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菊乃の窮地 5

 したいようにする、そう宣言した菊乃を、ハイネスは無視することにしたようだ。さっさと歩いていく彼の背中を追いかけて、菊乃は走った。ただでさえ砂の上は歩き辛い。足の速いハイネスについていくのは、大変だった。

 毛布が邪魔で仕方が無いが、取ると日差しで大変な事になりそうな気がする。着ているものは、寝間着である薄い生地のワンピース一枚。それも、ハイネスの怪我を手当てする為に、破いてしまっている。

 色んな意味で、毛布を外すことができない。

『辛かったら言うと良い。俺が運ぶ』

 そう、ハルラックが言ってくれるが、甘えるわけにはいかなかった。ただでさえ、迷惑ばかりかけている。

「大丈夫、です。あの、ハルラックさんは、町に戻っても」

 そう言うと、呆れた目で見られた。

『……俺は君の護衛だ。1人では戻らない』

 はっとする。

 菊乃を守る事が彼の仕事だったことを、すっかり忘れていた。

「ごめんなさい。私の、我侭で、迷惑と危ないことに巻き込んで」

『そうじゃない。……悪かった。少し意地の悪い言い方をした。本当は違う、護衛でなくても同じだ。俺は君と来たと思う。だから気にしなくて良い』

「ハルラックさん……」

『それに俺も、彼らの事は気になっている』

 そう言うと、ハルラックは菊乃の方へ体を寄せた。

『乗れ。見失うぞ』

 少し話している間に、大分距離が開いていた。

「ありがとうございます」

 ここは、素直に甘えることにする。本当に、いつも助けられてばかりだ。肌触りの良い毛皮にしがみ付き、菊乃は誓う。

 いつか、彼が困った時は、絶対に力になろうと。



***


 菊乃1人なら何とでもなっただろうが、ハルラックの方は厄介だった。少女を乗せて、彼の後をついて来る黒い獣を振り返り、ハイネスは眉を顰めた。

 一体、どこまでついて来る気なのか。

 折角助かったのだから、さっさと町に戻り保護してもらえば良いのだ。


 態々、厄介ごとに関わろうとする菊乃の気が知れない。


 死んで欲しくない、そんな風に他人に言われたのは初めての事で、少なからず動揺した自分に苛立ちを覚える。


 気がついた時には、姉と2人で生きていた。

 母も父もおらず、教会で必要最低限のものを与えられ生かされていた。いつも、餓えていた気がする。食事だけでなく、色々なものに。

 他の子供と違う自分達の境遇。その理由を知ったのは、6歳の頃だった。どうして僕達には父さんや母さんがいないの。そう無知な彼は姉に尋ね、彼女を困らせていた。何かを我慢するような、歪んだ顔の意味を知った時の後悔は今も忘れない。

 ハイネスは生まれてくるべき子供ではなかった。

 難産の末、生まれた赤子は死んでいた。心音が聞こえず、体温も徐々に失われていっていたという。母親は泣きながら赤子の額に頬を寄せた。


「ハイネス」


 新しい家族の為に用意しておいた名前。それが、彼女の最期の言葉となる。数分後、死んだ母親の胸で、死んでいたはずの赤子が産声を上げた。


 時折村に生まれる、シンセ、簒奪者と呼ばれるもの。


 それは村の秘密であり、外界との接触を控え、ひっそりと生きている理由でもあった。

 触れた者の命を奪い、自らの糧とする者。人よりも丈夫で、桁違いの身体能力を有する。そして、重症な怪我等の命の危機に晒された時に、他者の命を糧としてその身体を維持する。

 かつて、村に混じった異世界人の血のせいだ。

 ユーグリッドの村には、数種の異世界人の血が脈々と受け継がれていた。時には祝福を、特には呪いを。ユーグリッドの村は、異世界人の血に囚われていた。

 ハイネスの姉、ルーミケラウスにもその力が宿っていた。最も、ハイネスに比べれば微小なものだったが。2人の父は子供を捨て、村を出た後二度と戻らなかった。親戚にも背を向けられ、2人は教会に預けられる。

 厄介な子供2人を、生かしてくれただけでも奇跡なのだと思う。本当なら、そのまま見捨てられていても不思議ではなかった。

 かつて、この村が異世界から来た怪物に襲われた際、助けたのがそのシンセだったという話もあるから、そのせいかもしれない。


 ただ生かされていた。

 殆ど誰にも声を掛けられないまま。傷つけられたことはない。いない者として扱われることに、ハイネスは慣れ、ルーミケラウスは慣れなかった。


 ルーミケラウスはいつだって、渇望していた。自分を認めてくれるもの、求めてくれるもの、愛してくれるもの。自分と同じ弟を守り慈しみながら、自分を守ってくれる存在を求めていたのだと、今なら分かる。

 水害と一緒にやってきた世界喪失者。

 ヤガセという若い男を、最初に見つけたのはルーミケラウスだった。彼女はすぐに夢中になった。言葉を知らず、事情も知らないヤガセは両親のいない子供2人に優しかった。明るく声を掛け、一緒に遊んだ。

 下心のようなものは無かったと思う。

 早熟で、美しい顔をしていたとはいえ、ルーミケラウスはまだ12の子供で、ヤガセは20を越える大人だった。だからこそ、ルーミケラウスは安心して甘えていたのだろう。錯覚のような淡い恋心は、いつしか深く彼女の中に根付いていた。

 ヤガセはハイネスのことも可愛がっていたが、彼に対する思いは複雑なものだった。親切にしてくれる大人等いなかったから、その好意は嬉しい。だがそれよりも、たった1人の姉を取られてしまうような不快な気持ちが勝る。


「もう、ハイネったら、どうしてヤガセに失礼な態度取るの」


 2人なると、いつもそう叱られていた。

「あんな事してたら、嫌われちゃう」

 膝を抱え、不安そうに呟いていた事を今でも覚えている。あの頃が、彼女にとって一番幸福な時だったのだろう。それは、長くは続かなかったけれども。

 半年を過ぎた頃から、ヤガセの様子がおかしくなった。最初は、本当にごく偶に。うつろな目をしてぶつぶつと呟いていたり、何日も眠り続けたり。その内に、暴力的な行動を取るようになった。

 衝動的に暴力を奮い、すぐに我に返っては酷く狼狽し、謝罪する。泣きそうな顔で、何度も何度も。

 その内に塞ぎこみ、人を避け部屋に閉じこもるようになった。

 誰にも言わないのよ、病気って事にするの。

 そう、ハイネスに言いつけたのはルーミケラウスだった。一緒にいる事が多かったから、真っ先に異変に気がついたのは彼ら姉弟で、他の人々は長く気がつかなかった。

 敵対者。

 その頃、ハイネスはその存在を知らなかったが、多分ルーミケラウスは知っていた筈だ。でなかったら、口止めなどしないだろう。

 村の他の者達が敵対者の存在に気がついた時には、既に全てが手遅れだった。


 敵対者は、周囲のものを歪める。人の運命さえも。


 けれど、時々思うのだ。

 彼女の運命を曲げてしまったのは、他の誰でもなく、自分ではないのかと。


 ハイネスの中に流れる忌まわしい異世界人の血。敵対者。異世界人は、いつも彼を煩わせる。

 サカマキ・キクノも、そんな異世界人の1人だった。

 無力で、無知で、周りに翻弄されるしかない少女。常に自分を押し殺し、固く表情を凍らせて、その身を守ろうとしているように見えた。たった、1人で。

 その姿が、自分と、ルーミケラウスに重なった。

 だからだ。

 菊乃自身の事等、見ていなかった。彼女を通して、違うものを見ていた。

(だから、言うな)

 助けたかったのは、彼女じゃない。

(死んで欲しくないなど……俺に)

 何も知らないくせに。ハイネスがどういう人間で、どんな風に生きてきたか。どれだけ、人を殺してきたか。

(今更)

 希望など知りたくない。

 それは単にこの先の絶望を深くする為のものでしか無いのだから。

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