震えた。

「ご、ごめんなさい」

 何故そこで謝る。

「ごめんなさい、わ、わたくしのせいで」

 その言葉で気がついた。ミルラはずっと怒っていたわけではなく、怯えていたのだと。


(………なんで)


 そう思うのだ。

 向こうの狙いは最初から伊吹で、ミルラはそれに巻き込まれただけだ。

(俺が悪い……いや、それも違う)

 泣くミルラを見ていたら、頭が冷えてきた。違う、断じて違う。悪いのは自分でもミルラでもない。


「ごめんなさい」

「謝るな。……ミルラは悪くない。悪くないのに、謝る必要は無い」

「で、も」

「俺ももう謝らない。謝るべき人間は他にいるのに、俺達が謝るのは変だ。だから……」


 驚いたような顔で、ミルラは伊吹を凝視している。


「だから、泣くなよ。……俺は、別にミルラの事を怒ったり、責めたりする気持ちは無いし……謝られるのも、泣かれるのも、困る」

「……イブキ」

「泣かれたら、どうすれば良いのか分からな……分かりません、ので」


 しまった。

 気が動転しすぎて言葉遣いが。その上、さりげに呼び捨てにしてしまった。伊吹は頭を抱えたくなった。

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