伊吹、お嬢様と知り合う 1
平穏な生活が戻って来た。
仕事をして、学校に行って、仮住まいの宿屋へ帰る。思ったより早く回復したこてつも戻ってきて、再び頭の上に居座るようになった。心なしか、体重が増えたような気がする。頭に乗る重みが以前よりもずっしりと来て、首がこる。
平和、だ。
勿論あくまで表面上、或いは一時の平和というやつである事は理解していた。
何せ問題は何一つとして解決していない。
シュターク教派はまだ敵対者(分割して弱体化しているらしい)を抱えているというし、伊吹の兄を匿っている謎の組織は、この国に革命を起こそうと目論んでいるらしい。
悪夢だ。
その2つについては警戒しつつ、できるだけ回避する方向で。
以前に増して、熱心に仕事をし、合間に勉強と研究を続ける生活に没頭した。嫌な事をできるだけ頭の外に追い払いたかったから、というのもある。
少しでも時間があれば、嫌でも考えてしまう。
ルーミケラウスからの手紙の内容を。
既に灰と化した手紙であるが、その内容は伊吹の頭にしっかりと刻み込まれてしまっていた。
思い返すたびに、気分が沈む。
開けるべきでなかったパンドラの箱。
それと同じくあの手紙も、見るべきでなかったかもしれない。
何をしていても、いまひとつ晴れない気分だ。図書館により調べものをして、宿屋に戻る頃には夜を迎えていた。いつもの様に裏口を潜った時、聞きなれた大きな声が伊吹を呼んだ。
「いっさん、遅い!ずっと待ってたんだからね!」
ショートカットのいかにも健康的な少女が飛び出して来て、そんな文句を並び立てる。待っててくれと頼んだ事は一度も無い、伊吹は半眼になった。
何だか知らないが。
「お前が勝手に待ってたんだろ」
そう言うと、志真はむっとした顔になった。
「違うって、待ってたのは私じゃなくて、えーっと」
「何だよ」
「女の子のお客さんが来てる。帰るまで待つって言うから、食堂で待ってもらってるよ。もう3時間くらい」
は?と伊吹は眉を顰めた。この話の流れでは聞くまでも無い、が。
「俺に?」
「そうだよ」
肯定した後、志真はにやけた顔になった。三日月を下向きにしたみたいに目を細め、口の両端を吊り上げる。
「いっさんもやるねぇ、可愛い子だったよー。化粧濃かったけど。どこで知り合ったの?」
「どんな奴」
「金髪碧眼、ちょっとつり目で、お嬢様みたいな凄いドレス着てた」
全く記憶に引っかからない。一体誰だ、そう思いつつ、からかう志真の言葉を無視して、伊吹は食堂へと向かう事にした。
お嬢様。
そんな名称がぴったりくる少女だった。派手な金の髪を複雑に結い上げて、紫色の大きな芍薬のような花で耳の後ろ辺りを飾る。ふんわりと広がったレースを幾重にも重ねたドレスは、かさ張るしいかにも動きにくそうだ。
胸をぐいっと押し上げて、腰をきゅっと絞る。
どこのお姫様だよ、とつっこみたくなるような格好の少女は、この古くてこじんまりした宿屋の中で浮いていた。
志真の言う通りに化粧は濃い。20前半だと思われるのだが、その若さでその化粧の濃さは有りなのか。
(誰だこいつ)
生憎伊吹には見覚えが無かった。これだけ目立つ相手だったら、見忘れたりする事は無さそうだ。猫のような大きな青い目が、訝しむ伊吹を見つける。
窓際に腰を下ろしていた少女は、流れるような動作で席を立ち、入り口で戸惑う伊吹に向って丁寧に一礼した。
「わたくしはミルラ・ラクリエル。貴方がイブキ・カガミ様ですわね?」
「……ええ、はい」
「今日は急の来訪をお許しください。どうしても、お願いしたい事がございまして、参りました」
「俺にですか?」
「はい。立ち話でするようなお話ではありませんから、どうぞこちらへ」
と、彼女の正面の椅子をすすめられる。思わず礼を言って座ったが、ここは彼女の屋敷ではない。客の立場が、逆になっているような。
別に、構わないが。
「名前でお分かりかも知れませんが、わたくしはラクリエル商会の人間ですの」
当然知っているだろう、とでも言うようなこの自信に満ち溢れた態度。ラクリエル商会はこの国で、主に異世界関係のものを扱い、手広くぼろもうけ……商売しているグループだ。
「はい」
それで、と続きを待つ伊吹に対して、ミルラは僅かに気分を害したような顔をした。
反応が薄かったのが気に入らなかったようだ。見た目どおりプライドの高いお嬢様らしい。
頭から下りて膝で毛づくろいを始めたこてつを撫でながら、伊吹は愛想笑いを浮かべる。
「ラクリエル商会のような立派なところが、わざわざ俺を訪ねて来るような理由が、思い当たりません。どのようなご用件なのでしょう」
態と下手に出てやると、ミルラは一瞬軽蔑したような目を伊吹に向けた。
子どもだな。
取り繕うように微笑むミルラを見つめ、伊吹は内心で嘲笑う。
感情をいちいち顔に出してしまうのは、取引をしようとしている者としては失格だ。
猫を被ることならば、彼女より余程上手く出来る自信があった。
「貴方が異世界から持ち込んだ、アサガオとキューリはうちでも取り扱いを始めております。特にアサガオは美しく、栽培も難しくなく、お客様に好評を頂いておりますわ」
「それは、良かったです」
「異世界から持ち込まれた様々なものの中で、植物は特に手軽に触れることができると、人気ですわ。勿論、人体や環境に悪い影響を与えてしまうようなものは、世に出すべきではありませんけど」
一旦言葉を切ってから、ミルラは熱心に伊吹を見つめた。澄んだ青色の奥に、油断ならない色が見える。
「イブキ様の持ち込まれた種は、3つだったと、そのような情報があります。現在世に出ているのは2つ。後の1つは未だ、イブキ様がその権利を有していると、それは真実なのでしょうか?」
情報漏えいを怒るべきか、それとも今までばれなかった事を喜ぶべきか。
今はとりあえず。
「そうですね、一応まだ」
「理由をお聞きしても?」
「……すべて手放すのは寂しかったものですから」
目を伏せて、自嘲気味に笑う。今ならば、役者にでもられそうだ。気づかれないように伺い見れば、鼻白んだ風のミルラの顔があった。
「お恥ずかしい話ですが、二度と戻れない故郷のことを思うと、どうしても手放す気にはなれなくて」
いざという時のための切り札だからな。
顔を上げると、ミルラが笑顔を取り繕った。
「お気持ちお察しいたしますわ」
嘘付け。
「でも、そう、そうですわ、例え種を手放されても、量産されればこの世界に思い出の花がたくさん増えることになりますわよ。そうすれば」
「そうですね。ですがそれはもう、この世界で育った別の花なんですよ。そんな風に感じるのは、おかしいと思われるでしょうが」
自分で言っていても、何言ってんだこいつと思う。
「なので、これはどうしても手放せないのです」
どれだけ金を積もうと手放す気は無いので諦めて帰れ。
そんな思いを言外に込めて告げると、ミルラは引きつった笑顔のまま固まった。
「どうしても、ですか?」
「申し訳ないですが」
「ど、どうしても……?」
いきなり声が弱々しくなる。途方に暮れたような響きに、違和感を覚えた。
大きな青い目が心なしか潤んでいた。目の端が赤い。ぎゅっと赤い唇を引き結び、耐えるように頬を震わす彼女に、嫌な予感が過ぎる。
おい、まさか。
そんな伊吹の内心の動揺を他所に、ミルラの目から大粒の涙が零れ落ちた。




