伊吹、調査を開始する 2
新聞、というものはこの世界にもある。
紙のものと、専用の受信機のようなものに、登録した最新の情報がリアルタイムで送られてくるものの2つ。後者は値段の関係で手に入れていないため、伊吹は普通の紙の新聞を駅で手に入れた。
教会の事件については、1面トップで大きく出ているようだが、詳しく読むには辞書が必要だ。言葉に比べて、文字の習得は少しばかり遅れている。
だがざっと見たところ、どこも確かな状況は掴めていないような感じだ。調査中、確かではない、予想では、等。曖昧な言葉が目に付いた。
内容にはあまり期待できない。
宿屋では、リアラが2人を待っていた。相変わらず子どもを生んだとは信じがたい少女のような面差しに、ふわふわした笑顔で。
「お帰りなさい。良かった、2人とも元気そうで安心したわ。待ってたのよぉ」
「ただいま母さん。……何かあったの?」
伊吹には全く分からなかったリアラの微妙な変化を、フィオーネは敏感に察したようだ。
「そうなの、大変なのよ、ルーがねぇ、うちを辞めるって」
ルーとは、ルーミケラウスのことだ。
長期休暇を取っていた筈だが、戻って来たのか。リアラは頬に手を当てて、困ったわぁと呟いている。その様子は、全く困っているように見えない。
「ルーさんが?」
「そうなの。あの子も頑固よねぇ」
「理由は聞いたの?」
「ええ」
リアラは1つ頷いた。大きな青い目で、フィオーネと伊吹を交互に見やって、苦笑する。
「こんなところでする話じゃないから、2人とも中に入って。ごめんなさいねぇ、疲れているでしょうに、立ち話させちゃって」
ほらほら、と追い立てられるようにして、伊吹とフィオーネは食堂に入った。リアラは外見の割りに押しが強い。その辺りはいかにも母親という感じだ。
一時期営業を再開していた食堂は、再び閉めているらしい。分厚いカーテンで薄暗い食堂の中、カウンターに座り俯くルーミケラウスの姿があった。
いつもの彼女からは考えられないほど、憔悴した様子だ。すれ違うたび愛想よく、時折人をからかっては楽しんでいた明るい大人の女性。それが伊吹の知るルーミケラウスだ。
揃えた膝の上で、硬く両手を握り締め目を伏せた様子は、気軽に声を掛けられない雰囲気があった。
少なくとも伊吹には無理だ。
ほつれた長くくねる黒髪が、むき出しの肩や首筋、それから盛り上がった胸の辺りに落ちていた。それが妙になまめかしく感じて、目のやり場に困る。大体、何であんなに露出が高い服を着ているんだ。
まぁ、いつものことだが。
黒色のミニ、ワンピースで良いんだろうか。服の事は詳しく無い。胸のところで布を交差させて、首で結んでいるみたいな形状だ。ウエストの上をベルトで縛っているから、余計に胸が強調されているような。
いっさん!
ここにいない少女に白い目で見られるような気がして、伊吹はルーミケラウスから目をそらした。
「どうしたの、ルーさん」
心配げにフィオーネが声を掛ける。
「ごめんなさい。……私、貴方たちに謝らないと」
硬く押し殺すようなルーミケラウスの声。謝るって、一体何を。分からないが、ただごとではない。
「それがねぇ、ルーの弟のハイネス・ユーゴさんが、シュターク教派の一員だったかもしれないんですって」
その雰囲気をぶち壊すリアラも、只者ではない……って。は?と伊吹は顔を上げた。
何か凄い爆弾発言を聞いたような。
「……かも、というか。もう。……私も少し、思い当たる事はあって。でも、まさかあの子が……」
「そんな、ルーの弟さんが……?嘘」
「信じられないわよねぇ。教会の事件の時に見た人がいるんですって。それなのに、いなくなっちゃって、行方不明らしいの。心配ねぇ」
ハイネス・ユーゴ。
知らない人間である為、何とも反応しようがない。それにしても、弟か。憔悴しているルーミケラウスには同情する。兄弟のしたことなど、自分にはどうしようもない。好きで血が繋がっているわけでもない。それでも、世間は血の繋がりに注目するのだ。
あいつの弟がだの、あいつはあれの弟だから、だの。
(……煩い)
思い出して嫌な気持ちになった。
「とにかく、この先私がいたらお店の迷惑になると思う。だから」
「そんな、ルーさんが悪いわけじゃないのに」
「だけどね……」
ルーミケラウスは、寂しげに笑った。
「あの子は私の弟なの。たった一人の家族だから。関係ないって訳にはいかないのよ」
たった一人の。
何でそんな風にいえるのか、伊吹には分からない。
ルーミケラウスが辞めるか否かは、とりあえず保留にして、時間を置こうという事になった。リアラもフィオーネも、彼女を辞めさせる気は無いようだ。実際、ハイネス・ユーゴのことが知られれば、この宿屋の立場は一層悪くなるだろう。
異世界人に加え、シュターク教派の人間とは。体裁が悪すぎる。弟がそうなんだから、姉もきっと。そんな風に噂されるのは目に見えていた。
伊吹だったら、申し訳ないが辞めてもらう。
兄弟のことで責められるのは不本意だろうと分かってはいても、世間のことを考えたら辞めてもらった方がリスクが無い。
人が良いのだとは思う。だが、商売には向いていない。
それにしても、こんな身近にシュターク教派の信者がいるとは。
マイナーな宗教だと認識していたが、意外に多いのだろうか。禁止されている為、表立って声を上げる事が無いだけで。
人は禁止されると余計にのめりこんだりするものだ。
ぞっとする話だが。
伊吹はようやく戻った部屋で、買い込んだ新聞を広げた。買ってきたのは3紙。ざっと読み比べてみるが、内容は大体似たようなものだ。
イスルド教会で起きた事件のあらまし。閉じ込められ、火が付けられたことや、建物が崩れ落ちたこと。化物、敵対者に関する記述は無い。その情報は伏せられているようだ。
犯人はシュターク教派の者と見られている。
最後に情報提供を呼びかける文面。
後は建物の構造や、シュターク教派の心理分析などで適当にお茶を濁している感じだ。
「シュターク教派……」
異世界の宗教と神に感化され、異世界人を神の遣いとして特別視している。彼らにとって、異世界人は讃えるべき存在だと聞いていた。が。
伊吹は襲われた。
教会にはアルジャラーや志真だっていた。
彼らの企みに気がつきかけていた伊吹は兎も角、彼女達は。守るべき異世界人ではないのか。分からない。
ピトリツア。
彼らはそう伊吹の事を呼んでいた。竜がどうの、クリオーセがどうのとも言っていたが。
どうも、調べてみる必要がありそうだ。分からない事が多すぎる。再びこんな妙な事件に巻き込まれない為にも、判断材料が欲しい。
図書館か、本屋。
出かけることを決めて、伊吹は立ち上がった。ベッドに放り出していたショルダーバックを拾い、2、3歩歩いたところで違和感に足を止める。
「こてつ?」
いつもならば、出かけることを察知したこてつがすぐに纏わりついて来るところだが。顔を上げると、梁に通した板の上で、丸くなって眠っているのが見えた。
珍しい。
「おい、こてつ」
もう一度呼んでみるが、ぴくりと小さな耳が動いただけで、起きる様子はまるでない。
まぁ、良いか。
伊吹はこてつを置いて出かける事にした。頭が軽いが、妙に落ち着かない気分になったのは、気のせいだという事にしておく。




