志真と恋の三角関係 4
日が落ちて、外が暗くなっても伊吹達は戻って来ない。ついでに、クリスティアンも諦めて帰る気配はまるで見せず、リアラが気を使って用意した夕食をちゃっかり食べているところだ。誘拐された婚約者を助けに来た人にしては、呑気すぎやしないか。
嫌がるミルラを無理やりに連れ去った極悪人伊吹(彼の主張だと)。その2人が今一緒にいるのに、全然心配していないみたいで、首を傾げたくなる。
しかも。
「このようなところに、貴方のように可憐で美しい貴婦人が隠れているとは。この奇跡の出会いを、私は神に感謝しなくては」
「まぁ」
クリスの感極まったような賛辞を、リアラはおっとり笑って流している。先程からずっとこの調子だ。
何なのあの人。
そう思うのは何度目か。明らかに、クリスのリアラに対する賛辞は、熱の入り方が違う。リアラ>フィオーネ>>>志真である。普通にけなされるよりもむかつく。
クリスのくどき文句のような攻撃に目を白黒させていたフィオーネは、彼の気が反れた事にほっとしているようだった。
「しかし、不幸な事に私には既に決まった女性がいます。ああ……もっと、早く出会っていれば結果は違ったかもしれませんが」
「まさかとは思いますけど、その決まった女性というのはわたくしの事ではないでしょうね?」
絶好調に舌を滑らせていたクリスティアンに、冷ややかな言葉が投げかけられた。
はっと顔を上げれば、入り口に伊吹とミルラの姿があった。待ちかねていたけど、中々最悪なタイミングでの登場だ。
ミルラはこれ見よがしに伊吹の腕にしがみつき、きっとクリスを睨んでいる。
こ、これは、修羅場……?
ごくり、と息を飲む。全く関係ない志真がここまで緊張する必要は無いのだが。一方、自称婚約者にも関わらず、不実な言動を目撃されたクリスは全く動揺することなく、大きく両手を広げてミルラに眩しい笑顔を向けた。
「ミルラ!心配していたんだよ、無事で良かった。私の可愛い小鳥」
嘘付け。
と、思わず心の中で突っ込んでしまう。あんたさっきまでリアラさんに夢中だったし、と。そんな事はお見通しなのか、ミルラの目は冷たい。虫けらを見るみたいな目で見ている。
「心配?他人の貴方に心配してもらう必要なんてありませんわ」
びしっと言った。
思いやりの欠片もない。やっぱり、婚約っていうのはクリスの思い込みなのか。
(思い込み激しそうだもんね……)
婚約者(だと思い込んでいる)にそんな事を言われたクリスは、にっこりと微笑んだ。まさかのダメージ0である。もしかして、マゾ?
「ああ、ミルラ。私が美しい女性に囲まれているから、焼き餅を焼いているんだね。そうやって強がって私の気を引こうとする姿は、本当に愛らしいよ」
「違いますわ!」
「心配しなくて良いんだよ、私の妖精。どんなに美しい花が辺りに咲き乱れていようと、私の妻は貴方だけだ」
強い……っていうか、怖い。
志真はどん引きしていた。熱っぽい視線で見つめ、おいでというように手を伸ばすクリスに対して、ミルラは涙目になっている。
感動で、というよりは怒りと恐怖でというのは、その表情を見ていれば分かりそうなものなのに、クリスはスルーだ。
ますますしがみ付いてくるミルラの額を、伊吹は少々鬱陶しそうに右手で押し返している。その態度も中々酷い。この2人、婚約しているんだよね?
くっ付いている2人に対して、クリスは不快そうに眉根を顰めた。
「さて、君。いい加減に私の婚約者を離してくれないか」
いやくっ付いているのはどう見てもミルラの方だ。
「美しい女性を見て報われない気持ちに胸を痛める気持ちはよく分かるが、ヤケをおこしてはいけないよ。今ならばまだ何もなかったことにしても良い。さぁ、ミルラを帰してくれたまえ」
「帰りませんわ!」
全身の毛を逆立てて怒る猫のように、ミルラは怒りを露にした。
「わたくしはイブキと婚約しましたの!貴方との事はお爺様が勝手に決めた口約束だけですけど、こっちには是があるんですのよ!」
肩に掛けていた小さなバックから、ミルラは綺麗に折りたたんだ紙を取り出した。薄い緑と金色の蔦で縁取りされた、A4くらいの紙である。
真ん中に書いてある文字は読めないが、下の方に伊吹のサインがあるのは分かった。
「そ、それは……!」
あのクリスが衝撃を受けている。
そっちに吃驚だ。
「まさか、そんな……贋物では」
「本物ですわ。ほら、ここにお爺様やお父様のサインもありますわ」
「あ、ありえない……」
気になる。一体あの紙は何なのか。志真は、隣で不安げな顔をしているフィオーネに聞いた。
「フィオーネ、あれ何?」
「婚約証明書よ。あっても無くても構わないんだけど、きちんとした家柄の人達は用意するみたいね。誓約書も兼ねていて、大体1年以内には結婚するのが普通みたい」
「へー!」
それがあるっていう事は、伊吹は本当にミルラと婚約しているのだ。
クリスはその婚約証明書を嘗め回すように見た後、がくりと床に手を付いた。
「なんて事だ……!」
本物、だったみたいだ。
「やっとお分かり頂けたみたいで嬉しいですわ。わたくしは貴方の婚約者ではなく、イブキの婚約者なんですの」
心底嬉しそうに胸を張るミルラ。
「信じられない……こんな貧弱そうな冴えない男と君が。おまけに、異世界人じゃないか」
むっとする。
伊吹が冴えない男だっていうのはその通りだが、異世界人だっていうのをマイナス理由に上げるとか、喧嘩売ってんのか。
何か黙っていられなくて、志真はずいっと前に出た。
「異世界人だから何!」
クリスの、明るい色の瞳が見開かれる。
「あ、いや、すまない、チーグーちゃん」
まだ言ってんのか。志真は半眼になった。
「チーグーとか違う、私はシマ!」
「………シマ」
「用終わった。もう帰る」
さっさと帰れ。そんな意味を込めて、未だ床に手を付いてこちらを見上げているクリスに、手を振った。
膝を立て、立ち上がるクリスの次の行動は、まるで予測できないものだった。故に、反応する事もできず。気がつけば、振っていた右手を大きな掌に包み込まれていた。
「……えぇっ!?何!?」
「すまないシマ……どうやら私の不用意な言葉で繊細な君の心を傷つけてしまったようだね」
痛ましげな視線と、労わるような声。
っていうか、顔が近い!
志真は精一杯首を仰け反らせた。手をつかまれている為に、距離が取れない。
「ちょ、離して!」
ぶんぶんと手を振って振りほどこうとするけれど、びくともしなかった。相変わらず凄い握力である。手が痛い。
「本当にすまない」
「もー、良い!手、離す!」
「許してくれるのかい?志真、君は何て優しい子なんだ」
キラキラと輝くような笑顔を向けられる。ぞわぞわと、背中を這い上がるものがあった。
「もしかしたら……、君こそが私の運命なのか」
硬直する手を持ち上げられ、流れるような動作で指に顔が近づけられるのを見た瞬間、金縛りが解けた。
「変態っ!」
反射的に手を引き抜き、そのままグーで繰り出したパンチは、見事彼の右頬にヒットした。ふごっとカエルが潰れたみたいな声を上げて、よろけるクリス。残念ながら、吹っ飛ばすまでには至らない。
「何なのアンタ!ほんっとうに無理!今度変な事しようとしたら、ただじゃすまないから!」
と、日本語で怒鳴る。
意味は通じなくても、気迫だけは通じて欲しい。そんな思いも虚しく、クリスは赤く腫れた頬を撫でながら、志真に向って微笑んだ。
「情熱的だね、シマ。君の不安な気持ちはよく分かる。私と君とでは身分が違いすぎるというのだね?だが、そんな心配は無用さ!真実の愛の前には、全てが無意味」
絶望的に通じていない。
「ああ……、僕もここに住ませて貰おう。ここは確か宿屋だったから問題ないね、君が安心できるまで傍にいるよ」
にっこりと笑うクリスに志真は青褪めた。
ついさっきまでミルラミルラ言っていたのに変わり身が早すぎる。っていうか、何この展開。最悪だ。




