伊吹、引き返せなくなる 1
まさかこんな事になるとは。
予想外の展開のバーゲンセールに、伊吹は平静を装いながらも混乱していた。
そもそもは、ミルラの問題を何とか解決してやろうという話から始まっている。別になけなしの親切心を発揮したわけではなく、単に厄介ごとに巻き込まれたくなかったからだ。
(結果余計に厄介な事になっているが)
異世界、恐るべし。
いや、恐ろしいのはラクリエル家である。
君子、危うきに近寄らず。
昔の人の有りがたいお言葉を全く生かせなかったが、向こうから近寄ってきた場合はどうすればいいのかも、できれば教えておいてもらいたかった。
少し落ち着こう。
そして、自分の行動の何がいけなかったのかを、振り返ってみる。
伊吹はミルラと話し合い、何とかラクリエル家に直接出向いて、何とか彼女の祖父を説得できないかやってみる事となった。彼女の後ろ盾であるラクリエル商会が、伊吹のところへ怒鳴り込んでくる前に動く必要があった。
拗れて『良くもわしの可愛い孫娘を……、お前等社会的に抹消してくれるわ』とかならないとも限らない。早急に誤解を解くべきである。
で、出向いたのだが。
「ここ、ですか?」
「そうですわよ?」
伊吹の戸惑った様子に、ミルラは不思議そうに首を傾けた。
目の前には、予想よりも数段こじんまりしたお屋敷がある。勿論、普通の民家に比べれば大きいのだが、手広く商売して儲けているらしいラクリエル商会にしては、小さい。散々渋っていたミルラが、自分を騙そうとしているのではないかと、一瞬疑ってしまった。
しかし、きょとんとした大きな目は、嘘をついているようには見えなかった。
ミルラは強引かつ身勝手な上、周囲は自分に協力してくれるもの、という結構高慢な考え方を持っている。が、反面おどろく位に素直で純粋だ。人の言葉を鵜呑みにしてくれるし、疑う事を知らないというか、人を騙すということができないというか。
聞けば、初めて会った時の濃い化粧は妹が施したもので、「絶対に商談が成功する化粧」というやつらしいが、確実に遊ばれている。
更に、家出計画に伊吹を巻き込んだのは、彼女の兄の入れ知恵だとか。のりのりで演技指導をしてくれたらしい。聞けば聞くほど、ラクリエル家と関わりたくない気持ちが増す。
そんな中で、ミルラは割合まともな方なのかもしれない。
「行きますの?」
「勿論」
不安そうに瞳を揺らしていたミルラは、はぁっと大きな溜息を吐いた。
「分かりましたわ。ついてきなさい」
背筋を伸ばし、しずしずとミルラが歩いていく。門番の男が目ざとく彼女を発見した。
「これは、ミルラ様。家出されたと聞いておりましたが」
「お爺様にお話があって、戻りましたの」
「では、後ろの方が噂の?」
噂って何だ。聞きたいような、聞きたくないような。
「余計な詮索を許した覚えはありませんわ。彼はわたくしの連れです。黙って通しなさい」
「は、これは失礼いたしました」
強い口調を返すミルラに対して、門番の男(30代後半)が向ける眼差しは暖かい。可愛い娘を見るような感じである。逆に、伊吹に向けられる視線は鋭い。
うちのお嬢さんを泣かせやがったらばらして魚の餌にしてやるぜ!的な無言のメッセージを受け取った。
(俺は今日ここから生きて帰れるのか)
非常に不安だ。
門をくぐって庭に入る。
日本を基準にして考えれば広いが、この国で有数の金持ちだと考えると小さな庭だ。その代わり、珍しい植物が育てられているようだった。どれも異世界のものである事は、保護施設の農園で働いているからこそ分かる。
「シワジの青とか、独自の品種改良品だろ。あ、コウジマの実」
思わず足を止めてしまう。
子どもの拳大の大きさの、黄色と枯れ草色の斑模様。中身は鮮やかな橙で、非常に爽やかな甘味のある果物らしい。高価すぎて食べた事はないから、伝聞だ。そもそも、普通の店には並ばない品物だ。
希少価値の高い理由は10年に1度しか実を成さない為である。
「イブキ、詳しいですわね」
「一応仕事ですからね」
今日、職場に(無理やり)案内した事を思い出したのか、ミルラは頷いた。
「そういえば、そうでしたわね」
しかし、流石はラクリエル商会である。平然と庭木になっているが、この実1つで日本円にして10万くらいの値がつく事もあるのだ。
土産にいくつか持たせてもらえないだろうか。
ざっと見ただけで数十個の実が生っている木を見上げて思った。そんな邪な思いが通じたのか、ミルラが口を開いた。
「食べたいんですの?」
「いや」
食べたいというよりも、儲けたい……とは、流石に言えなかった。
「非常に美味しいと聞いた事があるので」
「そうなんですの?」
何故そこで疑問系。
「食べたこと無いんですか?」
「ええ」
こんなにあるのに?
普通食べるだろう。ひょっとして、商売用なのか。何気なく足元の茂みを見た伊吹はぎょっとした。食われないまま朽ちた果物が、捨て置かれている。
何故だ。
落ちている果物の数を、思わず目で追ってしまう。
(……8つだと。……約80万円の損害)
お前ら、それだけ稼ぐのに、人がどれだけ苦労したと思っているんだ!と思わず怒りたくなる気持ちをぐっと堪える。小さな屋敷に惑わされるな。ここは国でも有数の金持ち、ラクリエル商会なのだ。
80万なんてはした金に違いない。
そう考えると、余計に腹が立つのだが。
「この家では、庭に生ったものは食べてはいけないとか、そういう決まりでもあるんですか」
「ありませんわよ」
「だったら、食べるべきです。折角生っているのに」
もっというなら、売るべきだ。というか、いらないならくれないだろうか。
勿体無い。
枝に手を伸ばしたのは、殆ど衝動的なものだった。目の前の取れそうな場所に、熟れた実がなっていた。
「あ」
ミルラの驚いたような声と、ぱきりと果実をもぐ音はほぼ同時に響いた。
「ほら」
しまった勝手にもいでいた。己の行動を認識すると同時に、それをミルラの手元へと差し出す。さも、彼女のために取りましたというように。
ミルラは伊吹を見たまま、何故か驚いたように固まっている。大きな青い目が、更に大きく零れ落ちそうだ。
(……これじゃ、フォローできなかったか)
素直に謝るべきか考え始めたところで漸く、ミルラが動いてくれた。おずおずと、白い両手を差し出して伊吹から果物を受け取る。
「あ……ありがとうございます」
何故そんなに声が震えているのか。ついでに、白い首筋から頬に掛けて、林檎のように真っ赤になっているのか。
伊吹には理解不能であった。
「……見ましたわよ、お姉さま」
幾分幼い少女の声が、背後の茂みの方から聞こえてきた。その声に、真っ赤な顔で俯いていたミルラがびくっと顔を上げる。
「エリー?」
がさがさと、しげみ(あれは恐らくウィストロン)の濃い葉を掻き分けて、ほっそりした少女が現れる。崩れたところのない、人形のような美少女だった。流れる長い金の髪と、青い瞳がミルラにそっくりなので、彼女の妹である事はすぐに分かる。
年は15、6くらいだろうか。
髪やら服に葉っぱを沢山つけている癖に、細い腕を体の前で組んで偉そうに薄い胸をはっている。更に流し目。
「そこのお兄様。私もその果物を食べてみたいですわ。どうか、わたくしにも取ってくださらない?」
強請るような甘い声。
思わず、
「自分で取れ」
と言いたくなるような……いや、既に言っていた。
断られるとは思っていなかったのか、ミルラの妹エリー?は驚いた顔をしている。まずかったか。つい、嫌な元同級生と重なって。
思えばあれが、女性が苦手になった原点である。




