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伊吹、デートという名の試練に出向く 1

 うーむ。


 伊吹の目の前、自室のベッドの上には2枚のコインのようなものがあった。これは貨幣ではない。とある植物園への招待券である。

 保護施設にある農場で知り合った業者の人間からの頂き物だ。突然手紙が送られてきた時は、何かと思ったが。異世界のものは珍しいから人気がある。それらを取り扱う仕事をしている彼らからのご機嫌取り、かつ営業みたいなもののようだ。

 ここは珍しい植物を集めているというし、評判も良い。参考がてら、一度は行って見たいところだった。

 そんなわけで、行く事は決定している。

 問題は招待券が2つある、という事実。こういう気遣いは正直いらない。何でこういうものは、いらぬ気を利かせてペアでご招待とか余計な事をするんだ。誰も彼も一緒に行けるような相手に恵まれていると思うなよ。誘うような相手がいない惨めな男を影でせせら笑うような行為をして楽しいか………まぁ、今はいるけれども。

(……いたらいたで、悩むもんだな)

 そもそも最初から1枚であれば何も悩む必要はなかったっていうのに。


 どうなんだろう、ここは誘った方が良いのか?


 仮にも婚約者なのだ。ミルラはどうやら植物とか好きらしいし、喜ぶような気もする、が。

 誘う……。

 それは彼女も友人もいなかった伊吹にとっては、かなりハードルが高い行為であった。こちらへ来て大分コミュニケーション能力をつけてきたとは言っても。

 大体これ、ミルラと2人で行ったら普通にデートだろう。

 一体どんな顔をして誘えば良いというんだ。万が一にでもそんな場面を志真辺りにでも見られたりしたら……。(死ねる)


「………」


 いや、別に何も悩む必要は無い。

 1人で2回行く。

 これがベストな選択だ。



 ちなみに伊吹のベストな選択は、いつだって誰かに邪魔されるのであった。

 いつもと変わらぬ平和な朝食時。食堂への客は僅かながらにも訪れるようになったものの、宿泊客は未だクリスティアンとミルラのみ。

 そんなわけで、未だに全員揃ってのやたら気疲れする朝食は続けられていた。その事が伊吹を追い詰める事になる。

「そういえば」

 と、パンにジャムを塗っていたクリスティアンの口を、その時点で塞いでおくべきだった。向けられた意味ありげな流し目に、何となく嫌な予感はしたのだ。

「イブキはルーロイ植物園の招待券を貰ったらしいね。あそこは中々良いところだよ、麗しい女性達にも非常に人気のあるお奨めのデートスポットさ!」

 思わずむせた。

 おまえ、何でそんな事を知っているんだ。おまけに余計な情報を付け加えるな。と、言いたかったが、げほげごと咳き込んでいた為に、無駄にまわる彼の口を黙らせる事はできなかった。無念。

「2枚持っているんだろう?一体誰と行くつもりだい?」

 爽やかに暑苦しい笑顔を一辺埋めてやりたいと真剣に思う。で、そのまま一生埋まっていてくれ。

 一度出てしまった言葉を戻す事は出来ない。非常に残念な事に、この世界でも未だタイムマシーン的なものは開発されていなかった。

 伊吹は恨めしくクリスティアンを睨む。


 見ろ、この空気をどうしてくれる。


 ………いや、本当にどうしたんだ、この空気。思わずたじろいでしまうほど、静まり返っているのだが。

 ラクトが無言、ウィガーが無口なのはいつもの事だが、先程まで騒がしかったカオロン・ミーチェ夫妻は態とらしく窓の外を眺めたりして、ひたすらお茶を飲んでいるし、志真等はパンを片手に固まっている。女子ならせめて口を閉じろ。

 何だこの皆の不自然な態度、何だこの緊迫した空気は!

 隣から痛いくらいに感じる視線も気になるが、それよりも。

「フィオーネさん」

「は、はぃいっ!?」

 おかしなくらいに驚かれたせいで、余計に大変な事に。

「お茶毀れてますよ」

「え……わっ!」

 ティーポットから注いでいたお茶は、既にカップから溢れてテーブルに流れ出ていた。しっかりもののフィオーネにしては、珍しい。いや、最近はちょいちょいやっているか。色々あって疲れているのかもしれない。

「大丈夫ですか?」

「ご、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてて」

「大丈夫?フィオーネ」

 まぁまぁ、と言いながらリアラが布巾を持ってテーブルを拭き始める。その隙に、伊吹は空いた食器と鞄を持って立ち上がった。


「すみません、急ぐのでお先に失礼します。ごちそうさまでした」


 そう声を掛けて、さっさと立ち去る。あ!逃げた、との志真の声は聞こえなかった事にした。

 調理場の流しに食器を置き水につけておく。裏口へと向うと、ミルラが後を追ってきた。

「イブキ!」

「はい」

「……い、いってらっしゃい」

「…………うん」

 別に頼んだわけではないが、ミルラは毎朝こうやって見送りに来る。最初の頃のぎこちなさを考えるに、誰かに吹き込まれたのではないだろうか。(恐らく志真辺りだろうと思っている)

 伊吹としては慣れない、気恥ずかしいばかりのやり取りだったが、邪険にはできなかった。何の変哲もないただの挨拶なのに、妙に満足そうな顔をされてしまうと。

 しかし今日は、その顔を見る事はできなかった。

 白い頬をほんのり赤く染めて、ちらちらと物言いたげな視線を向けられる。……分かり易すぎる。(畜生……クリスティアンめ)伊吹は軽く溜息を吐いた。

「……行きたいんですか?」

 う、と言葉を詰まらせた後、ミルラは追い詰められた猫みたいな顔で、こくりと1つ頷いた。何でそこまで緊張されるのかが分からない。

 期待と不安の篭った青い目。


 やめろ、こっちにまで緊張が移る。

 というかこの状況は何なんだ。もう誘わざるを得なくなっているような。


「行きますか?」


 ぱっと、青い目が輝いた。

「行きます!」

 実に良い笑顔だった。

「……じゃ、行きましょうか。まぁ、他に誘うような相手もいないですしね」

「ありがとう、イブキ!わたくし、楽しみですわ!」

 余程嬉しかったのか。

 ミルラは伊吹に飛びついてきた。ふわりと、花みたいな匂いが鼻を擽る。目の前に舞う金の髪を呆然と見つめ、柔らかく暖かい感触にぎょっとした。


 な、


 あまりの事に、一瞬頭が真っ白になった。


 全身の血液が物凄い速さで流れている。酷使される心臓を一刻も早く宥めなければ、体が持たない。冷静になれ!と思うものの、全神経が胸に抱きついてきたミルラへと向かっていた。

 お前は俺を殺す気か!

 女性ならばもうちょっと恥じらいを……と、八つ当たり気味な怒りをぶつけたくなったが、見下ろしたミルラの顔が真っ赤だったのを発見してしまった。

 何だそれ。

 何とか落ち着きかけていた心音が、再び騒ぎ始める。


 っていうか、自分から抱きついてきておいてなんだその反応。

 いちいち調子が狂わされる。

 伊吹は何とか落ち着いた声が出るように努力した。


「………離してくれないと、遅刻します」


 その為必要以上に無感情な声になったのは否めない。しかし正直気を使っている余裕はなかった。

 ぱっと、ミルラが体を離す。真っ赤な顔のまま、俯いた。

「ご、ごめんなさい。わたくし、つい」

「良いです、別に。まだ間に合う時間ですから」

 実際、まだ時間に余裕はある。そもそも朝食を途中で切り上げて早めに出てきたのだ。

「じゃ……、行ってきます」

「い、いってらっしゃい」

 いつもよりも早歩きになったのは、致し方ないことだ。

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