菊乃の褒賞 1
死ぬ事よりも、生きる事の方が難しい。
と、無事生還を果たした菊乃は思う。何だか分からないけど、自分は死ぬところだったらしい。記憶は一部曖昧になっているが、はっきりと残っている。
あの時は混乱していて分からなかったことも、今なら考える事ができた。何せ体が本調子でないため外に出してもらえないから、時間だけはたっぷりあるのだ。
あの時、ハルラックは言っていた。
力を使うことが菊乃の負担になっていると、無理をすれば命を落とす。
なるほど、自分が死に掛けた理由はそれだろうと、菊乃は考える。こうして生きているのは、途中でハルラックが止めてくれたから。
それは、あの人を、ルーミケラウスを助けられなかった事を意味していた。
じくじくと、胸の奥が痛む。
(助けられなかった)
本当はそんな言葉では片付けられない。
(私が)
殺してしまったのだ。
この異世界に辿りついてからというものの、悪い夢のような事ばかり起こってきたけど、今回の事が一番酷い。
「気に病む事は無いよ、キクノ。君が殺したのは人ではなく敵対者だ。もしも君がそうしなかったら、もっと多くの被害が出ていただろう。罪の意識を感じる必要は無い。私達は君に感謝しているのだから」
ユリウスからの感謝の言葉を、菊乃はぼんやりと聞いていた。
人を殺して感謝されるなんておかしな話だ。敵対者に寄生されたとはいえ、その土台は人だった筈。ルーミケラウスという個人が確かにいたのに、無かったことにされている。
一度敵対者に寄生された者を助ける術は無い。敵対者になった者はいずれ、多くのものを殺し破壊する。だからこそ、排除するしかない。正当防衛だ。
ううん、違う、本当は。
ハイネスが助けようとしていたのに、菊乃はその邪魔をしてしまったのだ。
「それで、何か欲しいものは?」
「……え?」
ぽん、と肩を叩かれて菊乃は顔を上げた。人懐っこい顔が思いの他近くにあって驚いてしまう。思わず首を竦めた彼女の肩から、ユリウスは乗せていた手をゆっくりと戻した。
「ぼうっとしていたようだが、まだ本調子ではないようだね」
以前も使用していた保護施設の部屋だ。それなりの広さの部屋に、ベッドとテーブル、椅子が置いてある。
調子が戻らずベッドにいる時も、ユリウスは度々様子を見に来ていた。本当に2、3分、適当な話をして帰っていくから不思議だった。今は起き上がれるので、きちんと椅子に座って話をしているところだ。
いつもならばいるハルラックも席を外している、ということは。
それなりに大切な話があるのだろう。多分。
最初は構えていたのだが、ユーイの失敗談や彼の弟の話など、世間話が続いたのでつい気を反らしてしまっていた。
「すみません」
「構わないよ。君に何かあったら大変だ。改めてもう一度言うけど、今回、先回との君の働きに対して、何か褒賞を与えようという話が出ている。多少の融通はきくから、何か望みがあるなら言うと良い」
いつの間にそんな話になっていたのか。
ユリウスは悪戯を企む子どものようににやりとした。
「遠慮は無用だよ。この際だから無茶な事を言ってあれらを困らせてくれれば、私の胸もすくというものだ。宝石でも、装飾品でもドレスでも、望むだけ与える。屋敷が欲しいなら土地と使用人もつけさせよう。そうだね、見目の良い男も集めておこうか、どんな男が好みかは知らないが……ああ、もしかして既に意中の相手がいたりするのか?」
(……どうしてそこでそういう話になるんだろう)
この、目の前の人はこの国の王子だと、確かにユーイは言っていた筈。
唖然とする菊乃に対して、ユリウスはにこりと笑いかけた。
「いないなら、私と結婚して王妃の座でも狙ってみるかい?」
………。
これは多分冗談なのだろう。真面目に返さず、笑った方が良いのだろうか。……慣れ無い事は止めておこう。
菊乃は難しい顔で、ユリウスの笑顔を見上げた。
「あの、何もいりません、お気遣いなく」
「そう言うだろうと、ユーイも言っていたよ。キクノは何も欲しがらないだろうし、何よりルーミケラウスという女性の事で罪悪感を抱いているだろうから、何を贈っても素直には受け取らないだろうと。……そこで1つ提案なのだが」
ゆっくりと、ユリウスは言葉を区切り、菊乃の顔を眺めた。まるで、そこに浮かぶ表情を見逃すまいとしているように。
「ハイネス・ユーゴを何とかして欲しい」
出された名前に心臓がはねる。
最後に見た、射抜くような冷えた眼差しを思い出す。ハイネス・ユーゴは無事だと聞いていた。正確にはそれだけしか教えてもらっていなかった。
「……何か、あったのですか」
「未だ彼に掛かった嫌疑は晴れていなくてね。姉との共謀も疑われている。肝心の彼が何も喋ろうとしないものだから、余計にややこしい事になるのだけどね。何しろ、二度目だし」
「二度目、ですか?」
「聞いていないかな。彼は一度敵対者が出た村で生き延びている。あの時も、色々と揉めたらしいが、何せその時は子供だったからね。見逃されていたが、今回はそうもいかない」
知らず両手を握り締める菊乃に、ユリウスは目を細めた。
「命まで奪われる事はないだろうが、一生牢屋暮らしにはなるかもしれない」
硬直する菊乃に対して、彼は首を傾けた。
「そこで聞くが、キクノ。君は彼を助けたいと思うか?」
頷くと、満足げに微笑まれる。
「では、ちょっと出向いて彼を説得してきてくれないか」
え。
暗く肌寒い、錆びたような匂いが鼻を刺激した。
頑丈そうな白い壁に囲まれた狭い廊下。ずらりと並ぶドアには小さな窓が二つ上と下についている。上の窓には鉄格子が嵌っていて、下の窓はそのまま何の覆いもない。腕くらいなら通りそうだが、うっかり手を出すと電流が流れる仕組みになっている。
入る前に説明をしてくれた女性に「気をつけてくださいね」と、笑顔で言われたが笑い返せなかった。
ちなみにそこは食事を出し入れする場所だ。
ここは正真正銘の牢獄である。
重犯罪を犯した者達が入れられる場所で、菊乃が前にいた場所とは比べ物にならない、厳重な警備下に置かれてあった。
ハイネス・ユーゴがここに収容されて15日が経過している。
その間、彼は一切食事をしていない。そうユリウスは言っていた。このままではもたないだろうから、何とかして欲しいと言われたが。
自分が行ったところで、どうにかできる事だとは思えなかった。
精々、怒りをぶつけられるくらいだろうか。
焦燥感が胸に湧く。
きっと、今のハイネスは生きる気力を失ってしまっているのだ。
ルーミケラウスが死んでしまったから。そうしたのは自分だ。そう思うと、踏み出した先から沈んでいくような気持ちになる。
「ここです」
先を案内していた警備の人が、ユリウスに向って一礼する。
「鍵を」
は、と短く返事があって、鍵が外された。ちなみに警備上の秘密ということで、その間菊乃は後ろを向かされていた。
「キクノ」
呼ばれて振り返ろうとするところで、腕を引っ張られた。え、と思う間も無く、今度は背中を押される。
「行っておいで」
その言葉を聞いた時には、既に菊乃は牢の中にいた。
がちゃん、と重くドアが閉まる音を背中で聞く。
何がどうなっているのか。
呆然とする菊乃の視界に、横たわる人影が映りこんだ。




