菊乃の休演
困っているんだよ、とそう、いかにも人の良さそうな顔をした男が言う。それを、親の敵でも見るような目つきで眺めるユーイ・ユーイ。
非常に不機嫌だ。
ここ最近、彼が上機嫌だった試しが無い。
部屋の隅で、自らの存在を心の無い置物であるように(少なくとも表面上は)心がけていたジェレミーは、そのやり取りに耳を澄ませながら書類の整理に勤しんでいた。
凡庸な癖に妙に人を惹き付ける魅力ある青年は、ユリウス殿下だ。彼はこの国の王子であると同時に、ユーイの協力者兼友人である。友人、というよりは気の置けない悪友のような間柄だった。2人の間には遠慮が無い。不敬ともいえるようなユーイの態度を、ユリウスはお気に召している節がある。
「勝手に困ってろ」
ここにジェレミー以外の第三者がいたなら、その言い様に眉を顰めただろう。怒るか、嘆くか、咎めるか。ユリウスは仮にもこの国の王子なのだ。
最も本人は気にしていない。
「冷たいね。そう言わずに力を貸してほしいな」
「知るか。こっちは忙しいんだ。ケラスの事情にまで首を突っ込んでいられるか」
「そこを何とか」
気さくな苦笑いを浮かべつつ、ユリウスは言う。
「今ハイネス・ユーゴを失いたく無い。齎された情報が確かなら結構な戦力になりそうだし、勿体無いだろ」
ハイネス・ユーゴの身柄はケラスにて拘束中。容疑についての取調べは随分難航しているらしい。菊乃を連れて、ハイネスが帰還した。その際簡単に事情を説明した後、だんまりを決め込んでいる。不明な点は未だ多く、ケラスの連中も手を焼いているようだ。
全く、面倒な人だ
一度、ユーイと共にハイネス・ユーゴに面会した。相変わらずの無表情で、何もその目に映していないかのような暗い瞳をしていたので、嫌味を言う気も失せてしまった。ユーイが幾つか質問したのだが、一つも答えは得られなかった。
世界の一切を遮断して、口を閉ざす。
あれでは手を焼くだろう。
シュターク教派との関わりについて。
ルーミケラウスの事情、企み。
敵対者について。
シャーリン教会での事件に関与していたのか否か。
元々、顔の筋肉が鉄でできているかのごとく表情を変えない、無表情で無口な男ではあった。戦いの際に負った酷い怪我にも、声を上げることなく耐えて、敵を葬ってきたような男だ。きっと拷問の類も通用しない。(拷問は既に禁止された手法なので、適用されることもないだろう)
そんな彼が、ただ一つの言葉には反応したように見えた。それがまた、面白くない事実でもある。
ユリウスは、彼から情報を聞き出してくれとユーイに頼みに来たわけではない。
ハイネス・ユーゴは既に5日、食事を取っていないらしい。水は飲んでいるようだが、このままではいずれ死ぬ。緩やかな自殺を試みているわけでは無いだろうが、結果的にそうなるだろう。
どちらにしろ、貴重な重要参考人をみすみす死なせるわけにはいかない。ケラスも頭を悩ませている。
最も、ユリウスには、情報提供より他の思惑があるようだが。
「キクノだって、ハイネスが死んだら悲しむと思うが?」
腹立たしい事に、その言葉を否定する要素は無かった。
「だから何だ」
ユーイは冷えた眼差しをユリウスに向ける。
「キクノが悲しもうが腹を立てようが、俺には関係無い」
「合理的に考えるべきだ。キクノは懐柔しておくべき有用な人材だ。恩を売っておく必要がある」
優しげな顔で、声で、告げる言葉は冷徹だ。相変わらず。彼の恐ろしいところは、優しさも善良さも持ち合わせていながら、いつだってそれに振り回される事なく冷静な判断を下す事である。
酷く嫌そうな顔をするユーイに、ユリウスはにこりと笑いかけた。
「頼むよ、ユーイ」
どの道、彼の方が立場が上だ。
命令されれば殆どの人間が逆らえないというのに、彼は態々こうしてお願いしていく。命令ではなく、あくまで自主的に取り組ませなければ良い結果は得られない。それが彼の持論であると、いつか本人から聞いた事があった。
ユーイは兎も角、彼の周囲にいる人間の殆どは、そんな彼の強かさに気がついていないに違いない。
ユリウス殿下の評判は上々。
広く周囲の話に耳を傾け、誰に対しても決して偉ぶる事無く対等に接する。慈悲深く、賢明な理想の王子。彼の思うように転がされているとも知らない人間は、全くもって幸せだ。
同時に哀れなような気もする。
勿論、ユリウスとユーイは気心知れた間柄である為、その手は通用しない。
「ハイネスが死なないように手を打って、ついでに適当に理由をつけて身柄を引き取ってきてくれればそれで良い」
「お前が自分で言え。一発で済むだろうが」
「権力を盾に身勝手な事をすれば、信用を失う。その点、君は元々横暴で身勝手だと思われているから問題ないだろう」
「喧嘩売ってんのか!?」
「嫌だな、誠意を込めて頼んでいるだけだ」
「誠意って言葉の意味を一度辞書で調べておけ」
束ねた資料を確認しつつ、クリップで留める。それらを棚の引き出しの中に、種別に収めた後、ジェレミーはドアへ向った。
態々彼らがいる場所から離れた側のドアを選んだのだが、当然のように見咎められた。
「おい、ジェレミー何処へ行く」
「新しいお茶をお持ちしますよ。すっかり冷めてしまったでしょうから」
来客用の応接セットのテーブルの上に用意されたカップは、手付かずのまま湯気が消えている。
「必要ない。どうせ飲まないんだ、勿体無いだろう」
王族であるユリウスは、毒味なしで食事や飲み物に手をつけることはしない。勿論それは承知している。とはいえ、これは一応の礼儀だ。
「気遣い感謝する。だが、ユーイの言う通りその必要はないよ。もう行かなくてはならないし」
ユリウス殿下はにこりと笑った。
「じゃあ、失礼するよ。ユーイ、後の事は頼んだ」
そう言って、ぱっとその姿を消した。
転移の魔法である。見事。言い終わると同時に消えた為に、ユーイに反論の隙を与えなかった。
「っく、あの野郎……」
怒りに打ち震えるユーイ。先の事を思って、ジェレミーは溜息を吐いた。彼の弟子という厄介な立場にある自分が、結局のところ一番苦労する嵌めになるのだ。




