菊乃の恩人 4
最近本当にろくな目にあっていないというか、この異世界に来た日よりろくでもない目にばかりあってきたので、すっかり悲観的になっている自覚はある。
だけどそれも仕方が無い。
ちょっとでも良いことがあったり、前向きな気持ちになると、倍返しで悪いことが起こっている。正直、もう何を信じてどうすれば良いのか分からないくらいだ。
だから、ハルラックと会えた事や、彼が菊乃の護衛についた事は嬉しいが、素直に喜べる事でもなかった。菊乃を守れなかった事をただ悔やみ、護衛をつけるのだとしても、それをわざわざハルラックにする必要は無い。きっと、そこには何か意味があるのだ。
ハルラックが食器を持って部屋を出て行った後、暫くして再びユーイが姿を見せた。一緒にやってきたのは、白い顔に無表情を貼り付けている女性、リザレット・クラウラだった。
施設から攫われた時の様子や、その後の事の調書をとりにきたのだ。
まだ目覚めたばかりで本調子で無い菊乃は、ベッドの上でクッションを背中に当てて身を起こしていた。丁度目線があう位置に、ユーイ達は持ち込んだ木の椅子を置いて座った。
ところどころ、記憶がはっきりしないところもある上、目が見えなかった為に伝えられる情報は少ない。特に、菊乃を攫ったと思われるチフセと名乗った男については、しつこく聞かれた。
「で、そいつは男で間違いないんだな?」
男だと思っていたが、そう聞かれると。
「……多分。はっきりとは、分かりません」
と答えるしかなかった。
あからさまに、役立たずめと言いたげな顔で、ユーイは溜息をつく。
「それくらい断言できないのか」
「…声は、男の人に聞こえました。でも、声変えられるかもしれないです。それに、姿は分からないから」
「ああ、そういう装置はありますね。確か、魔法にも」
「確かに、そういう可能性もあるが、それ言い出したらキリがないぞ。面倒だから男って事にしておけ」
ユーイの言葉を受けて、リザレットがなにやら書き付ける。調書のようなものだろうか。何かいい加減なものができそうな気がしてならない。
「大体、お前なんで顔くらい覚えて無いんだ」
「……すみません」
暗かったし、突然だったし。何より、怪我をしたショックからか、記憶が曖昧だ。
「チフセ、ねぇ」
ユーイは目を伏せ、思案するように顎の下に手を置いた。
「今まで聞いた事の無い声だったんだな?」
「はい。えっと、声を変えてたら、分かりません」
「……そういうのは忘れておけ。で、監禁されていた時も、その声は聞いていない?」
「はい」
「珍しく自信あるようだな」
記憶は、時が経つにつれ曖昧になる。すこしづつ形を変えて、間違った思い込みをする時だってあると思う。
だが、あの目以外の情報に頼るしかなかった状況で、もしもチフセの声を聞いていたら気がつくと思うのだ。
「じゃあ、もしも。この後またチフセの声を聞く機会があったら、分かるな?」
真っ直ぐ、強い視線を向けられて、菊乃は怯んだ。分かる、と言いたいが。
「分かるな?」
再度、促されて菊乃は自信なく答える。
「多分」
「何で多分なんだ。こういう時は自信持って分かると言え。……リザレット、調書にはチフセの声を聞き分けられると自信を持って答えたって書いておけ」
「了解致しました」
偽造だ。
後で何か問題になったりしないだろうか。心配になる菊乃に対して、ユーイは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「こういうのには、はったりも必要なんだ」
何のことだかさっぱり分からない。ユーイと話していると、自分が物凄く馬鹿なのではないかと思えてくる。
「どういう事ですか?」
聞けば、ユーイは面倒そうに眉を吊り上げた。
「リザレット」
話を投げられたリザレットは、小さく息をつくと口を開いた。
「イスルド教会はシュターク教派に乗っ取られていました。そして、今回の祭事で人を集め、忌々しい事件を起こす。死亡者197人、負傷者は1255人、うち重傷者が471人。遺体の中にはシュターク教派と見られる者も数名含まれていましたが、恐らく全員では無いと見られている」
日本語での説明は、ありがたかった。まるでニュースキャスターのようにすらすらと、歯切れ良い。
「そこにいたシュターク教派の多くは、事件が起こる前に逃げているのではないかと」
真っ先に浮かんだのは、七海のことだった。
彼女はシュターク教派では無いと言っていたが、行動を共にし、何らかの事件が起こる事を予想していた。だからこそ、彼女がいた事は未だ話せずにいる。
「シュターク教派の一派はこの町に潜み、またこのような事件を起こす可能性もある。私達はそれを阻止しなければならない」
「そういう事だ、キクノ」
冷ややかな緑の瞳に見つめられ、背筋が寒くなった。
見透かされている。
「ハイネスのように面が割れている奴なら兎も角、それ以外の奴らを見つける事は難しい。お前の情報が必要なんだよ。何を隠しているか知らないが、さっさと話せ」
菊乃は小さく息を飲んだ。
この国を信じるな、と七海は言った。
彼女は菊乃を助けてくれた、恩人だ。
一方で、シュターク教派が何をするか知っていながら、その行動を見逃した人でもある。
(……ううん、違う。ナナミさんは…)
止めようとしたと、そう言っていた筈だ。でも、できなかったって。
沢山の人が死んだ。人々の悲鳴が、今も菊乃の耳から離れない。
また、あんな事が起こるのだろうか。
確かに七海なら、シュターク教派のしようとしている事を知っているかもしれない。だが、彼女はどういうわけか逃げなければならない事情があるようだった。表に出られない事情があるのだ。逃げたのは、きっとシュターク教派からだけではなくて。
(この、国から)
「何で黙ってる」
何を信じて良いのか、分からないから。
何が正しくて、何が間違っているのか。
***
画面に映し出された四角い部屋のベッドの上で、少女は眠っていた。白い顔を、時折苦しそうに歪め、その眠りは安らかなものとはいえないようだ。
薄暗い室内、全部で12の机が4つづつ、3列並ぶ。机の上は膨大な量の紙の束と、映像等の記録を収めた結晶と呼ばれる小指の爪ほどの四角い金属で埋め尽くされている。黙々と、情報の整理に追われる職員はたったの3名。
人手不足は、先の事件の為だった。
敵対者と接触した人間は、その後何らかの異常をきたす場合がある。その検査のために、一定期間隔離し経過を見る必要があった。
今回の事件に関わった人間の数はとにかく多い。結果、職員の仕事も恐ろしいほど増えているのだ。
更にもう1つ、厳重な監視下にある筈の保護施設から、異世界人が攫われたことも問題だった。後に、内部の者の手引きがあった事が判明している。その職員は事件の夜に自殺したが、その影響は大きかった。
更にはケラスの兵士、ハイネス・ユーゴだ。
両組織は、徹底的な職員の身元、思想調査等を再び行う事を余儀なくされた。結果、現在殆どの職員は、深部と呼ばれるこの場所への立ち入りを禁止されている。
(面倒なことばかり起きやがって)
と、つい愚痴りたくなるというものだ。
面倒事の原因を、画面の中に映される少女、菊乃に全て押し付けるのは間違っているかもしれない。だが、ユーイを煩わせることの多くは、彼女を中心に発生している。
繰返し、思い出す。
教会のドアの向こうには、無残な光景が広がっていた。転がる死体、あちこちで上がる苦痛の声。動ける人間が、雪崩のように外へと逃げ出して来たせいで、すぐに中に入る事はできなかった。
集まった数百匹のヴィーダ達が、合間を縫って中へと入る。ユーイはその後を追った。
焼け焦げた壁に、崩れた柱。溜まった水は黒く淀んだ色をしていた。倒れた柱が作る影の中に、白いものが浮かんでいる。ヴィーダの群れ。その中心に、菊乃がいた。
膝を付き、頭を垂れるような格好で、ぴくりとも動かない。
「キクノ!」
そう叫んだのは、多分ウィガーだったはず。返事はなかった。様子がおかしい。慌てて駆け寄れば、見開かれた瞳の色に自然と気がつく。黒かった筈の瞳が、薄く透き通るような水色に変わっていた。
力を失った人形のように、ゆっくりと崩れ落ちる細い体。
菊乃は息をしていなかった。
何が起こったのか、菊乃は覚えていない。
だが、目撃者がいた。
腕や手が伸び、体を歪め人を無差別に襲っていった女の化物。それは、敵対者を思わせる姿をしていた。女ならば、各務吹雪ではない。盗まれたウィルドの炎のことが真っ先に頭を過ぎった。だが、敵対者として変化するには、あまりに時間が短過ぎる。
調べようにも、肝心の遺体が無い。
女の化物は、一欠けらの骨も残さず分解されたという。
水が化物を包んだ。
化物の体から、凄い泡が沢山出て。
見る見る、溶けるみたいに、体が小さくなって。
消えた。
目撃者は18人。
消えた化物の前には、菊乃がいた。




