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伊吹、調査を開始する 4

 ベンジャウルの助言に従い、伊吹はイスルド教に関する本を3冊借りた。解説付きの創世神話と、神の教えについて書かれた教典、それから子供向けに分かりやすく書かれた創世神話絵本だ。


 神は新たな世界を作り出し、名前をつけました。

 アーシャリアン………祝福の地、と。

 神はそこへたくさんの精霊を招き、その世界の成長を見守りました。

 精霊の働きにより、様々な植物や、動物が生まれました。

 しかしその世界に秩序はありません。

 生まれた弱い動物達は、次々と上位の動物によって姿を消してしまいます。

 神は嘆きました。

 そして、秩序を作り、守っていく存在として、その世界に人を招いたのです。


「……招いたって」

 どこから。

 さらっと書いてあるが、その一文は捨て置けない。詳しくは書いていないが、生み出したでも、作り出したでもなく、招いたなのだ。

 どうしたって異世界の事が頭に浮かぶ。

 本やら紙が散らばったテーブルに肘を付き、伊吹は絵本を捲った。


 人々は世界に文化を作り出しました。

 植物を育て、弱い動物達を守り、強い動物達を従えました。

 繁栄していく世界を、神々は喜んで見守りました。

 しかし、平和な時は長くは続きません。

 人々の心の中には罪深い欲が植えつけられていたのです。


 この辺りはありがちな展開だ。傲慢になった人間が、神の言葉に耳を貸さなくなり、失望した神々はこの人の世界を見捨て、去ってしまう。

 神と精霊の去った世界は荒れ果てるが、ただ1人のお人よしな神が戻ってきて、世界を救った。それが、イスルド神。


 異世界という認識が、昔からあった世界だからだろうか。言及はされていないが、あちこちに異世界の存在を仄めかすような文がある。

 神とは異世界人のことでは無いか。

 そんな風に言い出した学者がいたのも、無理はない。ベンジャウルの言った根拠や説得力というのも、この辺りのことがあるのだろう。


 伊吹は顔を上げ、窓の外へ目をやった。外はすっかり暗い。ずっと本や辞書と向かい合っていたせいで、肩がこっていた。食欲が湧かないからと、夕飯を断っていたが、今更小腹が空いてきている。

 調理場にいって、何か無いか聞いてみようか。もう誰もいないかもしれないが、その時はその時だ。耐えられないほどではないし、茶でも沸かして飲めば良い。

 立ち上がり、ベッドの上を見る。

 こてつは体を丸めて眠り、やはり起きる様子は無い。夕飯の時には起きて食事をしていたから、そんなに心配はしていないが、どこか具合でも悪いのだろうか。

 何日も続くようなら、医者に行く事も考えた方がいいかもしれない。


 動物の医療費は、高いんだろうか。


 そんな事を考えながら、廊下へ出た。

 調理場は薄暗く、人のいる気配は無かった。食堂を閉めているから、当然と言えば当然だ。小鍋で湯を沸かし、粉末を溶かして茶を入れる。茶、と呼んでいるが日本茶とも紅茶とも違う変わった飲み物だ。

 甘みがありながら、僅かに鼻につく、すっきりとするような刺激のある飲み物だ。

 最初飲んだ時は、微妙すぎる味に閉口したが、何故か後で飲みたくなった。今では頻繁に飲んでいる。中毒性のある飲み物だ。


 カップを片手に部屋へ戻ろうとした伊吹は、食堂に小さな明かりが灯っているの気が付いた。誰かいるのか。気になったので、中を覗いてみた。

 オレンジ色のほのかな光は、カウンター席の上で揺れている。

 ゆっくりとしなやかな腕を伸ばし、透明なグラスを煽る人影。むき出しの肩に、乱れた波打つ黒髪が垂れている。頬杖をつき、物憂げに形の良い眉根を寄せて、熱く息を吐く。

 ルーミケラウスだ。

 1人で飲んでいるところのようだが、一体いつから飲んでいるのだろう。細長いテーブルに酒瓶が3本は確認できた。

 橙の光を映しこんだ瞳は、とろんと潤んでいる。

 相当、酔っ払っているようだ。


 まぁ、酔いたくもなるだろう。


 彼女の話を思い出し、伊吹はそっと足を引いた。

 そっとしておこう。

 気づかい半分、係わり合いになりたくない気持ちが半分。しかし、伊吹が食堂を出る前に、ルーミケラウスの目が彼に気が付いた。


 しまった、と思った。


 アーモンドのような形をした、濃い紫の瞳が驚いたように瞠られている。

 ん?

 何か違和感を覚えて、伊吹はルーミケラウスをまじまじと眺めた。目の色、あんな色だったか?確か黒だったような。

「イブキ、ちょっとこっちで話さない?」

 そんな疑問を持ってしまったせいで、完全に出て行く切欠を失ってしまった。

 色っぽく微笑むルーミケラウスに、内心酷く気後れしつつ、かといって、断りを口にする事もできない。志真相手ならば遠慮無く言えるのだが。

「ほら、早く」

 仕方無い。

 腹をくくり、伊吹はカウンターに座った。

 椅子を二つ間に挟んだ場所に。


「やぁね、どうしてそんな離れて座るの。もしかして酔っ払いは嫌い?」


 くすりと笑った後、ルーミケラウスは肩を押し出すようにして、こちらへ身を乗り出してきた。ほのかに香る甘い匂いに、嫌でも心臓が撥ねる。

 濡れて半開きになった唇やら、強調された胸の谷間やら。薄暗い部屋で美女と2人きりという有り得ない状況に、動揺は隠せない。くそう、こういう時何でもないようにあしらえるスキルが欲しい。心の底から。

「………飲みすぎでは」

 現実の伊吹では、視線と意識を反らせてそう言うのが精一杯だった。

「売上に貢献してるのよ。イブキもどう?」

「結構です」

 年齢的に、酒を飲む機会も幾度かあった。が、残念ながら伊吹は酒に強くない。だらしないだの、情け無いだのはやし立てられ飲まされて、意識を失った最悪の記憶もあって、酒は嫌いだ。

「つれないわねぇ」

 寂しげに、ルーミケラウスは苦笑して、身を引いた。距離が出来た事に安堵する。心臓が徐々に落ち着きを取り戻し、頭に上っていた血が引いていく。


「うちの弟もそうだった。愛想なくて、可愛げなくて」

「……すみません」

「ああ、イブキは大丈夫。すごく可愛いわよ」


 ……そこは喜ぶところだろうか?

 いや、絶対に違う。男が可愛いとか最悪だろう。めちゃくちゃ下に見られているという事だ。複雑すぎるが、つっこめない。


「もう2人っきりの姉弟なのに、どうして分かり合えないのかしらね」


 細い指先が、氷の入ったグラスの縁をそっと撫でる。寂しげな横顔に、伊吹は疑問を飲み込んだ。

 知りたい事は色々ある。彼女ならば、シュターク教派だったという弟が、何故そうなったのか語れるかもしれない。どういう理由で、切欠で。

 気になるが、流石の伊吹もそこまで無神経になれなかった。

 だが、ルーミケラウスは、そんな伊吹の心の内を見透かすように、口を開いた。

「うちの家族はねぇ、もう誰もいないの。ハイネス以外は……、ううん、家族だけじゃないわ、親族も、友達も、仲間も。村1つ、丸ごとなくなっちゃったから」

「……あの、それはどういう」

「言葉通りよ。皆、死んじゃったって事。村なんて、人がいなくなったら終わりだものね」


 戦争、事故、何かの事件に巻き込まれて?


「敵対者が出たの」


 え


 伊吹は一瞬呼吸すら忘れて、ルーミケラウスの横顔を凝視した。ぼんやりと、どこか遠くへ視線を彷徨わせて、彼女は自嘲気味に笑う。

「みーんな、無くなっちゃったわ」

 皆って。

 ごくりと伊吹は息を飲んだ。村1つ、どれくらいの規模かは知らないが、相当の数の人間が死んだのだろうと予想できた。


 それなのに、何で。


 ルーミケラウスは熱い息を吐き出すと、テーブルに突っ伏した。

「あの子は馬鹿だわ。もう何をしたって変えることなんてできないのに……」

 切なげに、声が震える。


 変えるって何を。

 敵対者によって全てを失った男が、何故シュターク教派なんていうものに心酔するんだ。その辺りのことが、伊吹にはどうしても納得できない。

 何か、裏があるんじゃないか。

 見極める為にも詳しい話を聞きたいが、これ以上の会話は望めそうになかった。


 伊吹の耳に、ルーミケラウスの寝息が届いていた。

 どうやら眠ってしまっているようだ。声を掛けてみるものの、返事は無い。


 寝入ってしまった彼女をどうするか、それが今のところ一番の難題だった。

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