伊吹、お嬢様と知り合う 4
種を譲る事はどうしたってできない。
だから、納得し引き下がってくれるなら、伊吹としては助かる話なのだがどうにもすっきりしなかった。
気に入らない。
悲壮な顔で俯かれると、妙な罪悪感を感じてしまう。(これも手の内なのか?)向こうが勝手に言い出した話に、後ろめたさを覚える必要は全く無いし、今日会ったばかりの他人の事まで心配してやる義理も無い。
「……意外にあっさり諦めますね。良いんですか、結婚」
関係ない、そう思うのについ余計な事を言っていた。
交渉は決裂したのだ。
後は黙って見送れば良い。暫くすれば、彼女の事など忘れるだろう。しかし、出てしまった言葉は戻らない。何でこんな事を言ってしまったのか。
多分、疲れているせいだ。
ミルラはむっとしたように赤い唇を尖らせた。
「良い訳ありませんわ!ですが、貴方種を譲る気なんて無いんでしょう?」
「天地がひっくり返ってもないですね」
即答する伊吹に、ミルラは恨めしげな顔になった。
「ほら。それならもうどうしようもありませんわ」
悔しそうに眉間に皺を寄せて、ミルラはきゅっと唇を噛んだ。最初の勢いは一体何処へ消えたのか。墓穴を掘ったな、と自分の発言を反省しつつ、伊吹は当たり障りの無い言葉を捜した。
「すみません、ええっと……まぁ、結婚してみれば案外上手くいくかも」
「ありえませんわ!気持ちの悪い事おっしゃらないで!」
顔色を青くして、ミルラは叫ぶ。
物凄い拒否感を抱いているようだ。そんな相手と結婚しなければいけないとは。
「お気の毒に」
「そんな棒読みで言われたら、余計にむかつきますわ」
「すみません、所詮他人事ですので」
「……貴方、結構意地悪ですわね」
話をしている内に地が出てきてしまった。もう交渉は終わったのだから、構わない。
「酷いですわ。貴方もわたくしみたいな目にあえば良いのに」
逆らえない身内に言われて嫌な相手と結婚。
それこそこの異世界においては、絶対にありえない話だ。伊吹は薄く笑った。だが。
「俺なら家出しますね。絶縁して1人で生きます」
万が一自分がそんな風になったなら、絶対にそうする。波風立てず、平穏に生きていきたい。その為なら、多少の我慢はしても良いと思う。
生きたいし、死にたくない。
だが、どうしても我慢できない事を我慢してまで、生きていく意味はあるのだろうか。
少なくとも、今の伊吹には無い。
死にたくない、生きていたい。それだけの思いしかない、今の伊吹にとっては。
黙りこんでしまったミルラが何を考えているのか、伊吹は考えようとも思わなかった。そろそろ帰らないだろうか、そう切り出そうとした時、ミルラのお腹が鳴った。
くるるるる、と。
しんと静まり返った食堂に、その音はよく響いた。
はっと我に返ったミルラの顔が、見る間に真っ赤に染まる。伊吹は思わず笑ってしまった。
「わ……」
ぱくぱくと、真っ赤な顔で金魚のように口を開閉した後、ミルラは俯いた。
「夕飯、食べていきますか?」
ラクトが2人分用意していると言っていたことを思い出して、聞いてみる。わざわざ伊吹に言ったという事は、そういうつもりなのだろう。
驚いたような顔で見つめられて、伊吹は自分の発言を後悔した。
さっきから、失言ばかりしているような。
「まぁ、口には合わないかもしれませんし…」
「……いただいていきますわ」
失敗した提案を取り消す前に了承された。
こうなったら今更撤回は出来ない。
伊吹はラクトのところへ、2人分の食事を取りに行った。
やはり、庶民の食べ物が口に合わなかったのか、神妙な顔で食べ続けたミルラは終始無言で、妙に気まずい時間となった。
上品に、1人半前くらいの食事を片付けて、ミルラは宿屋を後にした。もうこれで、会うこともないだろう…………
そう思った日のたった2日後。
彼女は再び伊吹の前に現れた。早すぎの再会である。
「何やっているんですか」
思わず第一声がそんな言葉になってしまっても仕方が無いと思う。
すっかり馴染み、見慣れた自分の自室にて。古い丸テーブルの横の椅子に腰掛けて、入り口で固まる伊吹に首を傾けるミルラ・ラクリエル。
足元に置かれた大きな(ついでに高そうな)鞄2つを見て、嫌な予感がした。
「入りませんの?」
「……だから、何でここに」
ぴょん、と頭上から飛び降りたこてつが、主人の戸惑いも知らず部屋に入り、ベッドの上で毛づくろいを始める。その気ままさが羨ましい。
少し落ち着こう。
階下でリアラから、客が来ている事は聞いていた。何でか勝手に部屋に通した事も。誰も彼も、一体何を考えているんだ。伊吹は痛む米神を押さえつつ、ミルラへと視線を戻した。
相変わらず派手なドレスを着用している。今日は桃の花のような可愛らしい感じで、それに合わせたのか化粧も薄めだ。
何となく、直視できない。
「今度はどのようなご用件で?」
ふわりとレースを重ねた、肩の辺りに視線を置く。
「わたくし、家出をしたんですの」
やっぱり、そうなのか。予想が的中した事が悲しい。凄まじい面倒事の予感がする。
「他に行くあてがありませんの。ここに置いてください」
「無理です、ありえません、他を当たってください」
一体何を考えているのか。
伊吹とミルラは友人でも何でもない。単に一度商売の話をしただけの間柄だ。頼られる覚えも、助けてやる理由も無い。
「……他が無いからここに来ているんですわ」
赤い唇を尖らせて、ミルラは不満げな顔をした。
「家出というのは、お友達の家や、頼れる知人の家へ転がり込むのが初心者向けだと聞きましたわ。でも、残念ながら、わたくしの周りの人間で、お爺様よりわたくしを優先してくれそうな方はおりませんの」
それはそうかもしれない。
彼女の祖父はラクリエル商会のお偉いさまであり、その影響力は計り知れない。その意向に逆らった孫娘を匿うという事は、彼に逆らう事にもなる。
「言っておきますが、俺だって貴方の為に貴方の祖父に逆らう気はありませんよ」
「そう、おっしゃると思いましたわ」
は?
低く、猫が喉を鳴らすような声に、不吉なものを感じて伊吹は視線を上げた。艶やかな花のような笑みを浮かべ、ミルラは言う。
「だから、先手を打たせて頂きましたの」
先手って。
(そんな策略家だったか?)
種の事で交渉しにきた時の印象では、言っては悪いが凡庸。要領悪く嘘をつけないタイプで、取引や駆け引きには向いていないと感じた。
拙く取引を持ちかけて、失敗しそうだと悟ると切羽詰って酷い泣き顔を見せてくれた。女の涙を武器にする事もできず、子どもみたいに泣いていたのに。
まさか、あれすらも演技だったのか?
呆然とする伊吹に気がつかず、ミルラは無邪気に続けた。
「お爺様に、心に決めた殿方がいるので結婚はできないと。ちゃんと、名前も言ってきましたわ」
「……まさか」
いや、聞きたくない。しかし、耳を塞ぐ暇も無かった。
「貴方には申し訳ありませんが、貴方のお名前を使わせていただきましたの。具体的な名を出さないと、説得力に欠けるとお兄様が言うので」
「会ったばかりの奴の名前に説得力はあるのか!?」
「お互いに電撃的な一目ぼれ、という事に」
「お互いに!?」
ええ、と頬を染める意味が分からない。
「もう一瞬でも離れていたくありません、と手紙を残して屋敷を出てきましたわ。これでお爺様もきっと信じてくれるはずですわ!」
色々と最悪である。
伊吹は頭を抱えたくなった。




