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伊吹、不吉な予感を抱く 2

 これは、そろそろ行っといた方が良いだろうな。


 ベッドのシーツの上で、長い体を丸めて眠るこてつを見下ろし、伊吹は軽く溜息を吐いた。相変わらずのだらけ具合。毎日毎日、ほぼ寝てばかりいる。時々は起きて餌を食べているし、調子が悪いという風にも見えないが。

 毛艶も良いし、鼻の頭も乾いていない。湿疹が出てるとかそう言う事もない。食べたものを吐いたり、下痢をしたようすもない。敢えて言うなら多少丸くなった気がする。

 寒い時期なら冬眠(冬眠する種なのかは知らないが)を疑うが、この初秋の気候で冬眠はないだろう。

 伊吹は用意した小さめの籠の中にタオルを詰め、その上にこてつを置いた。ぐんにゃりと生暖かいこてつはされるがまま。全く起きる気配が無い。


 これで良いのか、竜の末裔。


 最も、その説は眉唾ものだと思っている。鱗があるから、適当にそれらしい説を流して、価値を高めたのだろう。その方が高く売れるから。

 伊吹は籠の蓋を閉めると、部屋を後にした。竹のような木で粗めに編んだ籠なので、蓋を閉めても空気が薄くなる事は無い。

 いつものように調理場の前を通り、一応声を掛けていく。「行ってきます」「おう、いってらっしゃい」「気をつけて行って来るのよ」「はい」そんなやり取りをして、裏口から外へ向う。

 裏庭へ出たところで、背後から声が掛かった。

「イブキさん、ちょっと待って」

 振り返ると、フィオーネが駆けて来た。長い髪を今日は耳の後ろ辺りで1つに纏めている。七部丈の白いシャツに、丈の長いブルーのスカート。ふわりと広がる足元の生地は薄く、白い花柄が透けて見える。

 何か、珍しい格好だ。

「出かけるんですか?」

 そう聞くと、フィオーネは一瞬言葉を詰まらせた。

「その、やっぱり私も一緒に行こうかと思って。余計なお世話かもしれませんけど」

 動物病院の場所を地図に書いてくれたのは、フィオーネだった。当然、こてつの状態も話してある。

「駄目ですか?」

「……いえ、別に構いませんが」

 特に、断る理由は無い。

 伊吹の返事に、フィオーネはほっと表情を緩めた。

「じゃあ、行きましょうか」

 地図はあるが、道はフィオーネの方が詳しい。自然と、彼女の後についていく形になった。


「こてつ、何も無いと良いですね」

「まぁ、そうですね」


 会話が続かない。

 保護施設から帰って以来、こんな風に話す機会も余りなかった。勿論、顔を合わせれば挨拶くらいは交わしていたが。

 一時は流石に元気がなかったが、今はもうすっかり立ち直っているようだ。ウィガーや志真も帰って来たことだし、これで彼女も安心できるだろう。

「最近、ルーと…、ルーミケラウスさんと仲が良いみたいですね」

 予想していなかった話題を振られて、伊吹は一瞬反応に困った。

 確かに以前より話す機会が多くなったが、あれを仲が良いと言ってしまうのはどうだろう。一方的に絡まれているというか、からかわれているというか。つい弱味を見せてしまった相手に対する、気まずい気持ちの裏返し。そんなところではないかと思う。

 最も、それをフィオーネに話す事はできない。

「いや、仲が良いというか……。まぁ、話はよくするようになりましたね」

「ルー、弟さんのことで落ち込んでいたから、ちょっと心配していたんですけど。あんまり人に弱音とか吐く人じゃ無いし、無理していないか気になっていたんですけど」

「はぁ……」

「でも、今のところ落ち着いているみたいで……それって、やっぱりイブキさんのお陰なのかな」

「はぁ?」


 お陰も何も、伊吹自身は何もしていない。


「それは無いと思いますが」

 きっぱり断言できる。

 フィオーネは苦笑した。

「イブキさんって、謙虚なんですね。もっと自信を持っても良いと思いますよ。ルーが言っていたんです。イブキさんと話してると楽しいし、安心できるって」


 何だその意味深な言葉は。


 ルーミケラウスが酔っ払って弱音らしきものを吐いた晩以来、2人の間であの事件のことが話題に上がった事はない。弟のことも。

 伊吹が立ち入るような話ではないし、向こうだって胸の内を吐露できるほど信頼してはいないだろう。誤魔化すような日常的な会話のやり取りは、一見距離が近く見えるのかも知れないが、実はその逆なのだと思う。

 当たり障りのない会話。

 伊吹自身、身に覚えのある事だから、良く分かる。


 イブキさんと話してると楽しいし、安心できる。


 ルーミケラウスがどう言ったのかは不明だが、フィオーネにそう思わせた理由については推測が出来た。「だから、大丈夫だ」「大丈夫だから、弟のことで踏み込んできて欲しくない」きっと、そんなところだ。

 ルーミケラウスが伊吹に構うのは、そのあたりの事もあるのかもしれない。

 あの宿屋の人間は皆良い人なのだが、良い人だからこそお節介が過ぎるところがある。困ったり、弱ったりしている人を放っておけない。

 一方で伊吹は出来る限り面倒事には関わらない、というスタンスを貫いている。

 必要以上に他人に踏み込まない、いらぬ気遣いも、言葉もかけない。そんな伊吹の態度が楽だったのかもしれなかった。


 大して会話が弾まないまま、目的地についた。

 動物病院、として連れてきた貰ったその場所は、一見普通の民家に見えた。赤い屋根に、クリーム色の壁の、こじんまりとした四角い家だ。

 唯一、ドアの前に掛かった看板が鳥の形をしているあたりに、それっぽい雰囲気を感じる。

 一抹の不安を感じたが、医者の評判は上々らしく、狭い待合室は人と動物で溢れていた。(一瞬帰ろうと思ったが)待つこと2時間。ようやく伊吹……いや、こてつの番が回ってきた。

 医者は中年の男(?)、獣人とか名前が付きそうな姿をしていた。

 二足歩行の茶色い毛並みの犬…猫?ぺたんと垂れた耳の形は犬っぽいが、顔の形は猫っぽい。表面を覆う毛皮さえなければ、普通に人の顔になるかもしれなかった。少々、目がとんがっているが。

「よろしくお願いします」

「患者は?」

 伊吹は診察台らしき緑の台に、こてつの入った籠を載せた。蓋を開けると、医者の男が覗き込む。

「む」

 ぐぐ、と鼻の頭に皺を寄せ、男は唸った。その様子に、フィオーネが顔を曇らせた。

「あの、どうなんでしょう」

「臭い」

「……は?」

「だから、臭い」

 言いつつ、男は近くの助手の女に診療室の窓を開けさせた。

「3日に一度は洗っていますが」

 フィオーネの物言いたげな視線を受けて、伊吹は主張した。

「いや、そういう匂いじゃない。これはあれだ、クルーセルの匂い」

「クルーセル?」

 って、何だ。

「魔草の一種だ。特にこれは、ヴィーダに強く効く。鼻を狂わせ、弱らせる」


 魔草……?

 再び聞き覚えのない単語。後で調べるために、記憶しておく。医者の白目の少ない黒い目が、そんな伊吹に疑惑の目を向けた。


「動物虐待か?」

「は?いや、まさか、誤解です。よく分かりませんが、病気ではないんですね?」

「病気じゃない、これは魔草の中毒症状」

「毒……、餌にそれが混じっていたのか?」

「いや、これだけ匂いがついているという事は、香か何かだろう。人の鼻は鈍いが、ヴィーダの鼻は敏感だ」

「こてつ、大丈夫なんでしょうか?」

 フィオーネが不安そうに口を挟む。ふむ、と医者は顎の毛を撫でた。

「2週間あれば、毒素を抜けるだろう。その間こちらで預かることになるが」

 良いか、と聞かれて伊吹は頷いた。頷くしかなかった。入院するとなると、費用がどれだけ掛かるのか、不安で堪らない。が、ここで渋れば再び動物虐待を疑われそうな気がしていた。医者の目は、未だ伊吹に対して厳しい。


 妙なことになった。


 伊吹はこてつを医者に預けて、フィオーネと動物病院を後にした。

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