菊乃の褒賞 3
「さて、君。ハイネス・ユーゴをどうしたい?」
適当に挨拶を交わした後、にっこりと笑ったユリウスに、菊乃は首を傾けた。
言っている意味が分からない。
彼の後ろでは、彼の銅色の髪を苛立たしげに睨み付けているユーイ・ユーイの姿があったが、どうやら助け舟を出してくれる気はないようだ。
ハイネスが食事を採る意志を示しても、菊乃は部屋から出してはもらえなかった。実際にハイネスが食事を終えるまでずっと、その場にいなければならなかったのだが、そこにどんな意図が隠されていたのか、菊乃には全く分からない。
いくら考えても分かりそうにないので、途中からは考えることを放棄していた。
長い間ものを食べていなかった場合は、出来るだけ消化に良いものを少量与えるという、菊乃の常識を覆す量の食事をしてみせたハイネスは、体調を崩すことなく順調に回復しているという。
青の血族、というやつだからだろうか。
ハイネスが食事を終えた時点で、菊乃はようやく外に出してもらうことができた。それが2日前のことだ。
その辺りのことを踏まえてもう一度、先程のユリウスの言葉を思い出してみる。
ハイネス・ユーゴをどうしたい?
「…………」
何の見当も付けられない。
菊乃は自分で答えを出すことを諦めて、素直にユリウスに問うことにした。
「どういう意味ですか?」
聞くと、ユリウスは不思議そうな顔になった。あれ、分からない?みたいな顔だ。
「君への褒賞なんだけど」
「はい?」
そんな無邪気に、不思議そうな顔で見られても困る。
意味を理解するどころか、益々分からなくなった。ハイネスの話をしていた筈なのに、何故褒賞の話になるのだろう。思えば始まりは逆だった。褒賞の話をしていた筈なのに、何故かハイネスのところへ連れて行かれたのだった。
(あれ……?)
菊乃ははっとした。
もしかして、この二つは関係した話なのか。思えば確かにそんなようなことを話していた気がする。褒賞は素直に喜ばないだろうから、そこから提案としてハイネス・ユーゴの話がでてきた。
内容が『お願い』であったから、褒賞のことはすっかり頭から外れていたのだが。実は関係があったらしい。
(つまり………どういうこと?)
悩む菊乃を見下ろしていたユリウスだったが、突然噴出した。ぎょっとする。
「はははは、いや、すまない。世界の終わりみたいな深刻そうな顔をするから、ついからかいたくなって。可愛いなー、やっぱりうちに来ない?」
「無視しろキクノ。酔っ払いの戯言だ」
「酷いな、ちょっとしか飲んでいないよ」
「そのちょっとで酔う安い体質だろうが」
王子様、なんだよね?
と何度目かの疑問を浮かべる。朝から酔っ払っているユリウス自身もそうだが、ユーイの態度があまりにも乱暴で吃驚だ。この世界の王子の価値は、案外低いものなのかもしれない。
「そもそも君がマーサにばれないように、水差しに酒を入れておくという偽装をするからこんな事になったんだけど」
「勝手に部屋に入って断りもなく飲み食いする奴が悪い」
それは何か、どっちもどっちだ。
「まぁ、この件で争っているほど、私は暇じゃない。今はキクノの褒賞の話だ」
急に真面目な声になったので、菊乃も反射的に背筋を伸ばした。ユリウスの瞳は不思議な色をしていた。緑色に、金が混ざって光っている。
普段はそうでもないのだが、時折問答無用で従わなければならないような、そんな雰囲気を纏う時があった。
「君がハイネス・ユーゴに恩を感じ、気にかけている事は聞いていた。彼が死んだり、重い処罰を受ける事になれば気に病むだろうともね。私たちとしても彼を助けたい気持ちはあるが、障害になることがいくつかあった。その内の1つは片付いたが、もう1つ残っている」
ユリウスは浅く椅子に腰掛けたまま、肘掛に置いた指の先を軽く弾いた。とんとんと、ほんの少しの苛立ちを乗せて。
「これが中々に厄介だ。ハイネス・ユーゴやハルラックの証言が正しいという証拠が無い。肝心のルーミケラウスの死体も出てこないから、余計に」
その名前に心臓が撥ねる。
気がついているのか、いないのか、ユリウスは構わず話を続けた。
「君の証言が加わったから数は減ったんだけどね。ただ、それもハイネス・ユーゴの潔白を示すものではないし。だからこの際、強引に」
楽しそうににやりと笑うユリウスに、妙な胸騒ぎがした。
「ハイネス・ユーゴを君にあげようかと思って」
一瞬反応できなかったとしても、致し方ない事だと思う。
「は、い……?」
どういう意味、なのだろうか。
「だからね、君は二度に渡って敵対者を斃した功労者だ。二度目は未だ証拠不十分で疑問視する輩も多いが、一度目は間違いない。これから先の事も考えて、ご機嫌を取って取り込んでおくべきという意見が大多数を占める」
そうなんだ。
でも、そういうのは、本人に話すべき事では無い気がする。
ユリウスの隣のユーイは、もう俺は知らんといった態度で、堂々と持ち込んだ本を読み始めていた。
「今の君は多少の我侭が許される、中々美味しい立場にいる。それを利用して、話を作らせてもらった。君が命の恩人だと信じるハイネス・ユーゴの境遇に胸を痛め、彼を何とか救って欲しいと私に嘆願した。他には何もいらないと健気なことを言っていたとか、随分思いつめた様子だったとか、色々と大げさに脚色させてもらったよ」
脚色というか、それは捏造というのでは。
勿論、ハイネスを助けたいという気持ちは否定しない、が。
「そういうわけで目論みは上手くいったから、ハイネス・ユーゴを助ける事が、君への報酬というわけだけど。不服かな?」
考えた末、菊乃は力なく首を横に振った。
色々と思うところはあるものの、もういいやという気持ちである。
「それは良かった。では、最初の質問に戻ろう。ハイネス・ユーゴの今後について。君はどうしたい?」
別にどうもしたくない。
そもそもそれは、ハイネス自身に聞くべきことだ。菊乃が決めて良い事ではない。望む事は1つだけだ。
「私への褒賞で助かったとか、そういう事は秘密にしておいてください」
きっと、知ったら嫌な思いをするに違いない。
菊乃の言葉に、ユリウスは変な顔をした。
「……キクノ、1つ聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「君はハイネス・ユーゴが助かって嬉しいと思っているか?」
1つ瞬いて、菊乃は素直に頷いた。何故そんな事を聞かれるのかは、謎だ。
「嬉しい、のか。嬉しいんだよな……」
「?」
「……まぁ良い。それが君の望みなら、そうしよう。今日のところは、これで帰るよ。行こう、ユーイ」
優雅な挨拶をして帰っていくユリウスと、素っ気無い言葉を残して後に続くユーイを見送って、菊乃は小さく息を吐いた。
話をしていただけなのに、何だかかなり疲れたような。
席を外していたハルラックが戻るまで、菊乃は椅子に座ったままぐったりと目を瞑っていた。
***
中々に手強い。
ユリウスは、異界人の少女に対してそんな印象を強くした。欲がない人間を縛る事は難しい。欲しいもの、望むものを与えて懐柔しようと考えていたが、あれでは。
こちらに好意を持ってもらう必要は無い。何を思われていようとも、従わせる事は出来るのだから。
彼らは依る術の無い異界人だ。
(いざとなれば、個人の感情を考えている場合ではなくなる)
だがユリウスは、強制的に従わせるという方法が好きではなかった。特に女性に対しては。
恐怖で縛り恐れられるよりは、喜ばせて慕われる方が良いに決まっている。
好意がある方が、土壇場で裏切られる可能性も少ないし。
ハイネス・ユーゴを助ければ、菊乃はもっと喜ぶかと思っていた。
(気にするのは、好意を持っているからだと思ったが、見当違いだったか)
殆ど顔色を変えることなく、始終何かを考えるような顔をしていた少女を思い出して、思案する。
そういえば、ユリウスは彼女の笑った顔を見たことがない。
泣いたり怒ったり、そういう表情も知らない。大体今日のような不安げな、何かを我慢するみたいな難しい顔をしている。
手強い、な。
だが、そういうタイプの方が楽しめる。
今までに、様々な手管で出会う人々を誑し込んできた(健全な意味で)男は笑う。その後ろで、ユーイはその厄介な男と縁を切る方法を、真剣に考えていた。




