伊吹、お嬢様と知り合う 2
女の泣き顔は綺麗だ、とか言った奴はちょっと出て来い。
そんな事を思う伊吹の前には、酷い顔で泣いているミルラ嬢がいた。仮にもお嬢様がそんな泣き方でよいのか。本人も何とか泣き止もうとしているらしく、毒々しい色の唇を引き結んでいるし、眉間の皺も益々深くなっている。
(お陰でヒキガエルみたいな顔になっているがな)
とどめなく流れる涙のせいで、濃い化粧がはがれてきていた。女というのは、何故目の縁を黒くなぞるのか。伊吹には理解不能だ。流れ落ちた涙によって、顔に黒い筋が入ってしまったミルラの顔は、正にホラーな出来だった。
トラウマもののゲームを思い出して、益々微妙な気持ちになる。
「う、売って、ください。お願いしますわ。お、お金なら……」
泣き止むことを諦めたミルラは、今度は伊吹の説得に乗り出した。その執念は、疑問だ。それほど儲かりそうなものだろうか。未だ、花の種という以外に、詳細は明らかにしていないにも関わらず。
「そう言われましても」
「お、お願いします」
「……失礼ですが、何故そこまで必死になられるのですか?ただ商売の為、というには、貴方はその……」
必死すぎないか?
そう問うと、ミルラは華奢な肩を大きく奮わせた。ひくりとしゃくりあげて、顔を歪める。
「わ、わたくし……っ」
「はい?」
「わたくし、け、結婚はいやですの。政略結婚なんてしたくありません、しかも、あ、あんなギスニッチみたいな男となんか!」
ギスニッチって何だ?多分ここまで嫌がるくらいだから、ろくでもないものなんだろうが。叫んだ後、わっとテーブルに顔を伏せて泣き出すミルラを、伊吹は冷静に見下ろした。
……色々意味が分からない。
「ミルラさん、貴方の結婚と俺の持つ種の話が全く結びつかないのですが」
「お、お爺様が……っ、お前のような才能のないものは、さ、さっさと結婚した方が良いとおっしゃって。か、勝手に縁談を」
ギスニッチみたいな男との縁談か。
「断れないのですか?」
「お爺様のいう事は絶対です。い、嫌なら使い物になるところを、見せろと」
ああ、段々話が見えてきた。
「異世界人が異世界の種をまだ持っているから、それを何とかして来いって!」
がばり、とミルラは顔を上げた。その化粧と涙でぐちゃぐちゃになった顔のすさまじさに、伊吹は思わず身を引いた。
「お願いですわ!わたくしの人生が掛かっているのです!どうかわたくしに種を譲ってください!」
「無理です」
必死の懇願を、伊吹はきっぱりと断った。
変に期待を持たせるほうが酷である。一瞬硬直した後、ミルラは再びわっとテーブルに顔を伏せて泣き始めた。
流石に気の毒だとは思うが、こればかりは譲れない。
「すみませんね、お力になれなくて」
謝ると、一層しゃくりあげる声が大きくなった。
下手に声を掛けても無駄そうなので、伊吹は入り口を気にしつつ(いつ何時泣き声を聞きつけた誰かが来ないとも限らない)、ミルラが落ち着くのを待った。
2、30分は経っただろうか。
漸く落ち着きを取り戻したミルラが、泣きはらした顔を上げたのを見て、伊吹は立ち上がった。気配を察知してするりと膝からこてつが逃げ出す。
こてつはそのまま、椅子の上で丸くなった。
「少し待っていてください。湯とタオル、持ってきますから」
帰るにしても、そんな顔では帰れないだろう。
親切、というよりは罪滅ぼしのつもりで。彼女の事情を汲んでやる義理は無いが、流石にあそこまで泣かれると後ろめたい気持ちも湧く。
食堂を出て、一番近くの湯が汲める場所、調理場に向う。
「すみません、桶と湯貰えますか」
そう声を掛けて足を踏み入れる。りょうかーい、と明るい声で答えたのはアンナだった。てっきりカオロンかミーチェがいるものと思っていたから、驚いた。ラクトはいるが、2人の姿は見えない。
「カオロンさん達は?」
「病院に行ってるわ。あ、診察じゃなくってお見舞いねー」
アンナが説明している背後で、ラクトがてきぱきと桶にお湯を足している。
「さっき、お茶を持っていこうとしたんだけど、深刻そうだから入れなくって。大丈夫?何かすっごく泣いてたみたいだけど、修羅場?」
「まさか」
そばかすの浮いた小さな鼻の上をくしゃりとさせて、アンナが笑った。
「シマが見に行こうとするから、ウィガーが部屋まで連れて行ったんだけど。後で大変よ?」
ウィガーに深く感謝した。
「アンナさん、綺麗な布かタオルありませんか。顔を拭けるような」
「あるわよう、ちょっと待ってて」
アンナは快く返事をすると、ぱたぱたと軽い足取りで出て行った。彼女に比べて、ラクトは無口だ。無言で湯の入った桶を差し出される。
2人になるのは少しばかり気まずい。
彼とまともに話すのは、あの妙な預言者っぽい話を聞かされて以来だ。
選ばれた勇者よ、この宿屋の危機を助けたまえ。
そんな感じの話だった。未だ、伊吹は何もできていない。腹を立てているだろうか。(いや、別に助けなくちゃいけない義務とかは、無い筈だけど)
ちらりと様子を伺うが、ラクトは何も言わない。
既に伊吹から目を離し、ナイフで野菜の皮をむいている。しゃりしゃりと、微かな音が響く。
「安心していい」
唐突に聞こえた言葉に、伊吹は肩を揺らした。
こちらを見ないまま、ラクトは続ける。
「食事は1人分大目に用意しておく」
……何の話だ?
それっきり、再び口を閉ざしたラクトに、伊吹は困惑を隠せない。ミルラが食事をとっていくとでも思っているのか。そんな事は一言も言っていないし、そうなる確立も低いと思うが。
答えを明らかにする前に、アンナが戻って来た。
「はい。これとこれとこれとこれ、あとこれね!」
ぽんぽんと、次から次へと渡される品物に伊吹は目を瞠る。頼んだのはタオルか布だけだった筈だが。
ご丁寧にタオルと布の2つが用意されている、それは良い。
「何ですか、これ」
タオルの上に置かれた固形石鹸と、更に瓶が2つ。中にはそれぞれ蜂蜜色の液体と、桃色の液体が入っている。
「この石鹸は化粧落とし用の洗顔石鹸、こっちのピンク色の液体は洗顔の後につける保湿液で、もう1つの方は美肌液。腫れを抑えたりする効果もあるから使ってもらって」
凄い気の回しようだ。
同じ女性だからだろうか。ありがたく受け取って、伊吹は食堂へと戻った。少々時間が掛かったので、帰っている可能性も考慮したが、ミルラはそこにいた。
いつの間にかテーブルの上に乗ったこてつの顎の辺りを擽って、小さく笑っている。
少し元気になったようなのでそれはい良いのだが、その顔で笑うと益々怖い。こてつが食われそうな感じの絵面だ。
「お待たせしました」
そんな失礼な事を考えつつ、伊吹は彼女の前に洗面セットを置いた。
「これ、使ってください」
ミルラは腫れた目で伊吹を見上げた後、俯いた。テーブルの上に置いた手が、きゅっと拳を作る。
「………ありがとう」
消え入りそうな声でそう礼を言って、ミルラはお湯を使い始めた。
ぱしゃぱしゃと、水が撥ねる音が響く。注視するのも失礼だろうし、自分の足元の辺りに視線を置いた。
全く、何でこんな事になっているんだか。
真面目に仕事をし、学校で勉強し、更に図書室で調べものをした。伊吹は疲れている。ついでに腹も減っていた。体は清潔さと睡眠を要求している。
「ありがとうございました」
いつの間にか水音が止んでいた。終わったらしい。顔を上げた伊吹は、ミルラの顔を目にして驚いた。
美人だと、知ってはいたが。
化粧を落とした方がずっと良いとか、どうなんだ。




